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コンビニでは買えない栄養素(小さな恋の物語)

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「あのお兄ちゃんって柴田君のことかな? 彼なら辞めたよ、なんでもドラマの撮影に入るらしいよ、関西が舞台らしくてね、しばらくは戻ってこないんじゃないかな?」
「またバイトに来る?」
「どうだろうね、真面目だし仕事もすっかり憶えてるから来てくれれば嬉しいんだけどね」
「そう……ありがとう……」

 ここ三日ほど、いつコンビニに行っても明男がいない……。
 思い切って店長に尋ねてみるとそう教えられた。



 脂っこい弁当は咽を通りそうにない……菓子パンを手にしてジュースの棚の前へ……。
(甘いジュースばっかりじゃダメだよ、コンビニ弁当ばかりだと野菜が足りないからね、たまには野菜ジュースにしたら?)
 そう言ってくれた明男の笑顔がちらつき、野菜ジュースに手を伸ばした……。

 もう何日も一人で帰っているのだが、この街に明男がいないと思うだけで寂しくなって、街灯までいつもより暗く感じてしまう。

 自分でマンションの鍵を開ける『カチャッ』という音がやけに外廊下に響く。
 美由が部屋に入るまでマンションの外廊下の下で見守っていてくれる明男に手を振ってからだとなんとも感じなかったのに……。

 テレビをつけてもちっとも面白くない……明男が出ている事に気づいてからは毎週録画して何度も繰り返し見ている『小さな恋の物語』も今日は見たいとは思わない。

 菓子パンを頬張り、ちょっとむせて慌てて野菜ジュースにストローを挿して一口吸う……。
 その途端に涙がこぼれた……。

 
 翌日、学校から帰ると母の由美子がもう出かける支度を始めていた。
「ただいま……」
「おかえり、何か元気ないなぁ」
 どうやら気に入っているお客との同伴らしい、鏡に向かっている時の様子で大体わかってしまう……今日は特別上機嫌だ。
「どうした? 男の子にでもふられたか?」
「そんなとこ……かな……」
「気にしない気にしない、男なんて星の数ほどいるんだから次を見つければいいのよ」
(ママがそんなだから、あたしは……)
 そう言ってやりたい、とふと思ったが(上機嫌のまま送り出してしまった方が良い……喧嘩したってどうせ噛み合わないんだから……)と思い直して部屋に篭る……。
 しばらくして玄関ドアの鍵が『カチャッ』と鳴った……。
 どうせなら顔も合わさず、置手紙と千円札だけ置いて出て行ってくれればいいのに……そしたらまだ少しは自分を気に掛けてくれる母親を夢想できる……かも知れないのに……。



明男も美由のことは少し気にかかっていた。
なんとなく切り出しにくくて、出発の前日にでも言おうと思っていたのだが、『小さな恋の物語』で世話になったディレクターの小野から、急遽三日早く大阪へ来るように頼まれて何も告げずに東京を離れてしまったのだ。

 しかし、美由とは違って明男は忙しい。
 今回のドラマは『小さな恋の物語』とは逆で、ひとまわり年上の女性課長と入社三年目の男性社員の恋物語。
 恋敵は女性課長より少し年上の別の課の男性課長。
 明男の役どころは主役の大学の後輩であり、男性課長の部下でもある新入社員。
 女性課長は男性社員に好意を抱き、男性社員も惹かれているが、どちらも我が強くて喧嘩ばかり、その隙を自信家で強引な男性課長が狙う……その間に挟まって、明男演じる新入社員は右往左往しながらも結局は恋のキューピット役を果たす、というもの。
 主役には、三十歳になって最近役者づいている、大人気アイドルグループの一員。
 ヒロインは宝塚の男役上がりの美人女優。
 恋敵役は元ロックバンドのリーダー。
 プロデューサーに言わせれば『豪華顔合わせ』であり、『個性が火花を散らす』新しい番組編成の目玉となるべきドラマ、当然ゴールデンタイムの放送だ。
 しかし、製作を任された小野ディレクターにしてみれば堪ったものではない。
 はっきり言って三人とも我が強く、自分のイメージを強調することに固執して人に合せる演技などできない、いや、するつもりがない。
 その中にあって狂言回し的な役割を与えられた新入社員役の演技一つでドラマの成否は大きく左右されるのだ。
 『小さな恋の物語』で明男を高く買っていた小野は藁にもすがる心持、プロデューサーは明男の役にも別のイケメン俳優を推していたのだが、『この役だけはなんとしても』と明男の起用を主張したのだ。
 演技力もさることながら、明男の勉強熱心な所と人当たりの良さ、細やかな心配りが出来る所に頼らざるを得ない。

 明男にとっても大変な仕事だった。
 芝居の上でも主役級の三人それぞれを上手く立てなければならず、繋ぎ役としての演技に心を砕かなくてはならない、その上、それぞれが楽屋に明男を呼びつけては自分勝手な注文をつける。

 幸い小野が明男の味方をしてくれたから良いようなものの……そう思うと美由のことが気にかかる、俺は味方してくれる人がいるからまだ良いがあの子には……。
 
 なんとか無事にクランクアップした時、明男は打ち上げもそこそこに新幹線に飛び乗るようにして東京に戻った。



「店長、お久しぶりです」
「やあ、柴田君、久しぶりだね、撮影は終わったの?」
「ええ、なんとか」
「またバイトを? こっちはいつでも歓迎だけど」
「すみません、今は撮影を終えたばかりでクタクタなので……ところで、あの子は相変わらず毎日来てますか?」
「ああ、あの派手な格好の子ね、あいかわらず毎日の様に来てるよ、さっきも弁当と野菜ジュースを買って行ったよ、1時間くらい前だったかなぁ」
「有難うございます、ご挨拶はまた近々改めまして」
 明男はそう言い残してコンビニを飛び出して行った。



(いた……)。
 美由は自分のマンションと明男のアパートの分かれ道にある公園で、一人ブランコに座ってこぐともなしに小さく揺れていた。
 すっかり冷めてしまっただろう弁当はベンチの上、美由の手にはストローを挿した野菜ジュースだけ……。
 胸が締め付けられるようで、しゃがれたような声しか出なかった。
「美由ちゃん……」
 明男の声にはっと顔を上げた美由の目に、見る見るうちに涙が溢れて来てぽろぽろと零れ落ちる。
「お兄ちゃん……」
 明男が車止めを飛び越えると美由も駆け出した。

「ごめんな、何も言わないで行っちゃって……ごめんな」
 抱きついて来た美由の髪を撫でてやる。
「謝らなくてもいい……大人に謝られたことなんてないもん……」
「帰って来たよ……野菜ジュース飲んでたんだね、えらいぞ」
「うん……これ止めたらお兄ちゃんともう会えなくなる気がして……」
「そんなことはしないよ、もう黙っていなくなったりもしないから」
「うん……」
「泣かないでいいよ、もう泣かなくてもいい」
 それを聞いた美由は、声を上げて泣き出した……祖母から母に引き渡されるあの晩にも上げなかった大声をあげて。