小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

川はきらめく

INDEX|6ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

ひとときのやすらぎ(一)


 川が見える介護老人施設の中は、いつもゆったりとした時間が流れていた。明るく広々とした館内のあちこちで、入居している老人たちがそれぞれの時を過ごしている。車椅子に乗せられ常に介護者に付き添われている者もいれば、杖をついて歩き回れる者もいた。
 春田健吉がこの施設にきて、一年が過ぎた。
 同じ頃、佐伯弘子も介護士としてここで働き始めていた。いつもの席に座り、外を流れる川を見つめている健吉は、穏やかな表情で弘子に声をかけた。
「今日もいい天気で気持ちいいね」
「そうですね、春田さんはこの場所がほんとにお気に入りですね」
 健吉は、ここへ来た時のことを思い出していた。
 
   * * * * * * * * 
 
 次男隆志の中国行きの話を立ち聞きしてしまった翌日、健吉はまた隆志の工場の裏へ姿を見せた。そして、隆志の申し訳なさそうな顔を見るのが辛くて、早口で要件を告げた。
「昨日、ここで話を聞いてしまったよ、盗み聞きする気はなかったんだが。
 お前は美由紀さんと中国へ行きなさい。私のことは心配いらない。知り合いの紹介でよい施設に入れることになった。費用も蓄えで何とかなりそうだから、今後も世話をかけるようなことはない。お仲間たちとのんびりやっていくよ」
 こうして次男夫婦は日本を後にした。長男一家は子どもたちを育てるため日々の暮らしに追われ、そして自分はこうして施設にはいることになった。
 
   * * * * * * * *
 
(まるで一家離散だな)
と心でつぶやいたが、
(いや、それは違う。それぞれの道をみな懸命に歩いているのだ。立派に独立して行った息子たちを遠くで見守られる自分は幸せ者だ)
 健吉はそう思い直した。
 
 老人の朝は早い。今朝も五時に目覚めると、健吉はいつもの窓辺に座り朝日を浴びて流れる川を眺めていた。
「いつも早いですね。お食事までこちらですか?」
「今日はこの前弘子さんに借りたこの本を読むつもりですよ。これは実におもしろいですな」
 すると、弘子は少し不安気に話し始めた。
「春田さん、実は今日、エンディングプランニング協会とかいうところから、人が私を訪ねてくるそうなんです。いったいどういう話なのかとても不安で……電話の時に要件を聞いても、お会いした時にということで、何も教えてくれないんです」
「それは気になりますね。とにかく話を聞いて、何か頼み事だったら、即答せずにゆっくり考えましょう。よかったら後でお話伺いますよ」
「ありがとうございます。そうします。いつも春田さんには頼りっぱなしで。どちらがお世話しているかわかりませんね」
 苦笑する弘子に、春田は大丈夫というように頷いた。
 
 その日の午後、来客用の小部屋で、弘子は協会の多田と名乗る中年女性と向き合っていた。
「高橋洋介さんのご依頼で参りました。まずはこの手紙を読んで頂けますか?」
 手渡されたその手紙の表には佐伯弘子様と書かれ、裏には高橋洋介の名があった。
 
 
『弘子さん、お久しぶりです。
まずあなたには謝らなければなりません。
私は結婚の申し込みをしておきながら、黙って姿を消すなどと、決して許されない事をしてしまいました。
言い訳になるかもしれませんが、事情を説明させてください。
あの時、私は突然、余命半年のがん宣告を受けたのです。
あなたに気持ちを打ち明けた直後のことでした。
このことをあなたが知れば、おそらくあなたは私の看病を申し出てくれたでしょう。
そして母の世話も。
あなたはそういう人だいうことは、私が一番よくわかっています。
でも、それは私の本意ではありません。
あなたには苦労ではなく、幸せを差し上げたかった。
もう気が付かれているかと思いますが、私はもうこの世にはおりません。
私にとって、あなたがようやく巡り会えた妻だと思えるように、ここにささやかな気持ちを残させてください。
もし重荷と感じられるようでしたら、婚約不履行の違約金としてお納めください。
それでは弘子さん、どうか幸せになってください。
 心から願っています。
                    洋介     』
 
 
 読み終えて黙り込む弘子に、多田は言葉をかけた。
「私から付け加えさせて頂く事があります」
 弘子はただうつむいて聞いていた。
「高橋洋介さんは半年前に亡くなられました」
「えっ?」
 弘子は驚いて顔を上げた。
「そんな前ですか? どうして今頃……」
「それも高橋さんのご希望です。法要を済ませ落ち着いてから知らせてほしいと。おそらく、あなたに余計な気遣いを掛けたくなかったのでしょう。それからこちらをお渡し致します」
 多田は現金の入った分厚い封筒を差し出した。
「血縁関係のない方への贈与ということで、贈与税は差し引かせて頂いております。こちらに印鑑をお願いします」
 
 
 健吉は大方の話を聞くと、しばらく考えてから口を開いた。
「亡くなった方のご遺志は有難くお受けになられたらどうですか? そして、その心使いは息子さんの将来に使わせていただくのです。 そうすれば、その方も自分が父親になれたとあちらで喜ばれることでしょう。息子さんもきっと冷静に受け止めることでしょう」
 
 次の休みの日、弘子は渉と連れ立って、洋介の墓参りに訪れた。一回り成長して帰国した渉は、洋介からの手紙を読み、ぽつりと言った。
「この人に会いたかったな」
 花を手向けながら、弘子は心の中で語りかけていた。

(洋介さん、ありがとう。
 でも私のためとはいえ、何も教えてくれなかったこと、やっぱり恨みますよ。本当にあの時は訳も分からなくて、まさかそんなことになっていたとは……
 ちゃんとお別れができなかったこと、とても残念ですが、洋介さんの温かいお気持ちは十分伝わりました。
 それに洋介さんのおかげで、息子に人並みに親らしいこともしてやれます。渉も、初めて父親ができたようだととても感謝しています。
 本当にありがとう。どうか、安らかに……)

 それから毎年、二人は彼岸や盆の墓参りを欠かすことはなかった。 

作品名:川はきらめく 作家名:鏡湖