絶妙のタイミング
友達が街からいなくなってからというもの、彩名を取り巻く環境が変わってきたのを感じた。
それは彩名に対してだけのことではなかったのだが、彩名は自分に対してだけまわりの目の色が変わってきたと勘違いしてしまった。
この勘違いが、彩名の性格を変えてしまったに違いない。
それまでは、自分からいろいろ発言する活発な女の子だったのだが、まわりの目が気になり始めてからというもの、自分から積極的になれることは一度もなかった。まわりから言われて初めて気が付いたり、気が付いていても、分かっていなかったふりをするようになっていた。
彩名にとって、勘違いは、
――自分の身を守るためのもの――
としての認識だった。
まともに思った通りの行動を取っていたのでは、まわりの目から逃れることができないと考えた彩名は、自分を偽ることに目を瞑るようにして、まわりを欺くことを覚えた。それは自分の記憶が欠落した時期が存在しなければ、そんな発想も生まれなかっただろう。そして、
――自分が納得させなければいけない――
という発想も、他人だけではなく自分を欺く時の「抑え」として、自分の中の大切な逆説として存在していたのだ。
彩名は、何を恐れているというのだろう?
相手があるとすれば、それは男性であるに違いない。彩名は、
――自分を納得させることに失敗するとどうなってしまうのだろう?
ということについて、何度か考えたことがあったが、結論が出るはずもなく、考えてしまったことを後悔するくらいであった。それは堂々巡りを繰り返してしまったことへの後悔であり、彩名が堂々巡りについて、特別な意識を持っていることを示していた。
彩名は、中学から高校にかけて、自分でもビックリするほど暗い毎日を過ごしていた。大学生になっても、友達がそれほど増えたわけでもない。確かにそれまでに比べれば友達と言える人は増えたが、本当に友達と言える人は何人いただろう。自分にとって薄っぺらい関係が、どれほど自分を苦しめることになるのか、その頃には分かっていなかった。
その理由の一つには、
――自分と同じ性格の人がいたら、どうしよう?
というものだった。
夢を見た時、今までに怖いと思ったのが、
――もう一人の自分が出てくる――
という夢だった。
それは、自分のことを一番よく分かっている人だという意味も含まれている。自分のことを一番よく分かっているのは、彩名本人のはずなのだが、
「案外、自分のことは分からないものだ」
という話を聞いたことがあり、その意見には、彩名も賛成だった。
自分以外の人に、本当の自分を探られるのは嫌なものだ。土足で自分の部屋に許可なく入りこまれるのと同じ感覚に陥ってしまい、それが人間不信に繋がってしまうことを嫌がっていた。
人のことを嫌いになるのは、自分に原因があるということは嫌なものだ。
特に自分と同じ性格の人だと、相手も同じことを考えているに違いない。どうやっても逃げることのできない相手が目の前にいるということは、これほど怖いことはない。
彩名は、自分と似た性格の人はいないだろうと思っていた。それだけ自分は他の人とは違うと思っていて、似ている人が現れたとすれば、かなりのショックを感じるに違いない。
だが、実際に本当に似た性格の人が現れればどうだろう? まったく近寄る気がしないか、あるいは全面的な信頼を置くかのどちらかではないだろうか。極端ではあるが、彩名にとって、どれほど衝撃的な出会いになるか、想像もつかなかったからだ。
そんな相手が現れるというのは、いつの時でも突然だったりする。
――あの時に、前兆のようなものがあったな――
と感じることもあるだろうが、それは結果から推測するものであって、実際には、突然現れたという印象に勝るものはない。
その人との出会いは、出会いのある場所ではなかった。最初は仕事上の出会いだったが、二度目に出会ったのは、本当に偶然だったのだ。
だが、仲良くなってから、
「君は僕たちの出会いが、僕が君の会社に営業で行った時が最初だと思っていないかい?」
「えっ、違うんですか?」
「やっぱり、そう思っていたんだね。実はそれ以前にも会ったことがあるんだよ。それも、最初に声を掛けてきたのは君の方だったんだ」
ますます、彩名の頭は混乱してきた。
「君は、会社の同僚の人と一緒に食事に出ていたんだと思うんだけど、その時の君は、本当に面白くなさそうな表情で、僕自身も、あの時の女性がまさか今の君だとはすぐには分からなかったくらいだからね。でも、君はそんな中でも、通路ですれ違う時、出会いがしらになって、もう少しでぶつかりそうになった時、恥かしそうに『ごめんなさい』って言ったんだ。その時の顔が僕には印象的だったね」
「どういう風にですか?」
「ここまで表情が変わる人は見たことがないという思いが強かったね。だから、僕はその時の恥かしそうに俯いていた君の顔を忘れられないんだよ」
と、話していた。
彩名はその話を聞いて、顔が真っ赤になってしまった。だが、彼が言ったその言葉の裏に、
「あなたのことを最初から意識していたんだよ」
と言いたいのだということが、よく分かった。
人の話を聞いて、そこまで自分を感じることはなかなかないはずなのに、どうしたことなのだろう?
どちらかというと、人と話をしていても、絶えず自分中心に考えるので、相手が言いたいことまで気に掛ける必要などないと思っていた彩名が、相手のことを考えるなど、それまでにはなかったことだ。
それも、相手のことを考えようと思って分かったことではない。彼の話を聞いていると、不思議と彼のことが手に取るように分かる気がしてきただけなのだ。それだけで相手のことを分かるというのは、元々そういう力が自分の中に備わっていたということなのか、それとも、自分にしか分からない性格が、相手によってあるのかも知れないということなのか、彩名はいろいろ考えてみた。
そして得た結論として、
――この人は、私と似た性格を持った人なのかも知れない――
という思いだったのだ。
その人との出会いには、前兆のようなものがあった。いわゆる「虫の知らせ」とでもいうべきなのだろうが、今まで彩名は、「虫の知らせ」のようなものを信じてはいなかった。
「虫の知らせ」というのは、後から考えた時に、辻褄を合わせているようで、どうにも好きになれなかったのだが、考え方を変えることで、信じることができるようになった。それは、デジャブとの関係である。
デジャブというと、
――現実世界ではなく、夢の世界に反映されるものだ――
という考えを持っていたが、彼との出会いは、元々夢から始まっていることを考えると、デジャブを無視できなくなっていた。
デジャブが夢の中での「虫の知らせ」のようなものであるとするならば、夢の世界の方が現実よりも、よっぽど理屈に適っているかのように思えてきた。
考えてみれば、夢というのは自分だけの世界として展開されるもので、これほど自分本位なものはない。