記憶が意識を操作する
――将来において、どこかで出会うような気がして仕方がない――
という思いが、自然と自分と重ねて見ていることに気付くと、みのりに対しては、
――自分が大人になってから、みのりのことを見守っていくような気がしてくるから不思議だ――
と感じるようになっていた。
みのりという女性が、このまま年を取らずに、ずっとそばにいてほしいと感じていたくせに、想像するのは、自分だけが年を取ってしまっていることだ。相手に年を取らないでいてほしいと想像するのであったら、自分も同じようにずっと年を取らないでいる設定になるはずなのに、一体どうしてだったのかと、最初は分からなかった。
みのりの住んでいる屋敷は別荘だということだが、どう見ても豪華な屋敷で、住んでいる人はみのりと木村さん、そして身の回りをしている一人の乳母のような人がいるだけだった。あまりにも広いお屋敷なので、通いで乳母の補佐をしてくれる人を雇っているという話を聞いたことがあったが、中西少年は出会ったことはなかった。どうやら、客の前に出ないというのは、暗黙の了解になっていたかのようだった。
だから、中西少年はこのだだっ広い屋敷に、みのりと木村さんの二人だけが住んでいるかのように思っていたのだが、本当はそうではなかったのだ。
それだけ屋敷の中は広かった。使っていない部屋もたくさんあるようで、しかも、
「今日も夕ご飯一緒に食べて行ってね」
と言われて、一緒に食べる食卓では、数十人は座れるであろうと思われるテーブルに、たった二人での食事になる。
もちろん、そこには、木村さんと乳母の人がフォローするかのように立っていて、食事を運んでくる人がいるのだが、中西少年には、食事を運んでくる人の存在が、まったく感じられないほど、自分の住む世界とは違う世界であるということを、無意識に、いやより意識的に感じ取っていたのかも知れない。
「どうして、こんな広い部屋に、一人だけ」
と聞いてみたい思いをグッと堪えていることが、木村さんと乳母の人以外をまったくの黒子のように感じさせないと、自分がその場に存在していることを納得させることができないからに違いない。
その食堂に飾っている絵の一枚は、いつも中西少年が見ていた防波堤から見える海の景色に似ていた。
――海と空の分かれ目まで分かるような気がする――
と思って見ていると、その絵から目が離せなくなってしまう。
しばし、まわりに気付かずに絵に集中している時もあっただろうが、木村さんはおろか、みのりもそんな中西少年を見て何も言わないのは、不思議な気がした。
――退屈しないのだろうか?
そう思っていると、みのりという女の子には、自分たちが感じている「退屈」などという言葉の概念が、そもそも存在しないのではないかと思えてくるから不思議だった。
「みのりさんは、いつも一人でいるような気がするけど、寂しくないのかい?」
「寂しくないわよ。木村さんもいるし、私は本を読むのが好きなので、寂しいなんて思わない」
「でも、僕の感覚だと、こんな広い屋敷に、たった数人しかいないなんていうのは、余計に寂しさを感じるような気がするんだけど、どうなんだい?」
「私は、寂しいと思わないのと同じで、退屈だとも思っていないの。きっと、今を満足しているからなのかも知れないわね」
と言っていた。
――何を満足しているというのだ?
子供心にも、大きな屋敷に住んで、苦労を知らないから、そんなことが言えるのだと思っていたが、実はそうではなかった。
――みのりの言っていることが本当のことであってくれたのだとすれば、それが一番の救いだったに違いない――
と、みのりに対して感じた。
みのりという女の子には、
――真っ白い透明さ――
というのが、イメージされている。
真っ白いのに、透明だというのはおかしな気がするが、みのりに限っては不思議ではない。みのりと一緒にいれば、少々疑問に思えそうなことでも、疑問ではなくなる。つまり、――素直に気持ちを受け入れられるのがみのりだ――
と、感じることのできる人に、小学三年生で出会っていたというのが、その後の中西少年が自分の人生を顧みる時の指標になっていた。
勉強に興味を持ち始めたのは、その時に見た絵が影響していたのかも知れないと、中西少年は思っている。絵を描くようになったのは中学生になってからのことだったが、何かに興味を持ったのは、確かにその絵を見た時が最初だったということを、中学に入って、絵を描くようになってから、思い出すのがその時の絵を見て、絵自体を思い出すというよりも、衝撃を受けたということを思い出すからだったのだ。
みのりの屋敷に初めて招かれてから、最初の三日間ほどは、木村さんとみのりが、最初に出会った防波堤のところに同じくらいの時間にいれば、迎えに来てくれていた。
「本当に、毎日すみませんね」
と木村さんに言われたが、こっちは時間を潰すというよりも有意義が時間を過ごすことができているようで、しかも、おいしい食事を楽しむことができる。まさしく願ったり叶ったりではないか。
別に約束をしているわけではなかったので、四日目以降からは、防波堤で待っているなどというまどろっこしいことを止めて、直接屋敷に赴くようになった。
それも毎日のように立ち寄っていて、学校が終わってから直接行くことが多くなった。その方が学校が終わるのを楽しみにしていればいいので、学校にいることが億劫ではなくなっていた。
――みのりが大きな屋敷で、寂しいのではないか?
という発想になったのは、自分が学校にいる間、感じている孤独と虚しさをみのりの立場に置き換えて考えてみた時、感じた思いが、
――寂しさ――
だったからだ。学校にいて、孤独と虚しさを感じていると、この上ない退屈な時間が襲ってくるのを感じていた。だからみのりに対しても、
――「寂しさ」があるのではないか――
と、感じたのではないだろうか。
みのりと木村さんを見ていると、最初は、
――完全なる主従関係以外の何物でもない――
と思っていたが、ただ、その時一緒に感じたのは、
――ここまで徹底した主従関係って、本当にあっていいものなのだろうか?
世間一般常識や、過去の歴史を知るはずもない、まだ少年の中西だったが、子供心に違和感があったのだろう。
そんなことを考えていると、自分の家庭環境を思い出していた。
自分の家庭では、昭和四十年代にありがちだったように、父親の厳格さが家庭を支えていた。しかも、世間体を極端に気にして、自分が人の家にいくら招かれたとはいえ、上がりこんでいるなど話したりすると、
「人様の家に上がりこんで、何してるんだ」
と、言われてしまう。
母親にしても、
「お父さんの言うことを聞かないと知らないわよ」
というのが口癖で、母親の意見というよりも、父親に逆らっていることが罪悪であることを前面に打ち出している。完全な責任逃れにしか見えないだろう。
子供にそんなことは分からないが、何とも気分が悪いものだ。父親も母親も子供の頃から嫌いだった。
自分が大人になったら、
「お父さんやお母さんのような親にだけはなりたくない」
作品名:記憶が意識を操作する 作家名:森本晃次