記憶が意識を操作する
――僕の絵は、じっと見ていると、どこかが動いているような気がする――
それは錯覚だと分かっている。分かっているがそう感じるかも知れないということは、――一点だけを見ていると、まわりが見えなくなってしまい、視界から切れそうな部分は、気にしてしまうあまり、動いているように思えてくるのではないか――
ということである。
よく言えば、自分の絵には、集中して見つめる部分があるということであり、それが絵の中心にあるということだ。絵にとって大切な遠近感やバランスを崩させるだけの力を秘めた絵を、自分で描くことができているのだとすれば、中西は自分が怖くなってくるのだった。
中西が描いている絵のほとんどは風景画だった。その中に人物を描くことはほとんどない。もし、そこに人がいたとしても、中西は、人を省いて描くようにしている。要するに静止画が多いのだ。
中西は静止画を描くのは難しいと思っている。動いているものを描く方が確かに難しいが、静止画といっても、本当にまったく被写体が動かないというわけではない。そこには風の影響で動いたり、動物の息吹を感じたり、いや、植物にだって息吹がある。風景画を描いていると、余計にそのことを感じる。
――自然の摂理――
それが、静止画を描いている時に感じることだった。
中西自身は、なるべく動いていないように描いているつもりだったが、まわりの人が見ると、
「この絵はどこかに動きを感じる。それがどこなのか分からないが、探そうとして一点を見つめてしまうと、却って動きを確認することはできないように思えてくる」
と言われたことがあった。
大学に入って、絵画のサークルに入ったのだが、その時に先輩から言われた言葉だった。さらに先輩は中西の絵を見て、
「君の絵には、どこかに人が潜んでいるような気がする。君が敢えて人を描こうとしないのは分かっているが、思わずどこに潜んでいるのか、探してしまっている自分を感じるんだよ」
と言っていた。
「僕にはよく分かりませんが、先輩が言うなら、そうかも知れませんね。でも、それ以上に、自分が描く絵に人の存在は考えられないんです。僕がおかしいんですかね?」
「おかしいというわけではない。人それぞれに感性があって、君には人を感じないという性質があるというだけだ。私は感性というものは、自分の中から醸し出すものではなく、まわりから受ける感情から始まると思うんだ。だから、君が人を感じないというのであれば、君の絵の中に人が出てこないというのは君にとっての真実であり、まわりがどうこう言う問題ではないと思うんだよ」
先輩の話には一理あり、納得できる部分は十分にあった。ただ、中西自身、
――僕はいつから、人を意識しなくなったのだろう?
と、感じるようになった。
確かに大学に入って友達がたくさんできた。たくさんできた友達の中には、ただ挨拶するだけの人もたくさんいた。そんな連中まで友達と言えるのかどうか定かではないが、挨拶だけしかしない相手は、向こうも同じようにしか感じていない。
中には、こちらが挨拶をしても、返してこない人も出てきた。挨拶を交わすだけなら、友達ではないという意識を持っているのだろうか。挨拶まで億劫に感じてしまうというのは寂しいことだった。
相手が億劫に感じていると思ってしまうと、こちらもそれ以上の付き合いはできなくなる。そうやって一旦増やした友達が次第に減ってくるのだが、寂しいとは思わない。却って精錬されたという意味ではよかったのかも知れない。
絵を描くという作業も似たようなものなのかも知れない。
目の前にあるものを忠実に描くだけなら、いくらでもできるのだろうが、いかに不要だと思う部分を省略できるかというところに難しさが潜んでいるように思える。
まず、どこが不要なのかを見極めることが必要になる。
これが一番最初の作業で、さらに一番難しいものではないだろうか。ここで間違えてしまうと、すべてが終わってしまう。絵の命を、「バランス」と「遠近感」だと思っている中西は、目の前に見えていることを無意識に「真実」だと思っていることを分かっている。敢えて見えている「真実」を崩そうというのだ。そこには勇気が必要になってくるし、自分が信じていたものを崩すことで、いかにその後自分を納得させるかということが問題になってくる。
そこまで考えてくると、
――絵を描くということは、いかに自分を納得させるかということだ――
という結論が生まれてくる。
そして、中西は自分の絵を見ていて、中心だけを集中して見ていると、まわりが動いているように見えるのを感じた。
絵というものは、動いているものであっても、静止画であっても、必ずどこか一点を見つめて描くものだ。中西は中心点を先に決めて、そこから見える範囲をキャンバスに描くくようにしている。最初に決まった中心点が、不要部分の見極めにいかに影響してくるかということが、ポイントになってくるのだ。
中西は、ずっと涼子と付き合っていた。大学に入ってしばらく会わない時期もあったが、絵を描いていて、ある時期、自分に疑問を感じた時、涼子の方から連絡をくれた。大学の近くの喫茶店で会ったのだが、久しぶりに会った涼子は、大人っぽくなっていたのには少しビックリした。
もっとも、毎日大学でいろいろな女の子を見ていても、一人を見つめるように見ることはなかったので、新鮮さがそのまま落ち着きのある女性として目に映ったことは、少なくとも中西にとっての真実であることに違いない。
「元気にしてましたか?」
「うん、一人で絵を描くことに集中していたよ」
というと、
「あなたらしいわね」
と言って、少し下を向いた。
涼子が、相手の顔を見ることもなく、少し下を向いた時、それは少なからず何かの疑問を感じていることを表していた。
「でも、絵を描くことに少し疲れてきた気もするんだ。それは今までに感じたことのない寂しさを感じたからなのかも知れない」
涼子は意外そうな顔になり、
「あなたの口から、疲れたという言葉が出てくるとは思わなかったわ」
と、今度は逆にまんざらでもない顔になった。
「うん、何か分からないところがあって、それを考えれば考えるほど、答えから遠ざかっているように思えるからなんじゃないかな?」
「それは、何か堂々巡りを繰り返しているように聞こえますね。でも、得てして人は堂々巡りを繰り返すものだと思うし、あなたの口からそのことが聞けたことは私にとって安心できることでもあるんですよ」
と言っていた。
この時に話したことが、しばらく中西の中に残っていた。
絵を描くことは相変わらずだった。自分としては疲れたと思っていても、一つの日課のようになっているので、自分から日課を崩す勇気はなかったのだ。
ただ、惰性になりかけていたのも事実だった。少しずつ描く内容が大雑把になっていく。集中力がなくなっているのも事実だった。
その頃から、自分の記憶力が急に低下してきたことに気が付き始めていた。
――昨日のことですら、思い出せない――
作品名:記憶が意識を操作する 作家名:森本晃次