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記憶が意識を操作する

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 しかし、結果的に中西は惑わされた。何に惑わされたのか自分でも分からない間に、中西は相手にのめりこむことが往々にしてあった。それは、優柔不断なところがあるにも関わらず、自分でそのことを自覚できていないからだ。梨乃という女性は相手が中西だったから惑わすことができたのかも知れない。それでも、梨乃はずっと相手を惑わせたとは思っていなかっただろう。
 二人は純愛だと思っている。今まで好きになった相手のほとんどが、どこか駆け引きを感じさせる相手だったのに、梨乃にはそんな駆け引きは感じさせない。それは梨乃がストレートな性格だからであって、隠し事などもほとんどない、あっけらかんとした性格であることが一番だったに違いない。涼子にも同じところがあったが、
――もし、今の自分の立場で涼子と出会っていたら、浮気など考えなかったに違いない――
 と感じるに違いない。
――一体どこが違うというのだろうか?
 涼子が悪いというわけでもない。ただ、妊娠したことで、初めて自分の中に寂しさを感じた。
「奥さんが妊娠中というのは、旦那の浮気の可能性が高まる時」
 という話を聞いたことがあり、
――自分はそんなことはない――
 と思っていたにも関わらず、実際にその立場になれば、モノのみごとに嵌ってしまった。
「梨乃の魅力を一言で言えば?」
 と、もし聞かれたとすれば、何と答えるだろう?
 ひょっとすると、涼子に対して聞かれた場合と同じ答えを返すのではないだろうか?
 元々、自分が好きな女性のタイプを聞かれて即答できない性格である。優柔不断と言われても仕方がないだろう。
「要するに、あなたは相手としては誰でもいいのよ」
 と、言われたことがあった。
 その時は、自分が好きな女性のタイプとして、
「自分を好きになってくれた人」
 と、答えたような気がする。
 好きになってくれた人が相手だと、お互いに相思相愛だという気持ちが強かったからだ。なぜなら、
――好きになってくれた人を嫌いになるはずはない――
 という思いがあり、その思いは、
――自分を好きになってくれた人ではないと、うまく付き合っていく自信がない――
 という裏付けのようなものなのかも知れない。
 少し考えれば分かることのはずなのに、相手が女性だと思うと、なかなか考えがそこまで行きつかない。
――やっぱり、客観的に自分を見ないと、判断できないのかな?
 と考えることもあった。
 だが、そこまで考えても、答えが見つかるものではなかった。すぐそこに答えはあったのかも知れないが、一旦見逃してしまうと、もう見つけることはできないだろう。
 たとえば、探偵小説の中に出てくる話として、
「大切なものを隠す時は、一度警察や探偵が調べたところに隠すのがいい」
 と言われる。つまりは、
「一度探して見つからなければ、二度と同じ場所を探さないのが人間の心理」
 だと言えるだろう。
 しかも、もう一つの格言として、
「目の前にあるものほど、意外と気が付きにくい」
 と言われる。
「まさか、そんなところにあるはずはない」
 というのが心理の盲点なのだ。
 中西は、そのことまで分かっているつもりだったが、それも、何かのきっかけがなければ気が付かない。
――結局分かっていないのと同じではないか――
 と、溜息を尽きたくなるくらいだ。
 この年になって、人から言われることで我に返ることが多くなった。それまで気付かなかったのもどうかと思うが、今になってでも、気が付くだけ、まだいいのかも知れない。
 特に子供が生まれてから、自分の子供の頃を思い出すようになっていた。子供の目線になっているからなのかも知れない。
 特にみのりと木村さんのイメージは、夢の中に何度も出てきた。
 夢に出てくる二人は、子供の頃に出会ったシチュエーションとはまるで違っている。この間見た夢など、寂れた漁村にある小さな食堂のおじさんと娘だった。お嬢様のイメージしかなかったはずのみのりだったが、実際に夢で出会ってみると、違和感はない。木村さんも食堂のおやじさんの格好が様になっていて、子供の頃に出会った二人とは、見紛うようであった。
 ただ、夢の中での共通点としては、テトラポットの上で寝ていて、目を覚ましたところから夢が始まっているというところだった。
――ひょっとして子供の頃の記憶も、本当は夢だったんじゃないだろうか?
 時々、夢に見たことを覚えていることがあるが、そのほとんど、どこかに共通点があった。それが何なのか分からなかったが、みのりと木村さんが夢に出てきた時は、その共通点がハッキリと分かっている。
 夢から目を覚ました時、すぐには夢だったという意識はない。目が覚めたという意識はあるのだが、夢を見ていたという意識が目を覚ました時にはないのだ。
――では、一体いつそのことに気が付くのだろう?
 それは、まちまちだった。
 布団から抜け出して、顔を洗っている時だったり、服を着替えている時だったり、あるいは、表に出かけてからやっと思い出すこともあるくらいだ。そう考えれば、
――覚えている方が稀なんじゃないかな?
 と感じた。
 確かに夢を覚えている方が確率的には少ない。みのりと木村さんの夢は、結構覚えているので、ほとんど覚えているような気がしていたが、本当は、覚えている方が稀だとすると、ほとんど毎日のように夢を見ているのかも知れない。
――毎日夢に見るほど、自分にとって印象深い相手だったんだ――
 と今さらながらに感じ、さらに、忘れてしまったと思っている記憶も、覚えている時の記憶に吸収されて、鮮明さが増しているのかも知れない。もし、
――毎日夢を見ている――
 という意識がなければ、記憶はもっと希薄なものであり、本当に夢を覚えていたとしても、すぐに忘れてしまうに違いない。
――これが夢というものなんだ――
 と思うと、一番感じるのは、
――寝ている間に目を覚ましたくない――
 という感覚だ。
 しかもそのタイミングが、自分にとってのクライマックスの場面であれば、余計にそう感じる。得てして夢から覚めてしまう時というのは、クライマックスの時が多く、
――どうして、このタイミングで目を覚ますんだ――
 と、思わず舌打ちをしたくなるのも無理のないことだ。
 だが、本当にそうだろうか?
――夢というのは、目を覚ますにしたがって忘れていくものだ――
 という話を聞いたことがある。それは、忘れたくないという思いがある中で感じることであって、実際に忘れてしまった夢に対して思い出そうと試みても、思い出すことは不可能だ。
 どうして不可能なのかということを考えたことはなかった。
――そんなものなんだ――
 と思っていたが、
――他の夢に吸収されてしまって、一つの記憶を作り上げている――
 とも考えられる。
 その考えが真実に近いとすれば、作り上げられた夢は、「創造物」であり、同じ音である架空の「想像物」とは種類の違うものではないかと思うのだった。
 記憶がねじ曲がったものとして格納されているものがあるとすれば、
――夢が影響しているのかも知れない――
 と感じる。
作品名:記憶が意識を操作する 作家名:森本晃次