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絶妙のタイミング

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 それが思い出していいことなのか、悪いことなのか、最初はハッキリとしなかった。ただ、思い出せそうな気がするのは事実で、思い出そうとすると、吐き気を催してくることから、いいことではないと思えてきたのだ。
 嫌悪感が嵩じて吐き気を催すというのは、よほど自分のトラウマになっていることに牴触するような内容なのだろうと想像できる。彩名が持っているトラウマとは、決して人に知られたくないものだと思っているのに、香織にだけは知られているような気がして仕方がない。
――知られてしまったのならしょうがない――
 と思うしかないのだろうが、彩名は香織がどこまで知っているのか気にはなったが、自分以外にも誰かが知ってくれていると思うと、却って安心できるような気がしてきた。
 ただ、一つ気になっているのは、
――香織に自分の過去を見透かされているような気がする――
 という感覚で、自分ですら思い出すことのできない過去を、他人が知っていると思うのは、背筋が寒くなるような思いであった。彩名にとって香織は、
――自分から決して離れてはいけない相手――
 という認識を持つようになっていた。
 もし、彩名が過去の記憶を失っていなければ、そんなことは思わなかっただろう。香織は過去を思い出させてくれる相手として、付き合っていかなければならないことになる。
――私は、そんなに過去を思い出したいのかしら?
 過去なんて、余計なものであって、思い出す必要などないと思っていた時期もあったが、素直になって考えてみれば、欠落したどの部分が、今後の自分の人生に影響を与えるか分からない。知っていなければいけないはずの過去を知らないことが、これから先、自分に何をもたらすというのか、彩名はそのことが気になっていた。
 今、直接困っているわけではないことを、あれこれ考えてしまって、余計な回り道をしているのであれば、
――ただの取り越し苦労で済んでよかった――
 と、ホッと胸を撫で下ろすだけでいいのだが、もし、何も考えずにいきなり困難にぶつかって、その場から動くことさえできなくなってしまうことを考えると、
――取り越し苦労であっても、別にいい――
 と思うようになっていた。
 香織を見ていると、どんどん自分の記憶が遡ってくるような錯覚を覚える。
 中学時代を通り越し、小学生の頃の自分に戻っている。そこまで高速でワープした意識を持っていたが、急に何かにぶつかってしまい、完全に進行を止められてしまった。
――何か、見えない壁があるようだわ――
 壁の向こうに立ち塞がっているのは、小学生時代の自分だった。まだあどけない表情ではあるが、その顔は狂気に満ちていた。明らかに何かに怯えている様子である。
 後ろばかりを気にしている。見えない壁に気付かないのか、必死に逃げようとしているのに、そこから先に進んでいないことを分かっていないのか、それでも必死に前に突進を繰り返している。
「もういいから、横に逃げなさい」
 思わず声に出して、指示をしても、その子は、まだ必死に見えない壁を押し続ける。
 追手が追いついてきた。見覚えのない男性が数人、よってたかって一人の女の子を追いかけている。
 相手は子供の頃の自分を追いつめているはずなのに、それより先に入ってこようとはしない。入りこもうと、間合いを詰めてはいるが、最後の一歩が踏み出せないのだ。
――相手も何かに怯えている。何に怯えているのかしら?
 追手の一人と目が合った。彩名は、
――しまった――
 と思い、顔を背けたが。相手は彩名に気付いていないようだ。
――そうか、私が見えないんだ。それなのに、明らかに怯えのその先にいるのはこの私、他の誰でもない――
 と、思うと、相手から見えないのをいいことに、ダメもとで、やつらの顔を凝視した。
 すると、彼らはビックリしたかのように、半歩後ろに下がって、すごすごと帰っていった。
――助かったわ――
 と思ったが、当の子供の頃の彩名は、今まであれだけ怯えていたかというのに、急に真顔になって、すっくと立ちあがり、何事もなかったように歩き出した。
 真顔というのは、無表情とも言い換えることもできる。その横顔を見た彩名は、
――何て涼しそうな目なのかしら?
 ゾッとしてしまうほどの冷徹な目、本当にあれが小学生の目だというのだろうか。しかも、自分の子供の頃のことである。
 確かに自分の顔を自分で見るというのは、鏡という媒体でもなければ無理なことだ。毎日顔を洗う時に見てはいても、自分の表情を意識して見ているわけではなかった。化粧には気を遣っても、表情まではなかなかチェックはしない。
 それが小学生ともなると、化粧するわけでもなく、ただ、鏡に写った自分の顔を眺める程度である。
 その顔はいつも無表情だったと思ったが、別に怖いとは思わなかった。
――ひょっとして大人になってから見るから、怖く感じるのかしら?
 子供の頃、自分の顔だと思って見ているからこそ、別に意識していないが、大人になって自分の顔と対面すると、
――本当にこれが自分の子供の頃の顔だというの?
 というほど、想像を絶するものだったに違いない。
 小学生の頃と今とでは、感受性も違えば、考え方も違う。
 子供の頃は、いくら将来があると言っても、あまりにも先が長すぎて、想像することもできない。しかも、自分がまだ大人になりきれていない中途半端な子供だという意識があるからだ。
 だからといって、早く大人になりたいとは思わなかった。
 友達の中には、
「早く大人になりたい」
 と、口にしている人もいたが、彩名には何となく分かっていた。
――大人になりたいなどと口にする人ほど、本当は大人になることを怖がっているんだわ――
 という思いである。
 彩名も、少しでも性格が違っていれば、その友達のように自分からまわりに吹聴していたかも知れない。それをしなかったのは、他に吹聴をしている人がいて、自分も同じだと思われたくないという考えと、
「じゃあ、どんな大人になりたいと思っているの?」
 と、一つでも、質問されると、どんな質問に対しても、まともに答えを返せる自信がなかったからだ。
 彩名が、大人しくなってしまった原因は、やはり欠落している記憶の中にあるのは明白だった。今の自分が何を思い出しても、あんなにまわりに対して無関心で、何も考えないようにしようなどという思いを抱いたりはしないはずだからである。
 ただ、子供の頃のことを今思い出そうとすると、確かに、
――見えない壁――
 というものにぶち当たっていたような気がしてきた。子供の頃はもちろんのこと、高校時代などにも、子供の頃を思い出すことはあったが、同じようなシチュエーションの中で、前に進めなかったという意識があっても、そこに「見えない壁」が存在していたなどという意識はなかったのだ。
 今の彩名は、子供の頃よりも明るくなった。子供の頃には、将来が想像できていなかったはずなのに、明るくなった今の方が、将来に対して失望感が強くなっている。
 それは、子供のころからの後悔が大きいのかも知れない。
――あの時、ああしておけばよかった――
 などという考えは、誰にも一つや二つはあるものだ。
作品名:絶妙のタイミング 作家名:森本晃次