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絶妙のタイミング

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 元々、話しベタだった彩名である。話す機会が増えたといっても、何を話していいのか分からない。下手に口を開いて、相手の心証を悪くしても仕方がない。数人のグループというのが幸いしてか、なるべく目立たないようにしていた。
 すると、そのうちの一人が、
「彩名ちゃんって暗いわね。何か喋ればいいのに」
 と、余計なことを口にした。
 まわりの視線は、彩名に向けられる。彩名はまわりを見ながらしどろもどろだ。
――早く時間が過ぎてほしい――
 と思っていると、本当に時間が早く進んでくれたのか、
「放っておきましょう。こんな子相手にするだけ時間の無駄よ」
 と、彩名は端っこに追いやられた。
 時間の無駄だと言った子は、それで彩名が困った顔になるのを待っていたようだが、彩名の表情が変わらないことで、彩名に対して恨みに近いものが芽生えたようだ。
 その時から、彩名は嫌がらせを受けるようになった。嫌がらせは皆から受けていたわけではなく一人からだったので、比較的軽度なもので、しかもすぐに止んだ。彩名もまわりに嫌がらせを受けていたことを黙っていたので、この二人の間に起こったことは、すべて誰も知らないことだったのだ。
 その女の子は、少しして引っ越して行った。彩名は、
――自分のせいだ――
 と思うようになっていた。しかし、すぐにそのことも忘れてしまっていたが、彼女のことを思い出したのは、彼女の家がお金持ちだということだった。
 それまで住んでいた彼女の家は、廃墟となり、誰も住む人もおらず、草が生え放題になていた。
 彼女とのわだかまりが起きる前、友達を招いての誕生日パーティを開いた時、彩名も彼女の家に初めて入った。
 大きな家だった。表から見るよりも、中は広く感じられた。その時が、彼女の家に行った最初で最後となったのだが、彩名の記憶は、パーティの豪華さよりも、無駄に広い家に吹いた横風のイメージだった。
 パーティは賑やかだったが、印象としては、思ったよりも質素だった。主役が目立つのは当然のことだが、彼女は別に自分から目立とうとしなくても、十分目立っていた。まわりも同じことを考えていたのだろう。下手な演出で興冷めしている人もいた。
 しかし、彼女にはまわりから目立たせるものが必要だった。自分からは決して光を放とうとしない、そんな雰囲気をまわりが気を遣ったのだ。
 彩名は、そんな彼女をいつも他の人とは違った目で見ていた。自分でも違った目で見ているという意識はあったが、それが相手を傷つける目だということには気付かなかった。
 廃墟になった彼女の家に入ってみると、建物の奥に井戸があるのが見つかった。
――あのお屋敷の奥に、こんな井戸があったなんて――
 井戸というと、旧式の和風建築の家に見られるものというイメージがあった。
 今でこそ、昔のイメージをとどめていないが、西洋風屋敷としての佇まいは、威風堂々としたものだった。少なくとも彩名が知る限りでは、和風建築が施されていたというイメージはどこにもなかったのだ。
 井戸は、草が生い茂った中にポツンとあり、
「よく見つけることができたわ」
 と思うほど、まわりは、散々たるものだった。
 さすがに井戸に近づくのは怖く、遠くから見ていると、井戸のまわりに生い茂った叢が、次第に暗黒を帯びていくのを感じた。
 井戸を見ていると、逃げ出したくなる衝動に駆られた。それは、得体の知れない恐怖から逃げ出したいという思いではない。もっと現実的な思いだった。
 現実的でもあり、切実な感覚は、彩名にとって、思い出したくない記憶の一つがそこにあることを示していた。
――確かあの時は、親に対しての確執があった時で、家に帰りたくないという思いの中、どこに行くとも知れず彷徨っていると、井戸の近くまで来ていたような気がした――
 その思いは、ここだったわけではないが、この屋敷に井戸があるなど知らなかったはずなのに、井戸を見つけることができたのは、まわりの雰囲気が井戸を思い出させるに十分な雰囲気だったからだ。
 彩名は、自分がその時誰かを好きだったのを覚えている。その男の子とはうまくいかなかったが、その時、いつも彩名の意識の中にいたのが信二だったということを、思い出すことができた。
 信二を好きだったわけではないが、しつこいほどに意識に入り込んできた信二を、気にしないわけにはいかない。もちろん、嫌いだったわけではないので、好きになろうと思っていたような気がする。
 だが、信二を好きになる寸前で、自分の中で何かが起こり、信二を好きになってはいけない何かが生まれた気がした。それは信二が悪いというわけではなく、あくまでも彩名自身の問題だった。
 彩名はその時、信二と離れてしまうことを意識していた。それが小学生の頃のことであって、再度、信二を意識するようになったのは中学に入ってからのことだった。
 中学生になると、他の人に比べて、大きな変化ではなかったはずだが、少なからず、男子を意識するようになってきた。その時思い浮かんだ相手は、信二以外にはいなかったのだ。
 だが、その時信二も同じように思春期だった。そんな当たり前のことを考えられないほど気持ちに余裕がなかったのか、信二が、彩名の他に好きな人がいるということに気付かなかった。
 最初は相手が誰なのかまったく想像もつなかなかったが、まだまだ子供の彩名には、足元にも及ばないほどの女性なのは確かだろう。
 彩名には、その女性と競い合ってでも信二を自分のものにしたいという思いはなかった。思春期の時の彩名は控えめで、好きになった人に他に意識している人がいれば、簡単に諦められるだろうと思っていた。信二に対しても同じことで、相手の女性がどんな人なのか気にはなったが、基本的に、
――その人から奪い取ろう――
 などという意識までは持てなかった。
 理由は、
――自分に自信がないからだ――
 と思っていた。
 人と競争して勝てればいいが、もし負けてしまったら、情けないだけだ。好きな相手からは、惨めに見えることだろう。
 好きな相手には振り向いてもらえず、さらに惨めに見られてしまっては、これ以上情けないことはない。それだけは避けたかった。
 そんな気弱な気持ちというのは、相手にも伝わるものなのだろう。信二を競い合っている相手の女性は、これ以上ないというほど、自信に満ち溢れているように見えた。
 子供の頃の彩名は、自分に自信を持てる時期は、本当に自信過剰なほど、まわりに対して高圧的な態度を取っていた。本人には、そこまで高圧的な態度だとは思っていなかったのだろうが、
――まわりの人には負けたくない――
 という思いがいつの間にか、意識の中で大きくなっていて、自信過剰な時ほど、まわりを意識してしまっていた。
 冷静になって考えると、まわりを意識している時というのは、本当の自信を掴めていない時だと思えた。子供の頃の自信というのは、環境が少しでも変わって、心境が変化してしまうと、吹けば飛ぶような軽石のような自信しか持っていなかったことになる。彩名はそんな自分を意識の中にいる自分が追い詰めていたような気がして仕方がなかった。
作品名:絶妙のタイミング 作家名:森本晃次