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記憶が意識を操作する

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 死体が見つかったというセンセーショナルな事件であったことから、最初はその話題で街は持ち切りだった。小さな街のことだから、噂が噂を呼び、しばらくはこの話題が続くだろうと思っていた。
 しかし、二、三日もすれば、そのことを話題にする人はほとんどいなくなっていた。
 それは、話題にしていた日と、それ以降の日で、まったく違った世界が広がっているかのように思え、そこで感じたのがなぜか、
――海と空に窪みがあって、目の前に広がった世界は、海が空を支配しているのか、空が海を支配しているのか?
 という、絵を描いている時の発想だった。
 目の前の世界は、海と空だけに支配されていて、そのどちらがどちらを支配しているのかという発想から、自分の被写体への感覚が始まっているのだった。ただ、それはあくまでも、海と空が別々の世界を持っているという発想から生まれたことだ。それが同じ時間に発する考え方なのか、それとも、時間自体を分離するものかということでも考え方は違ってくる。子供の死体が見つかったという話題が急に出なくなったことで、
――海と空の分離する世界――
 という発想が生まれてきた。
 そして、その時に考えたのが、
――本当に、子供は殺害されていたのだろうか?
 ということだった。
 事故死の可能性もあると言っていたではないか。勝手に死体が殺害されたものだということで凝り固まっていたのかも知れない。
 話題がなくなったのは、警察は事故死だと断定したからではなかったか?
 いや、想像が許されるなら、もっと奇抜な発想として、
「自分たちの街に犯人がいた」
 という発想である。
 もし、そうであれば、あまりにも衝撃的なことだけに、
「めったなことをいうものではない。このことは、自分たちだけの胸に閉まって、この話題はタブーということにしよう」
 という大人たちの暗黙の了解が交わされていたのだろう。
 その時の子供が、中西の記憶の中で、今現実として梨乃の身体に宿した新しい命ではないかと思えてならなかった。
 本当なら、
――堕胎させてはいけない――
 と思うのだろうが、勝手な想像なので、梨乃には強要できない。
 しかし、逆に考えて、堕胎させても、
――これは罪ではないのではないか?
 と思うようになっていた。
 梨乃の中に宿した命、それは、みのりを助けたいという自分の中の気持ちが作用しているように思えてならない。ただ、
――みのりはもう死んでいるんだ――
 という思いを受け入れることができないだけで、みのりがこの世に存在した意義を考えるようになっていた。
 見つかった死体の少年、その子の命を、みのりが受け継いでいるとしたら、
――命というのは、その人にとって本当に一つなんだろうか?
 という発想になってきた。
 命を軽視してしまいそうになる発想ではあるが、このことを考えてみると、梨乃が宿した命というのは、
――誰かのために役に立つための命なのではないか?
 と考えるようになった。
 ただ、そうなってくると、
――この子は、一度この世に生を受けなければいけない――
 と考えた。
――やっぱり、このまま生まれてくるのは、可哀そうだ――
 という考えと、
――命を軽視して、簡単に堕胎していいのだろうか?
 という二つの考え。明らかに矛盾しているようだが、どこかで繋がっているように思えてならない。
 矛盾した考えであったが、矛盾した考えを頭に想い浮かべている時に感じることは、いつも、
――海と空、どちらが支配しているのか?
 ということであった。
 読み方を変えると、
――「海」は「産み」、「空」は「から」――
 と読めるではないか。
 海が支配している世界であれば、子供は産むことになる。しかし、空が支配している世界では、子供はこの世に生まれ落ちることはない。
 中西の発想は留まるところを知らなかった。
 ただ、元々子供が好きだったわけではない中西、彼は自分の子供が生まれた時の感動を忘れることはなかった。
 中西は、さらに子供の頃のことを思い出していた。
 今度思い出したのは、木村さんのことだった。
――みのりには木村さんがいた。それはまるでゆかりに対しての自分のようではないか――
 そう思うと、
――木村さんは、本当はみのりの父親だったのではないか――
 と感じている。
 木村さんがみのりを見る目、ゆかりが生まれる時に想像していたのは、子供の頃に見た木村さんの顔だった。
――僕も、あんな顔をするようになるんだろうな――
 と感じた。
 しかも、みのりは不治の病だったというではないか。それなのに、どうしてあそこまで平静でいられたのか? それは、みのりの病が治ると信じて疑わなかったからなのかも知れない。
 二人が住んでいた屋敷跡から死体が見つかったというのは、偶然ではないのかも知れない。殺害を最初臭わせたが、実際には死体は自然死か病死だった。死体が見つかったことで事故死として片づけられたのだろうが、殺人でも何でもなかった。しかも、今から思えば死体が発見されたということも、本当に事実だったのか疑わしい気がしてきた。何かの辻褄を合わせるために、
――記憶が意識によって操作された――
 と思えなくない。
 しかも、最後には、自然消滅しているのだ。それを想うと、梨乃に宿った命も、
――自然消滅するかも知れない――
 と思えてきた。
 実際に、梨乃に宿った命は自然消滅した。
 さらに驚いたことに、梨乃はその時から、自分の中に子供がいたという記憶がなくなっていた。中西が子供の話題に触れると、
「何言ってるのよ。それはあなたの子供ができれば私には嬉しいと思うわよ。でも、本当に産んでいい子なのかを考えると、結論なんて出せない気がするわ」
 と答えていた。
「まさしく、その通りだよね」
 としか、中西は答えることができなかった。

 あれから五年が経った。梨乃とは、すでに別れて三年が経っていたが、お互いに別れたことも、付き合ったことも後悔してはいない。
 相変わらず、梨乃は自分の中に子供がいたなどという事実を意識していない。
――梨乃が意識していないのなら、本当にいなかったのかも知れないな――
 何かの診療ミスで、本当は妊娠していないのに、妊娠と誤診したのかも知れないとも感じたが、それにしても、本人の梨乃に意識がないというのもおかしなものだ。そこに何かの作為的なものが働いていることも考えられなくもないが、必要以上に考えないようにしていた。
 だが、すくすく育っていると思ったゆかりが、
――不治の病に侵されている――
 と知った時、中西は驚愕してしまった。
 涼子は、ショックのあまり、病気になり寝込んでしまった。涼子の方は大したことなかったのだが、このままでは家庭崩壊しそうな予感もあった。
「なぜ、ゆかりなの?」
 と、涼子はなぜか自分を苛めていた。
「お前が悪いわけではない。きっと治るさ」
 としか言えない中西だったが、
「簡単に言わないでよ。私があの子を産んだことが悪かったのよ。こんなことになるんだったら、産んであげなければよかった」
 と、言って悲しんでいる。
 中西にもその気持ちは分かった。
――産まなければ、確かに死ぬこともない――
作品名:記憶が意識を操作する 作家名:森本晃次