詩集 言の葉のたから箱【紡ぎ詩Ⅴ】
そんな彼女がそれでも、道を過つまいとその瞬間瞬間を懸命に真摯に生き抜こうとした軌跡が「申・サイムダン」という偉大な女性芸術家の今に伝わる業績の裏にあったーと素直に納得できる。
女性の聖人君子版のような、道徳の教科書に載るような模範的婦女伝であれば、読者の共感を得ることは難しいであろう。この物語が「人間、サイムダン」を描いているところに深い魅力があるのだ。
もう一度、読み返したいような味わいのある作品であった。
もちん、これは伝記ではないし、フィクション要素の大きな作品であるらしいのだが、現代に残るサイムダンが描いたという生き生きとした草虫図からは、やはり取り澄ました聖人(天才儒学者李栗谷の母)というよりは、人生の歓びも哀しみも味わい尽くした苦労人としての人間サイムダンの小さな生命、虫たちを見つめる優しいまなざし、愛おしむ情が伝わってくるがゆえに、実際のサイムダンという女性もこのような感情豊かなひとであったのではないかと十分にうなずけるのである。
☆「青空と黄色のシーツ」
銀の小さなティースプーンにほんのひと匙だけ
白を混ぜたような淡い水色の空
初夏の空を一杯の背景にして
一枚のシーツが物干し竿で揺れている
母が高齢になり乾燥機を買ってからというもの
我が家では殆ど物干しが使われることはなくなった
かつては大人から子どもまで大小取り混ぜて色々なサイズの洗濯物が
庭の片隅の物干し竿に翻っていた
それが当たり前の毎日だった
生活感溢れる風景は振り返るだけで
切ないほどの懐かしさを呼び覚ます
今では布団やリネン類の大きなものを干すときにしか使わない物干し場
今日 久しぶりに冬用の掛け布団のカバーを洗った
ぽつねんと取り残されたように立つ物干し竿に
洗い終えたばかりのカバーを丁寧に広げて干す
眩しい五月の陽光が
一瞬 私の眼を射貫き
少しだけ色褪せた黄色のシーツが
吹きすぎてゆく風に揺れる
ありきたりの風景の中に誰も気づかない小さな幸せがあるのだろう
眩しい青空を背景にシーツが風にはためく
踊る風と光に照らされた黄色いシーツの向こうに
咲き誇る元気なヒマワリが見えたような気がして
私はかすかに眼を細めた
☆「祈り」
寝静まった家族を起こさないように
そっと起き出す
廊下に出てみれば
まだ庭には夜明けの名残りが周囲に漂っている
今日一日の始まりを告げるように
オレンジ色の巨大な太陽が東の空を
力強い朱の色に染めている
こんな時間に起きたのは実に久しぶりだ
以前のように台所で黙々と娘の弁当を作る
コロナの流行で緊急事態宣言が出て以来
思えば数ヶ月
朝のこのルーティンワークも休みになっていた
自粛休みに慣れていたものだから
早朝起きは堪えるかと心配していたら
何ということはない
身体はちゃんと長年の習慣を覚えていた
何しろ一番上のお姉ちゃんから数えれば
合計10年間 弁当を作り続けているわけだから
自粛休み明け初日
前と変わらず弁当を作り
また廊下に出た
まだひんやりとした朝の大気が清々しく
心の中にまで流れ込んでくる
以前と同じようでありながら
実は以前と同じではない
まだ都市部では感染者が増え
一旦は収束しかけたかに見えた感染症が
また勢いを盛り返そうとしている
終わりのない 出口の見えない長い感染症との闘い
やっと戻ってきた「日常」は
いつまた奪われるかもしれない
朝の静かな時間
明けたばかりの空を見上げる
当たり前の毎日が実は当たり前ではなく
限りなく尊いものだと知った今
祈るような想いで呟く
どうか
当たり前のこの朝がこれからもずっとずっと続きますように
一日の始まりを人の誕生ー人生の始まりにたとえたのは誰だったろうか
廊下に佇み両手を広げて
朝の空気を胸いっぱい吸い込む
もう一度
生まれたての太陽を見上げる
ーさあ 新しい一日の始まりだ! 祈り
寝静まった家族を起こさないように
そっと起き出す
廊下に出てみれば
まだ庭には夜明けの名残りが周囲に漂っている
今日一日の始まりを告げるように
オレンジ色の巨大な太陽が東の空を
力強い朱の色に染めている
こんな時間に起きたのは実に久しぶりだ
以前のように台所で黙々と娘の弁当を作る
コロナの流行で緊急事態宣言が出て以来
思えば数ヶ月
朝のこのルーティンワークも休みになっていた
自粛休みに慣れていたものだから
早朝起きは堪えるかと心配していたら
何ということはない
身体はちゃんと長年の習慣を覚えていた
何しろ一番上のお姉ちゃんから数えれば
合計10年間 弁当を作り続けているわけだから
自粛休み明け初日
前と変わらず弁当を作り
また廊下に出た
まだひんやりとした朝の大気が清々しく
心の中にまで流れ込んでくる
以前と同じようでありながら
実は以前と同じではない
まだ都市部では感染者が増え
一旦は収束しかけたかに見えた感染症が
また勢いを盛り返そうとしている
終わりのない 出口の見えない長い感染症との闘い
やっと戻ってきた「日常」は
いつまた奪われるかもしれない
朝の静かな時間
明けたばかりの空を見上げる
当たり前の毎日が実は当たり前ではなく
限りなく尊いものだと知った今
祈るような想いで呟く
どうか
当たり前のこの朝がこれからもずっとずっと続きますように
一日の始まりを人の誕生ー人生の始まりにたとえたのは誰だったろうか
廊下に佇み両手を広げて
朝の空気を胸いっぱい吸い込む
もう一度
生まれたての太陽を見上げる
ーさあ 新しい一日の始まりだ!
☆「土曜日の焼きそばパン」
スーパーで昔懐かしいパンを見つけた。焼きそばパンである。私の脳裡に、ある風景が蘇った。あれは中学生のときだから、随分と昔になる。当時、私はテニス部に所属していた。物心ついたときから、体育の授業が楽しいと思ったことは一度もない。
ところが、母の方針で何とテニス部に入ることになってしまった。しかも、テニス部はハードな練習で有名であった。当時、アニメの影響もあり、テニスブームで、そのせいか、テニス部も部員が膨大だった。数十人の部員に対して練習用コートはたった二面。運動音痴で、将来的に選手になれる見込みも薄い新入りはコートの土ならしか、良くてネット打ちが許される程度だ。
ちなみに、ネット打ちはコートの周囲に壁のように張り巡らせたネットに向かい、ボールをラケットで打ち付ける単独練習だ。これが二年生になると、周囲のネットではなく、コートにある本物のネットで練習できるようになる。
放課後、陽が落ちる時間まで、ひたすらネット打ちに明け暮れる毎日はけして楽しいとはいえず、私は部活に行く時間が苦痛でならなかった。そんな中で、唯一の愉しみが土曜日の部活だった。何故かといえば、土曜は給食がなく、弁当持参になるからだ。母が忙しい時、お金を貰ってパンを買う日が殊に愉しみであった。
中学校の隣に、小さな雑感屋さんがあった。今でいうコンビニのようなもので、安価な文具から総菜パンなど、色々な品が置いてある。私は大抵、そこで焼きそばパンを買った。焼きそばとパンという一見ミスマッチな組み合わせが実は絶妙に美味しいと初めて知ったのも、そこで買って食べてからである。
作品名:詩集 言の葉のたから箱【紡ぎ詩Ⅴ】 作家名:東 めぐみ