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記憶が意識を操作する

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「幸せボケ」というわけでもないと思っている。涼子と一緒になって嫌だったと思うことは一度もなく、涼子に不満を感じたこともなかった。
 しかも子供ができて、本当なら幸せな気持ちで自重すればよかったはずなのに、梨乃に惹かれてしまった。
――これも男の性のようなものかな?
 と思ったが、別に悪いことではないとすぐに思った。
――バレなければいい――
 などと思ったのも一瞬で、それ以上に、梨乃と仲良くなったことに罪悪感を感じなくなっていた。
 だが、子供が生まれたと言われた時にはビックリした。避妊には気を付けていたはずだったのに、
――できるはずがない――
 と思っていたが、「子供ができた」と聞いた時、持っていた自信が少しずつ瓦解していった。
 それは、梨乃が信じられなくなったわけではない。自分の思いこみが信じられなくなった。それなのに、梨乃に対して、
「俺の子ではないよね?」
 などという言葉はないだろう。
 中西は頭の中で混乱していた。自分の妻である涼子に子供ができたその時に、自分の気持ちに正直になった相手の梨乃との間にも子供ができてしまった。梨乃に求めたのは、「癒し」だった。それだけだったはずなのに、
――それがいけなかったということなのか?
 と、中西は思っていた。
――梨乃はどうだったのだろう?
 梨乃が中西に対して自分に子供ができたことの告白は、結構勇気のいることだったに違いない。
「子供ができた」
 と、もし浮気相手に告げた時、相手がどう反応するかによって、すべてが違ってくるからだ。
 梨乃は中西に対して二つのことを考えていた。
 一つは、今回のように、
――自分の子供だと認めないだろう――
 という考え方。
 開き直って突き放すような言い方を中西はするはずがないことは分かっていた。そこまで中西が自分のことを普通に見つめることはできないと思ったからだ。何かあればすぐに客観的な目になって、他人事のように感じる中西に、
――相手に対して開き直るようなことはないだろう――
 と思えたのだ。
 実際に開き直ることはなく、恐る恐る話を聞きながら、他人事のように接する中西の言葉は最初から分かっていたのだ。
――どうせ、この人は最初、自分の子供なのかどうかを、私に聞いてくるんだわ――
 という思いがあった。
 その通り聞いてきたわけだが、梨乃も最初から、憎まれ口を利くつもりはなかった。最初から分かっていたつもりだったのだから、想像していたようなことを言われたら、セリフは最初から想像していたわけではないのに、憐みを持った言葉を発すると思っていたのだ。まさか憎まれ口を利くなど思ってもみなかった。
――私も、それだけ頭が混乱しているのかも知れない――
 それともう一つ考えたのが、
――彼が、もし最初に疑いの言葉を掛けてこなければ、堕胎だけしか選択肢はないと思っていたのに、彼が簡単に思っていた言葉を吐いたことで、私はどうしていいか分からなくなった――
 という思いだった。そんな思いにさせた彼に対して、憎まれ口の一つも叩きつけたいと思うのも無理もないことだろう。
 もう一つ中西に対して考えたことは、
――あの人がもし子供のことを認めない言葉を言わなければ、ずっと黙ったまま、私は何も言わないんでしょうね――
 という思いだった。
 中西は、一度にいろいろなことを考えようとするくせがある。これは中西本人には分かっていないことだった。少しでも彼と仲が深まった人間にはすぐに分かることであり、それだけ中西は、
――分かりやすいタイプの人間だ――
 と言えるのではないだろうか。
 一度にいろいろなことを考えようとするということは、
――忘れっぽい性格だ――
 ということだ。
 いや、忘れっぽいというより、一つのことを考えながら、余計なことが頭を過ぎると言った方がいいのかも知れない。だから、
――今考えていたことを忘れてしまった――
 と感じるのであり、またそれと同時に、一度にいくつものことを考えてしまう性格になってしまうのだった。
 しかも、考え始めでいきなりいろいろなことが頭を巡ってしまっては、収拾が付くはずもなく、考えていることが堂々巡りを繰り返してしまう結果に陥ってしまう。
 それが、中西の判断力を鈍らせる一番の理由である。
 最初に閃いたことをそのまま信じられるような性格であれば、もっと違った考えが生まれるかも知れない。
――ひょっとすると、リーダーシップを取れる人間だったのかも知れない――
 と、梨乃は考えていた。
 梨乃は、控えめなところがあるのは、
――余計なことを頭に入れたくない――
 と思っているからだ。
 控えめにしているということは前に出ているわけではない。前に出ないで後ろから見ている方が、明らかに広い範囲を見ることができる。一つのことに集中はできないが、全体を見ることができるというのは、
――攻撃は苦手だが、守勢に回った時に、大きな力を発揮することができる――
 と梨乃は考えていた。
 梨乃は決して控えめな性格ではない。攻撃的ではないが、逃げ腰というわけでも決してない。
 逆に言うと、梨乃を見ていて、控えめな性格に見える人というのは、自分が攻撃的な性格の人だと梨乃は思っていた。
 だが、中西は決して攻撃的な性格ではない。しかも、守勢的というわけでもない。そんな中西だからこそ、梨乃の方は惹かれたのかも知れない。
――自分にない、しかも、よく分からないが、興味の深い部分を持っている男性――
 それが梨乃にとっての中西だったのだ。
 中西は、梨乃がどれほど自分のことを考えていてくれているか分からないが、ここまで考えてくれているとは思っていないはずだ。ここまでくれば、梨乃の考えは、「人間分析」であり、梨乃の相手と接する距離は、人間分析をする上で、絶妙の距離であるということであろう。
 やはり、これも梨乃が育った環境から育まれた性格から来るものなのだろう。それは中西の子供の頃、涼子の子供の頃、それぞれとはまったく違っているのだろうということを感じているのは、梨乃だった。
 中西は、自分のことを客観的に見て、他人事にしてしまうところがあるが、それを知った瞬間、
――この人の過去は、私とはまったく違う――
 と感じた。
 梨乃は、むしろ子供の頃、中西のように、自分を客観的に見て、他人事のような目をしていた。小学生の頃にそのことに気が付くと、
――こんな性格嫌だ――
 と、自分を変えることを考えた。
 なかなか容易に性格を変えるなどできるわけではなかったが、梨乃には、小学生の時点で自分の性格を看過することができるだけの力があった。自分の性格を変えることができたのは、子供の頃の性格がしっかりしていたからであろう。
 今の方がしっかりしていないというわけではない。過去に性格を変えたことで、控えめな態度を見につけるだけの冷静さを持つことができた。そして、子供の頃のしっかりした性格を控えさせることによって、いざとなれば、物動じしないようになっていたのも、分かるというものだった。
 梨乃は自分のことを、
――二重人格だ――
 と思ったことがあった。
 だが、どちらも悪い性格ではないと思っていることで、
作品名:記憶が意識を操作する 作家名:森本晃次