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第四章 動乱の居城より

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 いったいエルファンは何を考えているのだろうと訝しがるハオリュウの視界に、息を呑む男たちの姿が映った。彼らは、明らかに脅えていた。
 シュアンがゆっくりと歩み出た。男たちを一瞥し、背後のエルファンを振り返る。
「こいつらが、指揮官に報告があると?」
 エルファンが黙って頷くと、シュアンは血走った目をぎょろりとさせて「ふん」と鼻を鳴らした。
「馬鹿言っちゃいけませんよ、エルファンさん。こいつら、何モンです?」
「うちの門の前でたむろしていた警察隊員だが、それが何か?」
 エルファンとシュアンが目で嗤い合う。彼らの浮かべる酷薄な笑みに、ハオリュウは不穏な空気を感じ取った。
「自慢じゃありませんが、俺は記憶力がいいほうでね。上官殿の指揮下にいる隊員の顔は、全部、覚えているんですよ」
「ほう、それで?」
「こいつらの顔は、俺の頭の中の名簿にはないんです」
「つまり?」
「警察隊を騙る偽者ですね」
 シュアンは、『偽者』という言葉の持つ意味を取り違えたかのように、軽く言ってのけた。
 それを受け、エルファンが「ふむ」と渋く低い声で相槌を打つ。
「では、私がこの者たちをどうしようと、構わないということだな?」
 エルファンの口の端がゆっくりと上がる。
 頭に白いものがちらつくものの、無駄のない堂々たる体躯。まさに男盛りといったエルファンの黄金率の美貌の上でなら、底意地の悪そうな表情すらも絵になった。
 男たちは震え上がる。
「はは、エルファンさん、一応、俺は警察隊員ですよ。ここで『イエス』とは言えませんね」
 そう言いながら、シュアンがすっと後ろに下がる。エルファンと男たちの間に、障害物はなくなった。
「――けど、俺はどうも目が悪くて。時々、見えなくなるんですよ」
「若いのに難儀なことだな」
 恐怖に耐えきれなくなった男のうちのひとりが雄叫びを上げたのは、エルファンの言葉が終わるのとほぼ同時だった。
「うおおぉ!」
 男は蒼白な顔で懐から拳銃を取り出していた。
 相手は正面。自分は刀の間合いの遥か外。殺(や)らなければ、殺(や)られる!
 ――総毛立った男は、その思いだけで、引き金を引いた。
 鳴り響く銃声。
 予想外の事態に、ハオリュウは自分が取るべき行動を考えることもできずに、ただ窓辺に立ち尽くしていた。
 そのとき、彼の周りに光と風が溢れた。
 窓が開け放たれ、白いレースが大きく翻り、ハオリュウの視界を遮る。
「見てはいけません」
 荒々しくはないが、有無を言わせぬ厳しい声。
 何かを言い返す間もなく、強い力で右手を掴まれた。風に攫われた木の葉のように、ハオリュウの体は半回転しながら、バルコニーへと引きずり出される。
 鮮やかな緋色が見えたかと思った次の瞬間には、彼は柔らかな感触に包み込まれていた。背後で勢いよく窓が閉じられ、反動で硝子が震え上がる。
 突然のことに、ハオリュウは動転した。
 彼の顔は、どう考えても女性の豊満な胸としか思えない弾力の中に埋(うず)められていた。
 見開いた目は、肌触りの良い布地で覆われ何も見えず、口と鼻も、ぴっちりと塞がれてしまっている。
 温かな腕の中に、きつく抱きしめられているのは分かる。しかし、どうしてこのような事態になったのか、さっぱり分からない。
 息苦しさに頭を振ると、少しがさついた掌が両耳を覆っているのを感じた。
 銃撃の音を耳に入れまいとしているのだ――そう、ハオリュウは気づいた。
「隣の部屋から出ましょう」
