記憶が意識を操作する
眩暈を起こすのは、そんな精神状態が影響しているのだと思っていたが、それだけではないということをウスウスは感じていながら、それがどこから来るものなのか分からなかった。まさか、自分の中にあるみのりの記憶に、涼子の中でトラウマとなっていた幼馴染から聞いた話が共鳴しているなど思いもしなかった。何しろ、涼子の口から話を聞いたわけではないからだ。
涼子としてみれば、
――どうして、彼はみのりさんの話を私にしたのだろう?
という思いがあった。
別に黙っていればいいものを、わざわざしたというのは、何かの想いがあったからなのかも知れない。言葉に出しても、別に誰が得をするわけでもない。涼子に疑念を抱かせるだけ、自分に対して不利になることだからだ。
それとも涼子に対して話をしておかなければ、フェアではないと自分で思ったからであろうか。裏を返せば、涼子に対しての自分の気持ちをハッキリさせたいという涼子に対して好きだという思いを持っていたからなのかも知れない。
しかし、彼は結局涼子に告白することはなかった。それは、涼子にみのりのことを話した時、
――涼子には自分の気持ちを打ち明けても、玉砕するだけだ――
という思いがあったからなのかも知れない。
涼子は、自分がどうして中西と結婚したのか、時々顧みることがある。
中西は、結構積極的に口説いてきた方であったが、涼子は自分で、
――そう簡単に男性の口説きに堕ちる方ではない――
と思っていた。
ただ、幼馴染の彼が積極的に口説いてくれば、自分も積極的になったかも知れないと思っていた。それだけに、煮え切らない幼馴染に業を煮やしていたところへ現れた中西と、気が付けば結婚していたというのが本音かも知れない。
後悔しているわけではないが、中西との結婚のきっかけに、幼馴染が絡んでいると思うと、どこかおかしな気がしてくるのも無理のないことだった。
だが、中西と一緒にいると、
――この人は、私と似ているところが結構あるように思えるわ――
と感じた。
一番似ているところは、お互いに自分は自分だと思っているところだ。人と比較すること、比較されることが一番嫌な性格であるが、なぜか気が付けばついつい誰かと比較しているところまで似ている。二人ともおぼろげに気が付いているが、そのことを認めたくないことから、お互いに相手を深く見ようとは思わないようにしていた。
中西は、子供ができて本当に変わった。それまであまり子供が好きだとは思っていなかったのに、さすがに自分の子供だと思うと、可愛くて仕方がない。
「あの人が、ここまで変わるなんて」
と、涼子は友達にそう言っては、
「何言ってるのよ、おのろけ?」
と、からかわれていた。
友達というのは、涼子だけではなく中西にも共通の友達である梨乃のことだった。
梨乃は元々、涼子が馴染みにしている美容室で美容師の見習いをしていた。以前は他の店で働いていたのだが、そこが閉店するということで、移ってきた。
「ちょうど、一人辞めたので、少しだけでも経験のある人が来てくれてよかった」
と、マスターは言っていた。
梨乃は、美容学校を出てからまだ一年も経っていない時だったので、とりあえずは見習いとして雇っていたが、すぐに昇格させるつもりだという話だった。
梨乃は控えめなところがあるが、会話になると、饒舌なところがある。男性からも人気があり、梨乃目当てで通ってくる男性客もいるとのこと。マスターとしては、願ったり叶ったりだったようだ。
中西までが梨乃と仲良くなるというところまでは、涼子も計算していたようだが、その後の展開までは、さすがに想定外だっただろう。本当は、子供が生まれると中西に言った時点で、必要以上な喜び方をした中西に、疑念を抱くべきだったのだろう。
涼子としても初産である。当然、自分のことだけで精一杯で、まわりのことに気を配ることなど、なかなかできるものではなかった。それだけに、
――少し増長したとしても、涼子に悟られることはない――
と、中西は考えていた。
妻が妊娠した時、得てして夫の浮気が問題になることがあるが、この時の中西もそうだった。
実際に梨乃の気持ちがどこまでだったのかは分からないが、二人の接近には、梨乃の積極的な態度があったのも否めない。相手からのアプローチなしに、女性に近づくことは、中西にはありえないことだった。
涼子とは言葉は悪いが「腐れ縁」のようなところがあり、お互いに、
――将来、結婚することになる――
という青写真は出来上がっていたようだ。
後はどちらがプッシュするかということだけだが、実際にプッシュしたのは中西ではない。中西がプッシュしやすいような環境を作り上げたのは、涼子の方だったのだ。
うまく引っかかったというと、二人に失礼だが、第三者から見ると、そうとしか見えなかった。
しかも、涼子の態度はあからさまで、人に悟られても気にしないような素振りだった。そこが涼子の性格でもあり、あっけらかんとしたところが、人に人気もあった。
だが、自分がやっていることを他人にされると分からないとはよく言ったもので、他の人が自分に対して何かの策を弄していたとしても、意外と気が付かないものだった。
中西も、それほど器用な方ではない。そんな中西が梨乃と深い仲になったとすれば、他の女性なら、女の勘で、
――何か怪しい――
と気付くのだろうが、どちらかというと、前しか向いていない性格の涼子には、姑息に隠そうとしない中西に対して、疑念を抱くことはなかった。
最初こそ、妻に気付かれていないことで増長していた中西だが、どこか一抹の寂しさを抱えていた。
――どうして気付かないんだ? 俺のことが好きなんじゃないのか?
と、次第に焦れてくる中西だったが、ここまで来ると、今度は却って姑息に隠そうと目論んでしまう。
――どうして、こんな気分になるんだろう?
やっていることと、考えていることでは大きな矛盾を孕んでいるのに、それが自分の中で相手に対して焦れている意識の中で起こっていることだと分かっている。
――焦れた時の方が、結構自分のことが分かるものだ――
と、感じることが、さらに中西を客観的な目にすることに繋がってくる。
梨乃は、控えめに見えていたが、実際にはそうではなかった。行動力はある方で、決断も早い。性格的にもちょっと危ないところがあり、
――小悪魔――
と言ったところであろうか。
中西は、そんな女の子に弱さを見せるところがある。しかも、雰囲気的に似ているわけではないのに、
――梨乃を見ていると、みのりのことを思い出させる――
と感じさせた。
それは、時間がそれだけ経ったということに尽きるであろう。時間というものが感覚をマヒさせることもあれば、思い出を歪に曲げた形で思い出させることもある。危険な香りを秘めた相手を見誤らせることにもなるのだということに、その時の中西は知る由もなかった。
梨乃は最初から相手を惑わすような気はなかったかも知れない。
作品名:記憶が意識を操作する 作家名:森本晃次