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詩集 言の葉のたから箱【紡ぎ詩Ⅴ】

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素晴らしいことなのだと思いはしないか

心が少しだけ渇いたとき
私は写真集を開き空想の旅に出る
今日の新しい小さな「奇跡」と出逢うために

☆「蜘蛛Ⅱ」

秋の朝の陽差しが真っすぐに御堂の床に差し込む
澄んだ光の中にくっきりと浮かび上がった荘厳な風景
何ものかに呼び止められたかのように脚を止める

毎朝の日課で本堂の仏様にお茶を差し上げていたら
ポトリ
新しいお茶を淹れるために
昨日のお茶を移した器に蜘蛛が落ちてきた
必死でもがく小さな生命
数日前には救えなかった生命だから
何としてでも助けたい
正直 蜘蛛には触りたくないが
勇気を出して指を差し伸べた
蜘蛛は何とか私の指にすがりついて無事自ら這い上がった
まだ 容器の縁でもたもたしているので
ええい一度触れば二度目も同じと
また指に乗せて宙へと放った
蜘蛛は床に無事ナイスな着地を決める

それにしても心配だ
体はすっかりびしょ濡れ
果たして生きてゆけるだろうか
しばらく注意深く見守っていると
小さな蜘蛛はのそのそと前方に向かって歩き出した
気のせいか動きに元気がないようで
ゆっくりとしか動かない
―頑張れよ。
心の中で呟き彼にエールを送る
朝の御堂は生まれたときから数え切れないほど来ているけれど
何度来ても清気に満ちている
朝早い限られた時間帯しか御堂の格子越しの光は見られない
まさに仏像が背負っている後光のようだ
名残惜しくてもう一度振り返って
清らかな光を眺める
そのまま視線を巡らしても
もう あの蜘蛛君はいなかった

☆「椿ノ恋奇譚~深紅の花嫁と月の泪(なみだ)」

眼を閉じれば
鈍色の雲が垂れ込める空の下(もと)
ふうわり ふわり
ふと冷たいものが頬に触れた
―これは何?
愕き仰のいてみれば
白き花びらが天そらから舞い降りる
ふうわり ふわりと
佇む私の周囲にひろがるは青々とした葉をつけた樹々
艶やかな紅色の花があまた咲く
そっと近づいて手を差し伸べれば
びろうどのようなしっとりとした花びらがひとひら
はらり 空(くう)に舞った

降りしきる雪は緑の葉を飾り
椿は真白な綿帽子を被った花嫁御料になる
ふうわり ふわり
白い花びらが舞い降りる度
深紅の花嫁は白い衣装を纏ってゆく
落ちた一枚の椿の花片を拾い上げ
唇にくわえたら
良い香りとかすかに血の味がした
こんなにもあでやかに咲き誇り幸せそうに咲いているのに
椿の花は何故 血の涙を流すのだろう
―花嫁御料よ、あなたは何故泣く?
言葉にならぬ言葉で問いかければ
深紅の花嫁は泣く泣く応えた
―今宵は雪の降る晩ゆえ、月読様にお会いできませぬ。幾ら彼の君がために美しう花嫁として装うとも、背の君様がおられぬでは無用の長物。はるかな昔にも、哀しい恋をした椿がおりました。私どもの恋は、今も昔も変わらず報われぬ宿命(さだめ)と決まっておるのでございます。


―昔語りをするとしよう
昔昔 美しい白椿の精は月に恋をした
夜毎 物言わぬ月に椿は語りかけても つれない月は応えもしなかった
椿は血の涙を流しながら
恋い慕う月のために それはそれは美しい花を咲かせた
振り向かぬ男をひたすら想い続けた幾千もの夜の後
雪のように白かった椿は
それはもう鮮やかな赤い花になったとさ―

