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絶妙のタイミング

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 ただ、次郎とは仲が悪かったわけではない。むしろまわりから見ると、仲睦まじく見えたかも知れない。それは、彩名にとって、余計に辛いことだった。自分から別れることをしない以上、まわりには、仲がいいと思わせなければならない思い。自分を納得させるどころか、自分を偽ってでもまわりの目を気にしなければいけない自分が腹立たしかったのだ。
 次郎はどう思っているのだろう?
 彼の様子を見る限り、何を考えているのかよく分からない。いつも笑顔を彩名に向けていることを思えば、彩名の気持ちまでは分かっていないのかも知れない。それとも、分かっていて、自分の優位性を鼓舞しようとでもしているのだろうか? 彩名には分からなかった。
 ただ、これもすべて彩名の考えすぎなのかも知れない。別に次郎は彩名の嫌いなタイプでもなければ、彼が彩名の嫌なことをしているわけではない。ただ、彼に優位性を持たれているような気がするだけで、それ以外は、普通の恋人同士と変わりはない。自分が想像していた彼氏とどこも違わないのに、なぜか時々イライラしてしまう。そのイライラの原因が分からない以上、彩名は次郎と別れることもできないのだ。
 次郎と出会ったのは、九月頃だったろうか。まだ、残暑の厳しい頃のことだった。それでも風が吹けば、少しは涼しく感じていたし、夜ともなると、それまでうるさかったセミの声は鳴りを潜め、秋の虫の心地よい音色が聞こえてくる頃だった。
 次郎との会話は、ほとんどが次郎からの話題で、彩名はそれに答えるだけだった。答えると言っても、意見を言うわけではなく、頷いたり、愛想笑いを浮かべる程度だった。
――そんなことは彼に分からないはずはないのに、どうして、嫌な顔一つしないのかしら?
 いつも暖かく見つめられているようで、時々、針の筵に座らされている気持ちになり、やりきれなくなる。
 次郎は、焼き鳥屋のような庶民的な店を好んだ。一緒に行くのも炉端焼き屋や焼き鳥屋が多く、それぞれに自分の馴染みの店を持っていた。
 彩名は、そんな次郎が羨ましかった。
 自分にも馴染みの店があるにはあるが、昼下がりの喫茶店だったり、洒落たバーだったりと、次郎の趣味とはかけ離れていた。
 次郎は、自分の馴染みの店に彩名を連れて行くのを誇らしく思っているようだが、彩名は、とても次郎を自分の馴染みの店に連れていこうという気にはなれない。いかにも場違いだと感じるからだ。
 本当は一緒に行けるような彼氏だとよかったのにと彩名は思ったが、逆に自分の居場所を他の人に知られたくないという気持ちもあり、そういう意味ではこれでいいと思っていたが、やはり、誰かに、
――私は一人ではない――
 というところを見せつけたくなる気持ちもあるのだった。
 居酒屋自体は、彩名も嫌いというわけではないのだが、連れて行かれて、彼の自慢の種にされるのは、少し複雑な気がした。
 なるほど、確かに冷やかし半分含まれてはいながらも、ちやほやされるのは悪くないが、結局、おいしいところは彼に持って行かれるような気がして、どうにも納得いかない部分があった。ただ、それでもただ黙っていればいいだけなのは気が楽で、たまには、彼に花を持たせるのも悪くないと思っていた。
 居酒屋の中で一人だけ、気になる男性の存在があるのに気が付いたのは、その店に行くようになって三度目のことだった。
 その男性は、次郎とは、それほど仲がいいわけではなさそうだ。
 もっとも、他の人も似たり寄ったりで、ただ、仲がいいふりをしているだけという集団意識の元で付き合っているだけの人も少なくない。
 女性の場合は、そんな場合は露骨に見えているのだが、男性はどうにも分かりにくい。きっと分かってしまえば、一目瞭然には違いないのだろうが、彩名には、
――見たくないもの――
 という分類の最たるものとして、見て見ぬふりをしていたのかも知れない。
 彩名は、女性の間のドロドロしたものも、いつも見て見ぬふりを続けてきた。その時に、見たくないものに対しての対応も身についたのかも知れない。いずれにしても、無意味なノウハウであることに違いはなく、
――そんなものを感じなければいけないのであれば、友達なんかいらない――
 と考えるのも無理もないことだった。
 次郎との仲が、少しその頃からマンネリ化してきたのを彩名は感じていた。気になる男性が現れたのも、ちょうどその時で、マンネリ化してきたように感じたから、彼の存在に気付いたのか、彼の存在に気付いたことで、マンネリ化が自分の中で表面化してきたのか、ハッキリとはしなかった。
 声を掛けてきたのは彼の方だったのだが、それも、彼に声を掛けさせやすくしたのは彩名の方だった。
 彼の名前は、隼人と言った。隼人を見ていると、彼の行動パターンが目に見えてくるのだった。
 次郎に対して持てなかった優位性を、隼人には持てるような気がした。ただ、次郎との出会いには予感めいたものがあったにも関わらず、隼人との出会いには、予感めいたものはなかった。
――なぜなかったのだろう?
 予感というのは、相手が自分のことを分かる人であれば、その人に予感があるのかも知れないと思うと、自分が次郎に対して感じた予感の説明がつく。そうなると、隼人に対しては、彩名の方が予感を感じるわけではなく、隼人の方に予感があったと思うのだ。
 次郎は、普段から高圧的な態度を彩名に見せていたが、彩名はそんな次郎に逆らう意志を持てなかった。他の男性で自分に高圧的な態度を示して来た人がいれば、最初からその人とは合わないと思い、無視することもあったにも関わらず、次郎にだけは、無視もできず、離れることもできなかった。
 そのせいもあってか、ストレスは溜まる一方だった。他の人にストレスが溜まっていることを知られるのは仕方がないとしても、その理由がどこにあるのかだけは、知られたくなかった。
 彩名にとって、次郎は目の上のタンコブであり、そんな時に現れた隼人は、次郎に対してストレスを感じている彩名にとって、絶好のストレス解消の相手だった。
 かといって、謂れのない苛めをするほど、彩名は性悪ではない。ただ、隼人の困ったような顔を見るのが、一つの快感であるのは事実で、そのためには、いくらでも思わせぶりな態度をしても構わないとさえ思った。それがどんな結果を招くかなど、その時の彩名には想像もできなかった。
 彩名の意識は相変わらず次郎にあったが、気持ちという意味では、すでに隼人に移行していた。隼人は、まわりの人に気を遣っているように見えるが、その実際は、誰にでもペコペコしていて、遜った態度の中で、今まで生き伸びてきたのだということを示していたのだ。
 だが、隼人のことがよく分かっている彩名には、彼が、本当にまわりの人に対して遜った態度の裏に、何か企みがあることを感じていた。それは計算ずくで行っている態度であって、
――何か事あれば、うまく立ち回ってやろう――
 という含みが感じられた。
 ただ、それがどういう時に、
「事あれば」
 と思うのかということは、さすがに本人にしか分からないだろう。
作品名:絶妙のタイミング 作家名:森本晃次