第四章 動乱の居城より
4.窓辺に吹く風−2
そこは日当たりの良い明るい部屋だった。
柔らかな陽光が窓辺を照らし、窓を覆うカーテンを白く反射させていた。春風がふわりとやってきては、細やかなレースを優美に揺らす。編み目から漏れ出た光の欠片がハオリュウの瞳を刺激し、彼は思わず目を瞑った。
「なぁ、俺たち、いつまで、ここで待っていればいいんだ?」
背後からの男の呟きに、窓際でたたずんでいたハオリュウは、視線を部屋の中へと移す。
洒落たローテーブルを囲むように座る、警察隊の制服を着た男たち。彼らはゆったりとしたソファーに身を沈めていた。
実は先ほどまで、彼らは年甲斐もなくその座り心地に夢中になっていた。だが、それも無理はない。シンプルなデザインだが、張り地に外国製の本革を使用しているのが、目の肥えたハオリュウには見て取れた。
壁に飾られた油彩の風景画に関しては彼の教養では評価できなかったが、名のある名画なのだと言われれば信じてもいい。
しかし、目につく調度品といえばそのくらいで、この部屋が客人を招いて歓談するような類の部屋ではなく、もっと事務的な場所なのだと推察できた。
鷹刀一族次期総帥、鷹刀エルファンの案内で、ハオリュウと男たちは『執務室』というところに向かうはずだった。その途中で、エルファンは「少し待っていろ」と言って、彼らをこの部屋に残して出ていったのだ――この部屋の窓から……。
ハオリュウは体を返し、光の注ぐ窓を再び見上げる。その先はバルコニーに続いており、更に隣の部屋へと繋がっていた。
「あの男、俺たちを案内する気なんてねぇんじゃねぇか?」
先ほどとは別の男が、辺りを窺うような面持ちで猜疑の声を上げた。
「俺も、そんな気がする……」
男たちはローテーブルの上で、額を寄せて頷き合う。その数、五人。
ハオリュウの護衛は、門のところで待機させた。凶賊(ダリジィン)が相手では、歯が立たないことが分かっているからだ。それは、彼が誘拐されたときに証明されている。彼はもう、自分のために護衛が命を落とすのはまっぴらだった。
「かといって、どうすんだよ?」
疑心を抱いて、ひそひそと話をする男たちに、ハオリュウは危機感を覚える。この状況は彼にとって非常に好ましくなかった。
渋る彼らを言い籠めて屋敷内に入らせたのは、他でもないハオリュウなのだ。彼らもまた指揮官に用事があったようだが、次期総帥エルファンと行動を共にすることを恐れていた。
――となると、エルファンの不審な行動に対する焦りと苛立ちがハオリュウに向けられるのは、時間の問題である。
彼らがおとなしく『警察隊』でいる間は貴族(シャトーア)のハオリュウに危害を加えることはないだろう。しかし、もし短気を起こして凶賊(ダリジィン)の本性を取り戻したら……?
屋敷内でハオリュウの死体が発見された場合、疑われるのは間違いなく鷹刀一族であり、警察隊の姿をした彼らではない。
鷹刀一族、警察隊、『警察隊』の彼ら――。互いが牽制し合うことで初めて、ハオリュウの身の安全は保証される。つまり、この小部屋という閉鎖空間の中では、彼は丸裸も同然だった。
ハオリュウは、ひとつ息を吸い、腹に力を入れた。
「確かに、遅いです……! 僕を騙したんでしょうか」
彼は眉根を寄せ、足を踏み鳴らしながら男たちを振り返った。
「やはり所詮、凶賊(ダリジィン)ということですか……!」
エルファンを責め、苛立つ男たちを肯定する。そうすることで、ハオリュウが男たちの仲間であるかのように誤認させる。
単純な人間を操ることは、それほど難しいことではない、と――そんな術(すべ)を、ハオリュウは母の兄である伯父から、密かに叩き込まれていた。
「やっぱ、鷹刀の野郎は信用しちゃいけねぇんだ!」
ひとりがそう言うと、男たちは興奮に顔を上気させ、次々に同調した。ハオリュウは機を逃さずに口を開く。
「僕に考えがあります」
男たちの注目がハオリュウに集まる。それを確認してから彼は秘密でも明かすかのように、ゆっくりと言った。
「部屋を出ましょう」
「え……?」
「目的地は『執務室』だと分かっているんです。そのへんの凶賊(ダリジィン)に案内させましょう。警察隊のあなた方の命令なら逆らえないはずです」
ハオリュウがハスキーボイスを高らかに響かせた途端、男たちの顔から、すっと色が抜けた。
屋敷内に入ってから、ハオリュウは気づいたことがある。鷹刀一族の凶賊(ダリジィン)たちは、この男たちが偽者の警察隊員であると皆、見抜いている様子なのだ。ただ、エルファンが一緒にいたからか、誰も何も言わなかったのだが――。
「そ、それは……」
男たちは口籠る。
ここはいわば鷹刀一族の本拠地。一族屈指の強者が揃っているのだ。もし戦闘になったら、下っ端の彼らが勝てるはずもない。
「あぁ、いや! 待てと言われたんすから、あの男を待ちやしょう!」
「でも、こんなに待たせるなんて、おかしいですよ」
「わ、罠かも知れないんで!」
ひとりの男の苦し紛れの言葉に、ハオリュウはすぐに飛びついた。
「え……、罠……!」
少年のまっすぐな純粋さ……に見える瞳を意識して、彼は驚きの表情を作る。
「……そうか。よく考えたら、鍵を掛けないなんておかしい……」
うやむやなうちに、『罠かも知れない』を『罠である』にすり替える。男たちが同意するように、こくこくと頷いた。
「すみません。僕が浅はかでした」
ハオリュウがそう言うと、男たちはあからさまに安堵の表情を見せた。どうやら、おとなしく待たせる方向に、うまく誘導できたようだ。
これでしばらくの間は大丈夫だろう――ハオリュウはそう思い、手のひらの汗をズボンで拭った。ハンカチとは程遠い材質が、ざらりと彼の気を引き締める。
エルファンが信用できるかと言えば、否である。
ただ彼は、相当に計算高い男に見えた。彼にとってハオリュウが価値ある存在と思われている間は、味方と考えていいだろう。
そして、どうやら異母姉は、エルファンよりも地位の高い、総帥の鷹刀イーレオに気に入られたらしい。となればエルファンは、その異母弟であるハオリュウを厚遇せざるを得ない。
ハオリュウは力関係を再確認して、小さく息を漏らす。大丈夫だと、自分に言い聞かせながら……。
コンコン……。
扉のノック音に、部屋の中を緊張が走った。男たちが何かの行動を起こす前に、ハオリュウは素早く目で制止を命じた。
「はい、どうぞ」
よく通る高めの声がそう返すと、「待たせたな」と、エルファンが入ってきた。彼はひとりではなかった。その後ろに、警察隊の制服を着た男が続いてくる――。
エルファンは、ちらりとハオリュウを見たものの、すぐに男たちに視線をやった。
「お前たちの指揮官を呼んできてやろうと思ったのだが、あいにく私の父と話し込んでいてな。代わりに、指揮官の側近の緋扇シュアンという奴を連れてきてやったぞ」
彼は半身を返し、警察隊の男を示す。ぼさぼさ頭の上に申し訳程度に制帽を載せた、目付きの悪い男だった。歳はせいぜい三十路といったところで、たいして高位にも見えない。
作品名:第四章 動乱の居城より 作家名:NaN