第四章 動乱の居城より
3.居城に集いし者たち−3
神経質な額を歪ませ、こめかみに手をやりながら、リュイセンはルイフォンの手の中の携帯端末を気にしていた。
「……車の中はカメラに映らないんだから、仕方ないだろ?」
無駄とは思いつつ、ルイフォンはリュイセンをたしなめる。
大柄な男が隣でいらいらと膝を揺らすさまは、なかなかに圧迫感があり、ルイフォンは露骨に嫌な顔をしていた。
一方、ルイフォンの反対側の隣に座っているメイシアは、瞳を真っ赤にして、やはりルイフォンの携帯端末を覗いていた。
今までの彼女からは考えられないくらいに、彼に体を密着させている。それは彼女の意志か、彼が彼女の震える肩にそっと回した手のせいか――。
「ハオリュウ……」
澄んだ声が、メイシアの唇からこぼれ落ちた。
――先刻、メイシアの異母弟ハオリュウと、ルイフォンの異母兄であり、リュイセンの父であるエルファンが、共に屋敷に向かっていると知り、ルイフォンは携帯端末の映像を屋敷の門前のカメラに切り替えた。すると、そこに映ったのは、まさにそのふたりが対面したところだった。
異母弟の顔を見るやいなや、メイシアの頬を透明な涙が伝った。
声もなく画面を見入る彼女に、ルイフォンもまた声に出して掛ける言葉を思いつけなかった。だから、そっと彼女の頭に手を載せ、その艶(つや)やかな髪をくしゃりと撫でた。
しかし、そんなふたりの異母兄弟たちは険悪な状態にあった。お互いに相手の腹を読み解くべく、じっと睨み合い、言葉を選びながら会話をしている。
正直なところ、ルイフォンは愕然としていた。
メイシアから伝え聞いた話から、彼女の異母弟は儚げな薄幸の美少年だと信じ込んでいたのだ。それが、あの合理主義の異母兄エルファンと、対等に渡り合うとは……想像を絶していた。確かに、絶対に譲れない場面では一歩も引かずに自分を貫こうとする姿勢などは、メイシアとそっくりとも言えるのだが――。
異母兄弟たちの立場上、不仲は当然のこととはいえ、ルイフォンはメイシアに対して気まずいものを感じていた。おそらく彼女もまた同じだったろう。身内に対し、それぞれがやきもきしていたところに、ハオリュウが車という密室での会談を申し出た――というわけである。
ハオリュウは、エルファンをリアシートに案内すると、続いて隣に乗り込んだ。そして勢いよくバックドアを閉める。話をするのには不便な、顔の見にくい横並びの座席だが、それは仕方のないことだ。
「快諾してくださって、ありがとうございます」
こちらに顔を向け、ハオリュウが言った。彼の話に付き合うべく車に乗り込んだことを言っているらしい。今までの彼らしくもなく、神妙な顔をしている。
「挨拶はいい。要件を聞きたい」
「あの警察隊――偽者です。斑目の奴らです」
ちょうど、応接室でシュアンがミンウェイに言ったのと同じようなことを、ハオリュウがエルファンに告げた。
「そうだろうな。見れば分かる」
ミンウェイと同じく、エルファンもそれに動じることはない。だが、ハオリュウはシュアンとは同じ反応にはならなかった。
ハオリュウは「え?」と声を詰まらせた。彼としては大層な秘密を言ったつもりだったらしい。しばし言葉を失い、困惑したように唇を噛む。
ここに来て初めて、世間知らずの貴族(シャトーア)の子供らしさを見せたハオリュウに、エルファンは少し安堵した。間近で見ると、年相応の子供らしい少年だった。可愛らしいと言えなくもない。
エルファンは苦笑しながら、水を向けた。
「警察隊の指揮官と斑目が繋がっているんだろう?」
「そうです……」
「そして、お前は騙されて凶賊(ダリジィン)の屋敷に行った異母姉を取り戻したい」
「え……、知って……?」
エルファンが『留守にしていた』と言ったのをきちんと聞いていたらしい。ハオリュウは察しの良すぎるエルファンに目をぱちくりさせた。
エルファンは上着の裏を軽くめくり、携帯端末を示した。『情報を制する者が勝つ』とは日々、異母弟ルイフォンが言っている言葉だが、なるほどと思う。
予想外のことに困惑を隠せなかったハオリュウだが、納得がいくと、今度は情報が伝わっているのなら話は早いと思い直したらしい。「その通りです」と力強く答えた。
「異母姉を返してください。聞き入れてくだされば、貴族(シャトーア)の権限で、屋敷に入り込んだ警察隊を即座に撤収させます。勿論、この件に関して鷹刀一族が罪に問われるようなことにはさせません」
ハオリュウが調子を戻し、決然と言い切った。警察隊をエルファンへの抑止力に使ったり、取り引き材料にしたりと、なかなか頭が回る。
「それと……異母姉からではなく、僕から鷹刀一族に父の救出を依頼したいんです」
「ほぅ……?」
それは意外な展開だった。
「お金は用意しました。異母姉の身代金と依頼料を合わせて、あのアタッシュケースです。足りなければ言い値を払います。だから……お願いします。僕を鷹刀イーレオに会わせてください」
「異母姉を囚えている凶賊(ダリジィン)を信用するというのか?」
低く冷たいエルファンの言葉にハオリュウは唇を噛んでうつむいた。そして肩を震わせたかと思うと、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。彼は胸の中の空気を無理矢理に押し出し、ゆっくりとハスキーボイスを軋ませた。
「……異母姉が昨日の晩、あなた方に何をされたかと思うと許せるわけがありません。けれど、斑目一族に対抗できる力があるのは鷹刀一族だけです」
ハオリュウは顔を上げ、口の端を引きつらせるように嗤った。ちらりと、ひび割れたフロントガラスに目をやる。
「もし、僕の言うことを聞いていただけないのなら、僕はこれから車から転げ出て、あなたに襲われたと叫びます。警察隊の姿をした彼らは銃を撃ちたくて堪らないようでしたから、喜んであなたを蜂の巣にしてくれるでしょう」
それは、子供の姿をした魔物だった。壮絶な負の感情が押し寄せる。
簡単には物事に動じないエルファンが、一瞬ではあるが――呑まれた。
「小僧……」
思わず罵りの言葉を漏らす。
子供と思って侮っていた。
目の前にいる少年は、家族を取り戻すために奔走している、貴族(シャトーア)の次期当主。父親が不在の今は、彼が事実上の当主だ。まだ危うさを隠しきれないが、数年もすれば一角の人物になるだろう。
エルファンは、ゆっくりと息を吐いた。駆け引きの最中に心を乱したら負けなのだ。
個人的感情としては、脅迫は不愉快である。しかし、客観的に考えればハオリュウの言動はなかなか的を射ている。この状況に持ち込んだ手腕は見事と言わざるを得ない。
エルファンは他人を評価できないほど狭量でもなかったし、非合理的でもなかった。すなわち、ここでエルファンがハオリュウと敵対する利点は何もなかった。かくなる上は、いかにして自分が優位に立つか、だ。すぐに承諾してはならない。
エルファンは瞳を冷酷に光らせ、口の端を上げた。
「子供の浅知恵だな」
揺さぶりをかけるべく、あえて子供扱いをする。
「ここで私がお前に従うと言ったところで、本当に父のいる部屋に案内するという保証はない。適当な部屋に連れ込んで、お前に斬りかかるかもしれない」
作品名:第四章 動乱の居城より 作家名:NaN