コンビニでは買えない栄養素(小さな恋の物語)
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翌日から、美由は明男の部屋で夕食を共にするようになった。
九時になればマンションへ帰されてしまうのだが、明男が送ってくれるし、美由がドアを開けて部屋に入るまで見届けてくれるから鍵の音も冷たく響くことはなく、真っ暗な部屋に帰って来ても、明男と知り合う前ほど寂しくはない。
明男も美由には癒される。
一人暮らしの時は自炊も面倒でなかなかやらなかったが、美由にも食べさせてやるんだと思えば買い物や料理も苦にならず、それは自分の身体の為にも良い……時折は美由が作ってくれることもある……まぁ味の方は話のタネにしかならないが。
小学生に勉強を教えるのは初めての体験、理科や社会では習ったはずなのに忘れていたこともあるし、大人になって得た断片的な知識がふと繋がったりして新鮮なこともままある。
結構生意気なことも言うが、そこはやはり小学生、可愛いものだ。
時折誘惑するようなそぶりを見せるのには閉口するが……。
前回のドラマでの好演で小野ディレクターからは全幅の信頼を寄せてもらっていて、ちょくちょく呼ばれるようになった。
そして小野に限らず、明男を使いたがるディレクターも徐々に増えて、明男の役者としての評価はしっかりと固まりつつある。
相変わらず脇役ばかりだが、明男は不満には思っていない、明男がなりたいのはスターではなく良い役者なのだから。
明男が地方ロケなどでアパートを空けるときも、美由は以前明男が知らない内に大阪へ行ってしまった時のように寂しくはない。
お仕事で出かけているだけで必ず帰ってきてくれると信じていられるから……美由にとって信じられる大人は明男が初めてだった。
もう野菜ジュースに頼る必要もなくなった。
一人でも少しは料理できるようになったから……もっともカレー以外は自分でも酷い味だとは思うのだが……。
そんな日々が一年余り続いた頃のこと。
公園で友達と遊んでいた美由は出し抜けにフラッシュを浴びせられ、カメラを持った女は公園から逃げるように立ち去った。
「……何?……今の……」
「美由の写真撮って行ったね……男の人だったらロリコンかもしれないけど」
「女の人にもロリコンっているのかな……」
「あ……美由、あれじゃない?」
「あれって?」
「美由、柴田さんのアパートに良く遊びに行ってるじゃない」
「あ……でもご飯食べたり宿題みてもらったりするだけだよ」
「今の人って芸能リポーターだよ、きっと……ウソでもなんでもスクープにしちゃう人たちじゃない」
それを聞いて美由は凍りつく思いだ。
……たしかに友達の言う通りかも知れない……。
自分はもちろんお兄ちゃんのことが好きで、恋人にしてくれたらどんなに良いだろうなと思うのだが、お兄ちゃんはそんな気は全然ないらしい、でも妹か何かのように思ってくれているならばそれでも嬉しい、どうあれ、側に居て自分を気にかけてくれる人が居る、それだけでも美由は寂しさを感じないで済むのだから。
実際はそんな関係、だけど、もし自分がお兄ちゃんの恋人だなんて書かれたら……大人同士の恋人をスクープされるより悪いかも知れない……。
幸い、その価値なしと判断されたのか、妙なスクープ記事にはならなかったが、お兄ちゃんは着々と名を上げている、いずれは邪魔になってしまうかも……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「八王子?」
「そうなの、今のクラブのオーナーがね、八王子に新しく出す店のママをやってみないかって言ってくれたのよ」
珍しく美由の帰りを待っていた由美子が嬉しそうに言う。
もうすっかりその気でいることはわかる……娘の気持ちや都合なんて関係ないのだ。
……しかし……。
お兄ちゃんの好意にいつまでも甘えていられないことは写真の一件でわかった……このタイミングでそんな話が持ち上がったのは神様の思し召しなのかも……。
「八王子に引っ越すの?」
「うん、こっちから通うのも面倒だし、夜遅いからタクシー代が凄くかかるしね、それに向こうの方が家賃もずっと安いんだから引っ越さない理由はないわよね」
やっぱり自分の都合ばっかり……。
「いつ?」
「十二月に入ったらすぐに、忘年会シーズンが始まるでしょ? 丁度良いマンションも見つかったし」
あと四ヵ月あまりで小学校を卒業するのだが、そんな当たり前の学校のスケジュールもこの母の頭の中にはないらしい……でも引っ越すなら早いほうがいい。
「わかった」
美由はそう答えていた。
明男はしばらく前から地方ロケで留守。
でもその方が良い、明男に会ったら引っ越したくなくなるし、引き止められでもしたら泣いてしまう……。
友達にも引越し先の住所は教えなかった、口止めしておいたとしても誰かがぽろっと喋ってしまうかもしれない、そしてもしお兄ちゃんが会いに来てくれたら……嬉しいけど元も子もなくなってしまうから……。
そして、引越しの前の晩は部屋に篭って泣き明かした……声を押し殺して……。
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地方ロケから戻った明男は、荷物を置くとすぐに公園に向かった。
少しでも早く顔を見せて美由を安心させてやりたかったし、明男自身も美由の顔を早く見たい、いつも集っている公園に行けば会えるのはないかと思ったのだ。
果たして、美由の友達は集まっていた、しかし、その中に美由の姿はない……。
そして、明男の姿を見かけるなり、その中の一人が走って来てポーチから一通の手紙を引っ張り出して差し出した。
「これ、美由から預かったんです」
手紙?……あまり良い予感はしない。
明男は封を切るのももどかしく文面に目を走らせた。
(お兄ちゃん、私はお母さんのお仕事の都合で急に引越すことになりました、今まで親切にしてくれてありがとうございます。 お兄ちゃんと出会えて、一緒の時間をたくさん過ごせて幸せだったことは一生忘れません。 これからもがんばって立派な俳優さんになって下さい、きっとなれると信じています。 美由)
画数の多い漢字は大きくなってしまっていて辞書を見ながら書いたことが伺われる。
美由はあまり勉強が得意ではない……それでも一生懸命に、精一杯背伸びして書いたに違いない。
「引っ越したって……どこへ? 知ってるんだろ? 教えてくれる?」
手紙を渡してくれた子に尋ねるが、その子は首を横に振った。
「誰か知らない? 誰か……」
「誰も知らないの……美由がわざと黙ってたから」
「え?……」
「あのね、柴田さんがロケに出かけてすぐ、美由はここで知らない女の人に写真を撮られたの、多分週刊誌の人、美由が引っ越したのはお母さんのお仕事の都合だけど、美由はもう柴田さんと会うわけに行かない、もし週刊誌に変なこと書かれたらいけないからって……誰にも行き先を言わなかったの……」
「そう……ありがとう、知らせてくれて……」
それしか言うべき事はなかった……。
あのちょっと図々しいくらいの美由が……そんな事を気にして……。
(どうしてだよ……美由らしくないじゃないか……)
作品名:コンビニでは買えない栄養素(小さな恋の物語) 作家名:ST