 若い女の声が、至近距離から聞こえた。
 安心して身を委ねられるような、落ち着いた優しい響き。エルファンはバルコニーから出ていくときに、窓際にいるようにと彼に耳打ちをしていった。そのときには既にこの展開を組み立てていて、護衛を用意しておいたのだろう。
 しかし、ハオリュウは両手で彼女を押しのけた――どこに触れるのなら失礼に当たらないか、少々戸惑いながら。
「放してください。僕には、きちんと見届ける義務があります」
 立ち尽くしていただけだったのだから、それは強がりに過ぎない。けれど、逃げるのは卑怯だと、ハオリュウは思ったのだ。
 わずかな逡巡の気配ののちに、拘束が緩む。
 彼が体を引くと、覆いかぶさるように彼を包んでいた波打つ髪が、さわさわと彼の頬をくすぐりながら落ちていった。干した草の香りが、ふわりと漂う。
 絶世の美女が、憂いを含んだ顔で彼を見下ろしていた。女性としては長身で、成長期のハオリュウからすれば、自分の子供っぽさが気恥ずかしくなってしまう。そんな大人の女性である。
 彼女は頭を下げた。
「すみません。余計なことをしました」
「こちらこそ、不可抗力とはいえ、女性に失礼な真似をしました。申し訳ございません」
 男なら誰でも魅了されるような、珠玉の肉体に触れたことに対する謝罪。裏を返せば、気取った言葉は精一杯の大人のふり。子供扱いに対するささやかな抵抗である。
 ハオリュウが彼女から離れたときには、既に銃声は聞こえなかった。弾を撃ち尽くしたのか、撃つ者がいなくなったのか……。
 ハオリュウは意を決して閉ざされた硝子窓を開けた。
 カーテンをめくり、息を呑む。
 けれど目はそらさずに、ハオリュウはその光景を瞳に焼き付けた。
「身分詐称で、しょっ引こうとしたところを攻撃してきたため、止む得なく射殺しました」
 耳鳴りの中で、貴族(シャトーア)に対する礼として報告する、シュアンという本物の警察隊員の声が聞こえた。彼の射撃の腕は確かで、ひとつも無駄なことはなかった。少なくとも、ハオリュウにはそう見えた。おそらく、エルファンは何もしていない。
 ハオリュウは、自ら作り出した惨事に顔色ひとつ変えない警察隊員と目を合わせた。
「……ご苦労様でした。悪くすれば僕に危害が及ぶ可能性もありました。感謝します」
「仕事ですから」
 シュアンはそう言って、煙の上がる拳銃に、ふっと息を掛ける。
 ハオリュウは決して平和主義者ではないし、性善説を信じているわけでもない。だから、この結果に異議はない。
 そして、直接手を下したのはシュアンでも、この事態を作り出したのは紛れもなく自分なのだと受け入れた。自分は、そう言う『世界』に入ったのだと、認めた――。
 風景画の絵の具にめり込んだ弾丸。
 声を失った者の声。
 血と硝煙の匂い。
 首筋を撫でる、カーテンの柔らかさ。
 知らずに噛み締めていた唇からの、鉄の味。
 ハオリュウは、すべてを五感に刻み込む。
 ……黙り込んだ彼の様子をしばらく見詰めていたエルファンが、やがて渋い声を上げた。
「ミンウェイ、すまないが、あとで補修屋を呼んでくれ」
 あちこちに穴が穿たれた壁を指差し、ハオリュウの背後に立つ女性に向かってそう言う。入口側に偏った無駄弾の着弾位置から考えて、偽の警察隊員たちの仕業だろう。
「補修代は、我が藤咲家が出します」
 ハオリュウの申し出に、子供が余計なことを……と眉を上げかけたエルファンだったが、その表情を見て気を変えた。
「領収証はあとで送る」
 そのとき、屋外からのざわめきが届いた。
 爆音を上げる車が、屋敷の門の前で急停止した。

 ――待ち人の登場だった。


〜 第四章 了 〜


作品名:第四章 動乱の居城より 作家名:NaN