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絶妙のタイミング

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「女性らしい考え方だね。彩名の言っていることは一見、人情っぽい発想に見えるけど、その実、現実的な考え方なんだね。女性ってロマンチックな性格に見えるけど、実際には現実的な考えを持っている人が多いというのと似ているね」
「それも男性の偏見なのかも知れないわよ。あながち、女性というのは、男性が思っているよりも考えの幅というのは広いと私は思うわ」
「でも、僕が思っているのは、女性というのは、何か結論を出さないといけない時、まわりに自分の気持ちを話す時、最初は決まっていないような言い方をするけど、本当はもっと前から結論が出ていることが多いというからね」
「そのことは、他の人からも言われて分かっているわ」
 彩名はまたしても、自分の考えていることが、最初から決まっていたのだろうということを、まわりから納得させられた。彩名にとっては、絶えず意識していないといけないということなのだろう。
 信二は、彩名が、嫌がり抗う姿が想像できた。それは子供の頃に見ることができなかったことで、気持ちを封印してしまった過去を持つ信二だからできたことだ。
――彩名という女は一体どういう女なのだろう?
 信二は、彩名の中にどうしても見ることができない空洞はあることに気付いていた。彩名もその空洞は意識しているはずだ。その空洞に欠落している記憶を入れてみればどうなるだろう? ピッタリと埋めることができるのだろうか?
 空洞の大きさは、他に何かピッタリ埋まるものがあるようにも思えていた。
 それは彩名にだけ自覚しているものだったが、それを本当に意識し始めたのは、信二と再会してからだ。
――本当は、自分の中に空洞などなかったのだ――
 欠落した記憶の部分が、確かにその場所にはあったはずだ。
 しかし、彩名はずっとその大きな空洞の存在を知らなかった。なぜなら、その空洞は最初からあったわけではない。記憶が欠落したあとでも、空洞となっている場所には、何かがあったはずだ。
――一体何があったのだろう?
 そこで彩名が気になったのは、自分が躁鬱症だということである。
 それも、最初から躁鬱症だったわけではない。何かがきっかけになって躁鬱状態を引き起こした。それがそのまま自分の性格になってしまった。躁鬱症という性格を持っている人は、彩名に限らず、誰もが同じなのではないだろうか。そう思うと、きっかけとなったことが気になってくるのだった。
 彩名の心の中の空洞は、元々、小さな穴だったのかも知れない。
 一気に穴が空いたのだとすれば、最初から穴の存在を分かっていたはずである。分からなかったということは、徐々に身体を蝕む何かがあったことになる。
 躁鬱症の鬱状態が伝染するものだということを意識していた彩名だが、身体の中に穴が空いてきたのは、ひょっとすると、何かの伝染病のようなものが原因なのかも知れない。本当に伝染するものなのかどうかは分からないが、もし伝染するものだとすれば、それは、トラウマのように、心の中に封印したいものがあって、それを封印した時の間隙をぬって一気に入り込んでくるものなのかも知れない。
 しかも、その時のスピードは瞬時でなければいけない。そうでないと気付かれてしまうからだ。
――これこそ絶妙のタイミングだと言えるのではないか?
 と彩名は思っていた。
――彩名の空洞は、躁鬱症が招いたものなのかも知れない――
 信二は、そう思った。
 彩名の性格が躁鬱症を含んでいるということに気付く前に、信二は彩名の心の中に空洞を見つけた。躁鬱症を見抜くよりも簡単なことだったのかも知れない。
 だが、彩名の躁鬱症は、すぐに看過できるものではなかった。本人は結構意識しているが、意外とまわりはそれほど意識していない。人の性格というのは、自分で分かっている場合は、まわりにはあまり意識されることはないが、逆に自分で分かっていない性格は、まわりから見れば一目瞭然のようだ。
 なぜなら、自分の性格の、特に核心部分は、本人が表に出さないようにするからだ。これは意識していても無意識でも同じことで、本人が意識していることは、なるべく表に出さないようにしているのだから、他人も意識しないだろう。しかし、本人に意識のないことは、垂れ流し状態で表に出てくるので、その人の性格をまわりが知ることは、それほど難しいことではない。
 信二は、彩名の空洞だった部分をどうして見つけることができたのかというと、ちょうど、信二が彩名の心の中を覗いた時、それが躁と鬱の入れ替わる時だったからである。
 これも一瞬の間隙というものを、絶妙のタイミングで見破ったのだ。この場合は偶然という言葉も使えるのかも知れない。絶妙のタイミングも、何か他に有効な手段が絡むことで、ランクアップするからだ。
 そういう意味では、漠然とした言葉であるが、偶然という言葉の持つ力が分かってくる。
 偶然という言葉は、幅が広いというだけではなく、相容れることのできないはずの、
――力に有効性をもたらす――
 ということができるもので、二つ以上のランクアップが存在することで、偶然を説明できるところまで、近づくことができるのだ。
 信二は、彩名の中にある空洞が、以前に自分が招いてしまったことが原因であることを分かりすぎるくらい分かっていた。
 信二は彩名が自分のことを慕ってくれているのを分かっていた。分かっていて、彩名に取り返しのつかないトラウマを残すことに一役買ってしまったのだ。
 今の彩名は、信二を昔の信二だとは思っていない。別人のような感覚になっている。視線を見れば、大体のことが分かると思っているが、今の信二は彩名を正面から見ることができている。だが、子供の頃の信二は違った。彩名の目を正面から見つめることはできなかったのだ。
 ただ、彩名が信二を意識して目を合わせようとしている時に、信二が目を逸らしたからだ。意識してのことではなかったのかも知れない。それだけに、信二の心根が分からない。意識せずに目を逸らしたということは、彩名に対して特別な感情を抱いていることになるからだ。
 それを恋心だと思うには、まだ二人は幼すぎた。それよりも、彩名に対して後ろめたい気持ちを持っていると思う方が自然ではないだろうか。信二が彩名を必要以上に意識している。それこそ、信二の中にトラウマが生まれた瞬間だったのかも知れない。
 それなのに、信二は彩名から遠ざかろうとはしなかった。一定の距離を保ちながら、近づくわけでもなく、離れるわけでもない。彩名は、そんな信二の挙動を、子供の頃意識することはなかった。それなのに、大人になって、信二と出会うことで思い出すことになるというのは、
――子供の頃、意識していなかったつもりでも、記憶として残っていたということなのかも知れない――
 と思った。
 意識していなかったということを記憶していなければ、いくら記憶していたとしても、思い出すことはなかったのではないかと思った。
 彩名は自分が記憶している中のものの時系列がバラバラであることを意識していた。思い出せたとしても、それがいつのことだったのかハッキリしないことも少なくない。
作品名:絶妙のタイミング 作家名:森本晃次