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絶妙のタイミング

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 彩名の記憶が欠落している時期、つまり、小学生の低学年のこの頃、欠落した記憶に対し、
――絶対に忘れたくない――
 という強い意志があったとすれば、それ以降の人生が変わっていたことは間違いないだろう。
 だが、それがどれほど大きな変化となるかは、分からない。思い出す必要もないような気がする。
 だが、二十五歳の今になって、彩名は信二と再会した。これが偶然ではないにしても、一体、時代の流れは、彩名に何をさせようというのだろう?
 時間の流れが微妙に違っているのを感じた時、彩名は信二を強く意識し始めていた……。

                 第四章 結論は最初から……

――彩名は、気が付いたのだろうか?
 信二は、彩名との再会を心待ちにしていた。彩名のことを再度思い出し、意識し始めたのが、二十歳の頃だった。
 それまでの信二は、
――いつも自分は一人で、孤独な人生を歩んでいる――
 と思っていた。
 それでいいと思っていたのは、子供の頃の思い出が、彩名のことでいっぱいだったからだ。
 彩名のことが好きだったという思いももちろんあったが、何よりも、
――彩名に対してすまない――
 と思っていたことだった。
 彩名の記憶が欠落していることまでは知らなかったが、彩名は必死に忘れようとして、思い出さないようにしていることは分かっていた。そのために、かなりの苦痛を味わったのではないかと思うと、すまないと思う気持ちがさらに大きくなって行く。
 ただ、信二自身には自覚がなかったが、彼もかなりの苦痛を味わっていた。
 信二が味わっている苦痛というのは、ストレスを伴うものだった。他の人が同じような苦痛を味わっているとしても、ストレスを伴うことはなかったかも知れない。ストレスを伴わなければいけないのが信二の性格から来るものだとすれば、
――どうして、僕なんだ?
 と、信二自身が意識しているとすれば、きっとそのように感じるかも知れない。
 世の中の理不尽さが、こういうところでも滲み出てくる。
 信二にとってみれば、自分が悩みを感じていることよりも、彩名の中に残してしまった悩みの方が大きくのしかかってしまい、それが幻影のようになって、信二のトラウマとして残ってしまった。いずれ、再会することになるであろう彩名に対し、どんな顔で再会すればいいのか、考えあぐねていた信二は、
――まだ再会には時期尚早――
 と思うことで、再会しないことを望んでいるもう一人の自分の存在を、自分に納得させようとしていたのだ。
 友達がいないのは今も変わりないが、二十歳までの信二は、いつも何かに怯えていた。彩名とは違う意味での躁鬱症だった。彩名との一番の違いは、信二が自分の躁鬱症の理由を分かっているというだけで、分かっていてもどうしようもないのが、躁鬱症なのだ。
 躁鬱症というのは、理由が分かっている場合と、分かっていない場合の二つが存在する。信二の鬱は、人に対しての悪いという気持ちから来ているものだった。
 最初は、誰に対して悪いと思っているかということを意識していなかった。人に悪いと思うようになったのは、子供の頃からだったが、最初に感じたのが彩名だったということだけは覚えている。
――彩名は、僕のそんな気持ちに気付いていないだろうな。もし分かっていたとすれば、僕を許せないと思うはずだ――
 彩名の記憶の一部が欠落していることを、信二は知らない。
 普通、子供の頃の知り合いと十年以上ぶりに再会すれば、話題というのは、子供の頃の話題のはずである。しかし、信二は子供の頃の話題に触れようとはしなかった。信二にとっても子供の頃の話題は、自分の中でタブーだと思っている。彩名が意識していないのならこれ幸い、わざわざ思い出させるようなことはしたくない。
 信二の子供時代というと、近所に住んでいた一つ年上の先輩が大きな影響を及ぼしていた。
 先輩は信二のことをどう思っていたのか知らないが、信二は先輩に逆らうことができなかった。
 相手が先輩でなくとも、信二は自分に対して高圧的な態度を取る人に対して、抗うことができなかった。
 それは信二が性格的に、
――まわりの人は皆自分よりも優れている――
 と思っていたからだ。
 抗うことなどとんでもない。自分に指示する人のうことはきかないといけないという考えは、まるで自分の意志を持たないロボットのようだ。
 信二は自分のそんな性格が嫌いだった。だが、自分ではどうすることもできない。自分が抗うことを相手に納得させることができないからだ。
 ここが彩名と似ているところだった。相手を納得させることを必要だと考えるのは、まず自分が納得しないといけないと思う。自分を納得させることを一番に考えるところが、彩名と似ているところである。
 彩名が自分を納得させることを意識するのは、これから行おうとすることが、果たして自分の考え方に沿っているものなのかということを最初に考えてしまうのだが、沿っていない時、自分を納得させなければならないと思う。信二も同じなのだろうが、順番が違っているのだ。
 彩名は、まず自分の中から考える。しかし、信二の場合は、自分というよりもまわりから、その人たちの目になったような気持ちになって自分を見つめる。見つめることで、自分への納得が必要なことであれば、その時初めて、自分を納得させることを考えるのだ。
 信二は、先輩のいうことには、服従していた。
「頼りになるお兄さん」
 というイメージが先輩にはあり、先輩のいうことには間違いはないと思っていた。
 途中から、
「あれ?」
 と思うこともあったが、
――先輩のいうことは絶対だ――
 と思っていたこともあって、先輩のいうことに逆らう気持ちにはなれなかった。先輩に逆らうということは、
――自分を納得させられない――
 ということだった。
 自分を納得させるには、先輩を信じているという自分の気持ちを、それが間違いだったということを理論的に説明できなければ、納得させられない。
 だが、それ以上に、
――先輩が信じられないのなら、誰を信じればいいんだ――
 先輩を信じられなくなると、自分が孤立することになる。孤立してまで、先輩から離れるメリットがあるというのだろうか?
――先輩の行動も、今の自分が納得できるかどうか分からないという程度の曖昧なことであり、リスクを犯してまで、先輩に逆らうことができるだろうか?
 そう思うと、今ここで先輩に逆らうことは、得策ではないと思ったのだろう。
 もちろん、これは大人になってから、過去を振り返って感じていることだ。子供の頃にここまでの思考能力があるはずもない。
 しかし、過去を思い出していくうちに、その時々で、信二は自分を納得させてきたような気がする。
 もちろん、若干の妥協もあっただろうが、基本的には、先輩に逆らうことはなかった。
 先輩は、信二のそんな気持ちを知ってか知らずか、
――こいつは、命令すれば何でもやるやつなんだ――
 と思っていたのだろう。
 そういう意味では、お互いに相性は合っていたのだろう。
 ただ、先輩が信二の思っているほど、まわりのことを気にしていなかったことを知らなかったようだ。
作品名:絶妙のタイミング 作家名:森本晃次