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記憶が意識を操作する

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 付き合っているというのは、お互いに意識があって初めて成立するものだと涼子は思っていたので、彼が付き合っているのかどうかを聞いた時点で、付き合っていないということが確定したのと同じだと思っている。
 涼子には付き合っているという意識がないだけではなく、彼自身も、付き合っているということに疑問を持っているのであれば、それは、もはや付き合っているなどと言える代物ではないはずだ。
 涼子は、その時、自分が今まで男性と付き合うということを意識したという思いを感じたことがなかったことに気が付いた。
 その時、彼が不思議なことを口にしていた。
「俺は、ずっと以前に、今の涼子と出会っていたような気がするんだ」
「それはどういうこと?」
「涼子には、お姉さんっていないよね?」
「ええ、いないはずだけど?」
「今の涼子にそっくりなお姉さんと、俺は出会ったんだ。そのお姉さんは優しい人で、隣町にある大きな屋敷に住んでいたんだ。急に声を掛けられてビックリしたけど、気が付いたら、そのお姉さんの家に遊びに行って、いろいろともてなしを受けたんだ。その時、彼女の世話をしていた男性がしっかりしていたので、俺もその人を信用できたから、誘われれば、いつも遊びに行っていた」
「そのお姉さんが、今の私に似ているの?」
「そうなんだ。名前をみのりさんと言ったんだけど、今の涼子にソックリなんだ。それでその時に『どうして、俺なんかを誘ってくれたんですか?』と訊ねると、『海を見ている姿が印象的だったの』って言われたんだ。確かに、いつも俺はテトラポットの上で横になっていることが多かったからね」
「どうして、そんなところに?」
「どうしてなんだろう? 自分でもよく分からないんだけど、気が付けばテトラポットの上が一番落ち着く場所になっていたんだ。でも、不思議なことに、後から思うと俺がテトラポットにいたのは、誰かを待っていたからではないかと思ったんだ。その思いが実ったのか、それとも、声を掛けられたことで、最初からそう思っていたように感じたのか、どちらにしても、その時出会ったみのりさんは、俺の考えていることなど、簡単に見透かすことができるような気がしてならなかったんだ」
「そのみのりさんというのは、どんな女性だったの?」
「色白で、白いワンピースに白い帽子。本当にお嬢さんって雰囲気だったな」
「えっ? 私はお嬢さんという雰囲気なの?」
 似ていると言われれば、自分もお嬢さんに見えるということだろうかと、涼子は素直に考えた。
「いや、お嬢さんというよりも、何事にも素直な表情をする彼女に似ている気がするんだ。逆に言えば、一定の表情しかしない。つまりは、お嬢様っぽい表情が似合う時以外は、無表情なんだ」
「でも、それだったら、無表情の時の方が多くて、ぶっきらぼうなイメージが残らないかしら?」
「いや、そうじゃないんだ。俺には彼女のイメージは『お嬢さん』でしかないんだ。そういう意味では不思議な女の子だったな」
「同じイメージを私に感じるわけね? じゃあ、私のどのあたりがあなたにとっての素直な表情なの?」
 もう少しで食ってかかりそうになりかかっているのを必死に堪えて話をする涼子は、彼が何を言いたいのか、必死に探っていた。
 だが、彼の表情から、何が言いたいのかがハッキリとしない。
 一つ言えることは、
――彼が、涼子に何かを言いたいと思っているのだが、それを言ってしまっては涼子に失礼だ――
 と思っていることだった。
 実はこの思い、数年後にも感じることになる。それは彼にではなく、将来の夫となる中西にであった。それは二人が初めて知り合った頃のことで、逆にその時のインパクトがなければ、涼子は中西と結婚しようなどと思わなかったかも知れない。
 中西は、妻の涼子が、前に幼馴染と付き合っていたことは知っていたが、まさか、彼からそんな話を聞いていたとは思ってもみなかった。涼子にとって、幼馴染とのことは中西には関係のないこと。それを関連付けて考えることは、幼馴染に対しても、中西に対しても失礼なことだからである。
 しかし、涼子はいつの間にか、幼馴染から聞かされた話が中西と関係のないことではなく、その話をいずれどこかでしなければいけないのだと思いこんでいた。その思いは間違いではないだろうが、あくまでも問題はタイミングである。一歩間違うと、夫婦の危機に陥るし、すれ違いが起きてくる。かといって、何も言わないと、勝手に感情が盛り上がり、それ以降気持ちの制御ができなくなりそうであった。
 しかし、そんなことを考えているうちに、妊娠、出産と忙しい日々を迎えていた。そのせいもあってか、中西にその話をできなくなっていた。涼子にはその思いがトラウマのようにのしかかってきたのだった。
 涼子がもし、みのりが「不治の病」であることを知っていたら、中西に話をしただろうか?
 いや、却って涼子はそのことを自分の胸に抑えたまま、封印しようとしたかも知れない。だが、中西の知っているみのりは不治の病に侵されていることを後から知った中西は、却ってみのりのことが忘れられなくなってしまっていた。そんな中西のそばにいれば、言わないわけにはいかない状態に自分が追いこまれてくることを、次第に涼子は悟るのではないだろうか。
 しかし、本当に涼子の幼馴染が出会った「みのり」と、中西が子供の頃に経験した「みのり」とが同一人物なのか、それを知っている人は誰もいない。中西が知っているみのりが不治の病であることは本人の口から聞いたわけではなく、噂を聞いただけだ。幼馴染のみのりの方も、本当に本人の口から聞いたとは思えない。
 中西はみのりに対しての気持ちもさることながら、どちらかというと、強く意識していたのは木村さんの方だった。
 自分に似ているところがあると思っている木村さんは、みのりにとって、どんな存在だったのだろう?
 子供心には、父親のような存在だと思っていたが、それは、自分が育った環境において、ロクでもない父親しか知らないことで、自分の理想の父親と木村さんを重ね合わせていたのだということを次第に意識するようになっていた。
 中西は自分が父親になったということを実感していたつもりだったが、なかなか実感として湧いてくるものがどんなものなのかということが分かっていない。
――皆、自分と同じ感覚なのだろうか?
 と思った時、ハッと自分で今考えたことを否定したい気分になっていた。
――どうして、他人と比べる必要があるんだろう?
 中西は、自分が気が付けばいつの間にか、自分を誰かと比較していることに気付いてビックリさせられることがあった。
――自分は自分、人と比較することなどないんだ――
 と、常々考えていると思っていたはずなのに、無意識に矛盾した考えに至ってしまう自分に戸惑いを覚えるのだが、得てして無意識になることが多い自分としては、覚えていないだけで、普段考えていることと矛盾した考えを抱いてしまっているのではないかと思うと、不可思議な感覚に陥るのだった。
作品名:記憶が意識を操作する 作家名:森本晃次