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詩集 言の葉のたから箱【紡ぎ詩Ⅴ】

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 それでも若い二人は必ず夫婦になろうと誓い合い、ジュンソは金剛山に旅発つ。しかし、彼が旅立った後、父チョン大監が失脚し、金剛山にいた彼は辛うじて難を逃れたものの、サイムダンと彼の縁はますます遠くなった。
 物語の展開として、サイムダンとジュンソの別離は予め予想はできたものの、よもやジュンソの死という形で恋が終わるとは考えてもみなかった。完全に意表をつかれた形だった。
 ジュンソが死を覚悟して書いたという手紙はサイムダンに渡る。その手紙をサイムダンと一緒に読者として読む下りは私まで泣けた。ではあるのだがー、実は、読み進めてゆく中にジュンソが実は死んでハはいなかったと判明する。
 が、そのことが判ったのはサイムダンが既にイ・ウォンスという両班の若者に嫁いだ後のことであり、既に一児の母となっていたときだった。
 そして、サイムダンはジュンソとの恋が潰えた本当の理由を知る。というのも、彼女の両親たちが相談して、サイムダンを訪ねてきたジュンソに懇願して別離の手紙を書かせたのだった。
 以来、ジュンソは諸国を法師のようななりをして根無し草のように流れ歩くようになったというのである。
 その真実をサイムダンが知ったのは、故郷に里帰りしていたカヨンから耳にしたチョロンの近況によってだった。
 愛する人が亡くなったからこそ、恋情も葬り去って別の男に嫁いだのに、すべては偽りだったと知ったサイムダンの衝撃は大きく、偽りを述べたジュンソや両親を恨み嘆いた。
 この展開はまったく予想できず、私はここで二転三転する話にまたも驚愕し、度肝を抜かれることになった。
 ラストの方で、サイムダンの娘メチャンが三人の中でただ一人生き残ったチョロンと話すところがある。
 先ほど、私はサイムダンの秘められた過去、情熱をモチーフにした点は小説もドラマも同じだと言ったが、もちろん大きく異なる点もある。それは、このサイムダンの幼なじみにして、生涯のライバルでもあり続けた二人の友の存在だ。
 それそれがまったく違った個性を持つ少女たちは、この個性は才能とも言い換えられた。
 文章が得意で才知に長けたカヨンはサイムダンに良き刺激を与え続け、踊りが好きなチョロンは長じて母と同じ妓生となった。
 この二人の友の存在は物語の中ではなかなか際だっている。二人の親友の存在が主人公のサイムダンという人物をよりいっそう浮き彫りにしているだろう。
ー子どもたちのうんちのついたおしめを洗ってきた手だ。それでも生涯、筆は放さなかった手だった。一生懸命に生きてきたし、恥ずかしいことのない手だった。(抜粋)
 そして、サイムダンは自らの手を改めて見やる。
ーそういえばその昔。井戸端で三人の少女が鳳仙花で爪を染めたことがあった。あのときには一番美しかった手だった。(抜粋)
 しかし、今、家事に育児に明け暮れ、それでもなおかつ筆を執り続けたサイムダンの手はこの上なく荒れている。しかし、自分の荒れ果てた手を眺め、サイムダンは考える。
ー富貴栄華よりも大切なのは自分を守って生きていくこと、愛する人々に傷を与えないことだ。私はそんな風に生きていこうと努力してきたし、後悔はない。(抜粋)
 自らの人生に対しての自負心が実は尊いものだと気づくサイムダン。
ー男の心を得ようとして化粧をして、体を売る妓生のように、金を得るために絵を華やかなにしたり装飾したこともない。(略)見て美しいだけの花草図よりもあらゆる生物の生命の物語である草虫図を好んで描いてきたのも生物の生きようとする労苦が見えるからだった。(抜粋)
 苦労の末、自らの美貌と技芸で権力者の側室となり、栄華を極める日々を送るチョロンとサイムダンの再会、その時、チョロンは兄ジュンソをサイムダンが裏切ったと罵った。
 サイムダンは自分とジュンソを引き裂いた運命の不幸を初めてチョロンに語る。
 その後、晩年を迎え、何とはなしに健康の不調から自らの生命の長さを知ったサイムダンが人生を振り返っての述懐のシーンは深く、鋭く心に訴えかけてくる。
 最後はチョロンはサイムダンの困窮した生活ぶりに、哀れみさえ見せた。けれども、サイムダンは女ということを武器に人生を渡って栄華を手に入れたチョロンを羨ましいとは思わず、身を正して自分の信ずる道を歩いてきたことに誇りを憶えるのである。
 いよいよ死期を悟ったサイムダンは、若き日、ジュンソとの想い出の数々を包み込んだ深紅の絹の包みを解き、想い出のよすがを手に取る。
 幼い頃から才能豊かな娘として将来を期待され、その期待に背くことのないように身を律して生きてきたこと、嫁いでからは姑や夫に逆らわず女としての人生を受け入れ、七人の子の母として生きたこと。
 自らの歩いてきた道を振り返り、彼女は呟く。
ー世の中の人は知らない。私の人生は何の苦痛も葛藤もなく順調に続いてきたと思うだろう。柔らかさが結局は強さに勝つという、順応制鋼という単語を、一日に何度もかみ締めながら生きてきたことを。私によって多くの人々が傷つかないようにと、萩の木の枝のようにおのれの体をかがめて、その傷に絶えながら生きてきた歳月でもあった。(抜粋)
 五十歳が近くなり、サイムダンは体調の不良を感じるようになり、自らの生命がそう長くはない予感に囚われた。ついに秘密の恋の形見をひそかに処分しようと決意する。その直前、彼女はどこかで生きているジュンソに手紙を書こうとしたが、ついに一文字も書けず、代わりに長年連れ添った夫に手紙もしたためた。
 この辺り、まさに涙なしには読めない下りだった。
 そして、深紅の絹の包みに長年秘してきた自らの過去を炎に投じようとしているまさにその最中、サイムダンは吐血して倒れ、意識を失ってしまうのだ。
 最後のシーンはサイムダンが亡くなり、息子のイ(後の大学者李氏栗谷)と娘メチャンが深紅の絹の包みについて、処分すべきかどうかと話し、イが金剛山にしばらく行きたいと旅立つシーンで物語は終わる。
 いずれ母の生涯を書きあらわしたいけれども、いまはまだ自分にはできないーと、イは修養の旅に出るのだ。
 また物語の初めも、イが母の遺した深紅の絹の包みについて、思い悩むシーンから始まる。
物語はそこから過去へーサイムダンの少女期、ジュンソとの出逢いまで遡って進むのである。
 本当に読み応えのある作品だった。読者である私自身があるときはサイムダンと一心同体となったのように悩み泣き、怒り、歓んだような気がする。
 何百ページもの長いサイムダンの生涯を彼女と一緒にたどり、はるか昔の朝鮮王著時代を風のように、しなかやに駆け抜けて生きたような心持ちになれた。
 そこから浮かび上がるのは、才能豊かな女性にとってはけして生きやすいとはいえなかつたであろう激動の時代下の封建社会で、ただひたすら真摯に生きた申・サイムダンという女性の赤裸々な姿でしかない。
 この物語の中で生きるサイムダンは、けして理想化された女性ではない。秘密の恋に悩み、結婚してもなお昔の恋に身を焦がし、嫉妬もすれば嘆きもする、誰かを憎みさえする生身の女である。