記憶が意識を操作する
しかし、忘れっぽい中西は、普通に考えながら子供の頃のことを思い出すのは難しいことだった。記憶というものの中からまず引っ張り出して、それを意識として活性化させなければならない。その時に活性化させるために必要なのが、「潜在意識」だった。
――夢というのは、潜在意識が見せるもの――
という話を聞いたことがあった。
中西は、その言葉を信じている。だから、夢で見ることが、思い出すこと、そして意識として活性化させること、それぞれを一気に成立させる力になる。そのことを意識しているから夢を見る。それが潜在意識の成せる業であったのだ。
また夢というものが、
――矛盾で成立している――
と思っている。
曲がりなりにも、梨乃との間で「矛盾」という言葉がキーワードとして成り立っていることを、中西はウスウス気付いていたのだった。
中西は、自分の子供ではないと思いながらも、梨乃が他の男との間に子供ができるはずもないと思った。
中西が梨乃を見捨ててしまったら、梨乃の性格から取る行動は、堕胎以外には考えられない。
――それだけは思いとどまらせなければならない――
と、中西は思った。
梨乃が堕胎することで、本当は生を受ける子供が生まれることなく死んでしまうことへの罪悪感と、それだけではないもう一つの思いが潜在していた。
本来なら、中西は自分の子供ではないのだから、罪悪感を感じる必要などない。今までの中西なら、罪悪感を感じることなどないはずだった。それなのに、罪悪感を感じてしまったというのは、一つは話を聞いてしまったということ。
もちろん、聞かなければ後悔するだろうが、聞いてしまったことで、自分も梨乃と同じ十字架を背負ってしまったことを自覚した。
不倫が始まった瞬間から、十字架は二人で背負っていたはずなのに、そこまでの意識はなかった。
――十字架という意識が最初からあったのなら、不倫はしなかったかも知れない――
涼子に対しての罪悪感は確かにあった。今でも当然持っているが、梨乃との出会いを罪悪感などという言葉で片づけられないほど頭の中にあったのは、「運命」という言葉だった。
「運命の出会い」というと、漠然として感じるが、それなりにその時の中西には根拠があった。梨乃の方でも、
「あなたとの出会いに運命を感じる」
と、自分が感じている言葉を先に彼女が口にしたのも、決定的であった。
「私、以前から中西さんのことを知っていました。前に電車に乗った時、私が普段乗らない電車に乗ったので、急に気分が悪くなったことがあったんですが、その時、まわりの人は何もしてくれなかったのに、あなたは、わざわざ降りる駅ではないのに、降りて、少しの間でしたが、介抱してくださいました。私はそれが忘れられないんです。その人と再会できたんですから、それこそ運命だと思ってもいいでしょう?」
中西は、記憶の奥から引っ張り出して考えてみた。
――確かに、そんなことがあったことを覚えている。しかし、それが梨乃だったという意識は今となってはなかった。かなり古い話のような気がする――
「あなたが覚えていないのは、無理もないことでしょうね。私は、まだ高校生の頃だったですから、一年生で入学してすぐくらいだったと思います」
「それなら覚えていなくても仕方がないね」
ただ、普段ならそんな偽善者のようなことはしないはずなのに、その時は一体どうしたというのだろう。
言われてから、思い出そうとして、それでも中途半端にしか思い出せないことが、却って後から考えた時に、
――辻褄合わせをしようとした――
という意識が、自分の中で「運命」として感じさせたのかも知れない。
子供の話を聞いて罪悪感を感じてしまったもう一つの理由は、ちょうど梨乃から話を聞く前くらいに夢に見た内容が、忘れられなかったからだ。それは、子供の頃に実際に経験した夢で、自分の意識の中には、
――記憶の奥に封印されていることは、中途半端な意識だったんだ――
という思いがあった。
その夢というのは、子供の頃のことだった。
子供の頃といっても、中学時代のことなのに、なぜか出てくるのは、小学生の自分だった。夢の中に出てくる光景や自分、そして知っている人たちの時代は矛盾していても構わない。
――それが夢なんだ――
と言ってしまえばそれまでだが、夢だからこそ、それぞれの矛盾に何かの意味があると感じさせるのだ。
夢というものが何かを示唆しているのだとすれば、覚えている夢、忘れられない夢というのは、中西にとって大切なことであることは間違いない。
それは、みのりと木村さんが住んでいた屋敷が廃墟になった跡地で、クラスメイトが殺されているところが見つかったという記憶だった。自分にも虫の知らせのようなものがあり、
――あの時は、ショックであったが、いつものように他人事だと思っていたのに、どうして今さら夢に見たり意識しなければならないのか?
と感じていた。
友達の死は、みのりの死をも予感させるものだった。
――みのりを助けなければいけない――
と思っているところに、子供の殺されている死体が見つかったという意識が強かった。
夢を見ているうちにいろいろなことが思い出された。何しろ子供のこと、間違った記憶だったのかも知れないが、意識の中では、
――死んだその子の身元が、なかなか掴めない――
という話だったことを思い出した。
死体が見つかった。どうやら、誰かに殺されたらしい。殺人事件と事故から警察は捜査している。しかし、身元がハッキリとしない。
何とも不思議な事件である。
今から考えると、いろいろなことが考えられる。
その子はいつか行方不明になった子供で、その子がかなり時間が経ってから死体で発見された。捜索願が古ければ古いほど、捜査は難航するだろう。
となれば、その子は行方不明になってから、死体で発見されるまで、どこで何をしていたのだろう? もし行方不明になったのが誘拐であれば、子供の親に対して、何らかのアプローチがあったはずだ。そうであれば、もっと早く身元が分かったことだろう。
しかし、それもない。
ということは、少年は少なくとも営利目的の誘拐ではないということになる。
それなら、ただ子供を連れ去って、そのまま育てていたということだろうか? それなら、なぜ後になって殺さなければならない? 連れ去った人がいて、その人が何かの犯罪に加担して、それを少年に見られたというのであれば、分からなくもない。だが、少年はまだ十歳にもなっていなかったという。何かを見たとしても、そこから足が付くということもあるだろうか?
犯人たちがそれほど追いつめられているというのであれば分からなくもないが、話し全体としては、少し信憑性に欠けている。
だが、この時、信憑性というのは、どうでもよかった。
すでに、十年以上も昔の話、しかも、子供だった自分は大人になり、子供ができようとしているのだ。
だが、今、もう一つの仮説が生まれていた。
作品名:記憶が意識を操作する 作家名:森本晃次