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記憶が意識を操作する

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――記憶のどこかに封印している――
 と考えるようになっていた。
――子供の頃のことを全部忘れたとしても、絶対に忘れないことがあるのかも知れない――
 と思っていると、子供の頃に感じたことで、今覚えていることは、その時、最初から分かっていたことではないかと思うようになっていた。予知能力というほど大げさなものではないが、忘れることができないほど印象的なことだったのは、予感めいたものを感じていたことが実現してしまったことで、忘れられなくなってしまったのではないかという思いである。
 だが、その反面、予知できたということが、自分の中にある未知の能力として、却って怖いという感覚が芽生えたのも事実だった。テレビドラマなどで、特殊能力を持った人は、その能力を持ったがゆえに、他の人とは違うということで、自分の中にジレンマが生まれ、苦しむことになるということも分かっているからだった。
 もちろん、自分にそんな特殊能力が備わっているなどとは思っていない。特殊能力があって、最初から分かっていたのだから、忘れられないという思いがあるということは、逆に、
――忘れられないことがあるのをどのように説明すればいいのか?
 ということを考えた時に、
――最初から分かっていたことだ――
 と思うことで、自分に納得させようとしたのだとするならば、特殊能力は、自分を納得させるための一つの考え方に過ぎなくなってしまう。中西は、後者の方がいかにも説得力があるように感じるが、どうにも逃げ腰のような考え方に、複雑な思いを感じずにはいられなかった。
 中学に入った頃は、まだ木村さんとみのりのことを毎日のように思い出していたが、二年生になった頃から、次第に記憶が薄れていくのを感じた。忘れていくことに違和感を感じていたが、いつまでも毎日のように思い出すことの方が不自然だったのではないかと感じるようになると、この間まで目を瞑れば浮かんできたみのりの顔が、すでに浮かばなくなってくるのを感じていた。
 元々、人の顔を覚えるのは苦手だった中西少年。こればかりは、大人になってからも変わることはなかった。仕事の上で困ることもあったが、子供の頃からのことなので、今さら治ることもなく、仕方がないことだとして諦めるしかないのだろうと思うしかなかったのだ。
 そんな中西少年が中学に上がる頃まで、みのりや木村さんの顔を忘れなかったのは、ずっと夢に二人が出てきていたからだろう。どのくらいの間隔で夢に出てきていたのかハッキリとはしないが、結構頻繁だったのは、間違いないようだ。
――これだけ夢に出てくるのだから、顔を忘れないのも当たり前のことだ――
 みのりと木村さんの顔は、「覚えている」という感覚ではなく、「忘れられない」という感覚なのだということを意識したのは、思い出そうとして目を閉じても、二人の顔が瞼の裏に浮かんできたとしても、おぼろげにしか浮かんでこなくなった頃だったような気がするからだ。
 二人の顔が、おぼろげにしか浮かんでこない時期というのは、結構長く続いたような気がする。普通なら、それまでハッキリと覚えていたはずの顔が思い出せなくなったのなら、完全に浮かんでこなくなるまでというのは、時間の問題のはずだ。忘れてしまうというのは、それだけ自分の意識の中で、
――もはや、ここまで――
 という意識が働いているからなのかも知れない。一度忘れてしまう方向に流れていってしまうと、その波を抑えることはすでにできなくなっているはずなのだ。それなのにしつこく意識にあるのは、忘れられないという意識の方が、覚えているという意識よりも強い証拠ではなかろうか。
 中学生になっても出てくるみのりは、まだ小学五年生のみのりだった。あのまま一緒にいれば、すでに高校生になっているであろうみのりを思うと、かなりお姉さんであることは想像できる。
 中学生になった自分の意識の中にいるみのりは自分よりも年下のはずなのに、まるで頭が上がらないお姉さんの雰囲気がある。もし、これが高校生のお姉さんを想像できたとすれば、かなりしっかりしたお姉さんを想像することしかできないと思う。
 それにしても中学生という年齢が成長期だということは分かっている。しかし、中西少年は自分が成長しているという意識がない。むしろ、どこかで成長が止まってしまったのではないかと思うほどだ。
――ということは、どこかで辻褄を合わせようと、一気に年を取る意識が生まれるのかも知れないな――
 中学生というと、実年齢よりも年上に見られたいという意識が働いていた。
――背伸びしたい――
 と思う年齢でもあり、それが精神的な成長なのだと思っていた。
 しかし、中西少年には、年上に見られたいという感覚はない。逆にもっと子供に見られたいと思う意識が残っていた。それが、自分が成長しているという意識を鈍らせている証拠なのかも知れない。
――では一体、いつ頃から、自分は成長が止まったと思っているのだろう?
 と感じたが、思いつくこととすれば、小学五年生だったのかも知れない。
 それは奇しくも、出会った頃のみのりの年齢だった。そして、中西少年がこの頃から成長していないと感じた理由は、他にもあった。
 子供の頃の記憶の中で一番大きな節目だったのかも知れない。
 それは、両親が決定的な決裂を迎え、離婚したことが大きな影響を与えた。
 中西少年は、当然のように母親に引き取られた。父親は親権を簡単に手放し、離婚はスムーズに進んだという。
 泥仕合にならなかっただけでもまだよかったのかも知れないが、子供にとって泥仕合だろうがスムーズであろうが、両親が離婚したことに変わりはない。最初は、まわりにどのように接していいのか分からなかった。まわりも中西少年に対して、まるで腫れ物にでも触るような感じだった。
 そんな態度を取られると余計にまわりに近づきにくくなってしまい、
――人に気を遣うなどというのは、偽善だ――
 という風に思うようになった。
 どうして素直に接しようとしてくれないのか、それが少年の中西には分からなかった。自分にわだかまりがないのに勝手に気を遣われるのは、却って自分が孤立することになるように思えたからだ。
 だが、孤立したからといって寂しいという思いではなかった。離婚したのは、中西少年にとって、別に辛いことではなかった。それを勝手にまわりが変な気を遣うものだから、気になっていないものでも、何か身構えてしまう自分に気が付いたのだ。
――本当に余計なお世話だ――
 と、大人が気を遣うということを穿き違えているように思えてならない。その頃の自分にとって大人の世界は、
――見てはいけないものを見てしまった――
 としか感じることのできないものだったのである。
――両親が離婚して、成長が止まってしまったような気がする――
 と、中西は考えた。どうしてそう思うのかというと、ハッキリとした根拠があるわけではない。しかし、
――親になりたくない――
 という意識が、自分の中に潜在しているからなのではないかと思うようになっていた。それは親というだけではなく、
――大人になりたくない――
作品名:記憶が意識を操作する 作家名:森本晃次