月は新月から満月に至るまで眠り続ける
それゆえに 椿の切ない叫びが届かなかったのじゃ
十五夜になり 目覚めた月はたいそう愕いた
椿の哀しい片恋を見届けた小鳥が月に教え
月はすべてを知る
―ああ 憐れなことをしてしまった。
月は哀しみの涙を流し
美しい泪は
はらはら はらはらと天空を舞いながら
やがて煌めく水晶の欠片となった
哀しみのあまり心を閉ざした椿は二度と月に語りかけない
心を閉ざしたまま永遠の眠りについた
空の神様は椿を可哀想に思って雪を降らせた
ふうわり ふわり
天から舞い降りる純白の雪は椿を優しく包み込み
真白な花嫁衣装となる

それからというもの
月は椿の花が咲く季節には
必ず椿を思い泪した
月の泪は輝く水晶となって椿の纏う白無垢を飾る
キラキラ キラキラ
光り輝く欠片たちを満月が静かに照らす
今年もまた冬が来た
満月は自分のために物言わなくなった椿を思い
ひっそりと泣き
空の神は椿のために雪を降らせる

ふうわり ふわり
鈍色の天から落ちてくる白い花びらは
深紅の花嫁を飾る花嫁衣装
―今は昔
誰も知らない、椿の片恋物語り

眼を開いた瞬間
周囲の椿も月も消え失せる
先刻見たは夢かうつつかまぼろしか
長い旅路から戻ったような心持ちで
私は一つ長い息を吐く

☆「錦木」

秋も終わりに近づくと
庭の片隅が燃えるような色に彩られる
ふだんは控えめな錦木がその存在を主張するのは
この季節だけだろう
まるで 私はここにいますとでも精一杯訴えかけるように

父の葬儀の日
錦木が真っ赤に紅葉していたと
母は老いた今もなお時々思い出したように語る
そのとき私は十八歳
庭の錦木の記憶は一切なく
ただ父の棺が幾人かの人たちによって静かに運び出されるのを
黙って見ているしかなかった
既に物言わぬ変わり果てた姿となった父はこの世の人ではないと
残酷すぎる事実を嫌になるほど知りつつも
父の肉体がこの世から本当に消えてしまうのだと思った瞬間
涙が堰を切ったように溢れ出した
棺にしがみついて
行かないで欲しいと懇願したくてもできなかった

葬儀の翌日
親友が言った
―啓子さんが物凄く泣いているのを見て、私、どうして良いか判らなかった。
彼女は個人的に私の友人として父の最後に立ち合ってくれたのだ
錦木の記憶はないが
あの日 自分が大泣きに泣いたのだけは不思議と今でも憶えている

今年もまた錦木が紅くれないに染まった
確かに哀しいほど見事としか言いようのないつややかな色合いだ
冬も近い晩秋の澄み渡った大気の中で
眩しいほどの赤色が際立っている
今日 廊下に佇み しばし彼かの樹を眺めた
父を見送った日もこんな風だったのだろうか
紅蓮の炎のごとく庭を飾る錦木を見つめながら考える
ピィー
百舌の声が頭上高く秋の大気に響き渡った
炎の色を宿した樹がふっと涙の幕に滲んだ
―お父さん、私は今年、あなたが逝ったときと同じ歳になりました。

☆「四季・色いろ」

春は桜
桜花(はな)の散りゆく頃 
はんなりとした薄紅色
盛りも良いけれど満開の花が心ない風にちらちらと散り始め
眩しい緑の葉桜がちらほらと見え隠れするのが好き

夏は清流 氷
陽差しが日ごとに強くなる季節は涼しげな浅葱色
せせらぎがさらさらと音を立て流れる音
色鮮やかな一輪の花を透明な氷に閉じ込めてみる
かき氷をサクサクと小気味良い音で崩しながら食べるのが良い

秋は紅葉
真夏の太陽がちょっぴりだけ恋しくなる季節
山々が纏うあでやかな衣は深紅
澄んだ大気に山々がくっきりと立ち上がって見える
もみじ狩りは人がたくさん集まる名所よりは
人気のない ひっそりとした公園が心ゆくまで楽しめる

冬は雪
凍てつく空気がピンと張り詰めた静寂を孕む
天に向かって細く溶けてゆく儚い吐息は真白
秋の深紅から純白の衣に着替えた山はまるで花嫁のお色直し

四季の終わりは白
季節がゆっくりとうつろい 年の瀬を迎え