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川はきらめく

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二十代の将来

   
 電車の窓から見える静かな川の流れに、朝の光が輝いている。十八歳で故郷からこの東京に出てきて八年、三枝奈美は二十六歳になっていた。
 そんな奈美には職場へ向かう通勤電車で、決まった時間、決まった車両で乗り合わせるうちに、いつからか気になるようなったひとりの男性がいた。もちろん、名前も勤め先もわからない。ただ気づかれないようにそっと見るのが、いつしか習慣になっていた。
 
 
 こちらに出てきてしばらくした頃、友人の紹介で奈美にも彼という存在ができた。食事をしたり、テーマパークへ行ったり、それなりにデートを重ねたが、これといった進展もなく自然消滅的な終わりを迎えた。それ以来、会社と自宅を往復するだけの生活。たまに友だちと飲みに行ったりもするが、最近はその回数もめっきり減ってきた。
 結婚して家庭に入る友人と、仕事に生きがいを求める友人――その二極化する周囲の狭間を、奈美はどちらともつかぬまま漂っていた。
 特に結婚に執着する気もないが、かといって人生を掛ける程の仕事もしていない。一時は資格を取ってキャリアアップを目指そうと思った時もあったが、その情熱もしだいに薄れていった。マンネリと言われながらも続いている長寿番組のように、こんな毎日の中で自分は年老いていくのだろうと漠然と思うようになっていた。
 
 そんなある日、昼休みに同僚と昼食をとっていた店に、ドアを開けて入ってきたひとりの男性、それはまさしくあの通勤電車の男だった。ほんの一瞬視線が合ってしまったが、男は何の反応も示さず、奈美の横を通り過ぎて行った。奈美は気づかれていないことにホッとしたような淋しいような複雑な思いがした。翌朝、いつものように車内には昨日の男の姿があった。
 ところがその日を境に、町中や駅、時にはスーパーなどで、電車の男を見かけることが続いた。
 いったいどうしたことだろう? 偶然がこんなに重なることってあるのだろうか?
 そして、いつでも男は奈美は眼中にないという素振りをした。
 もしかしてストーカー?
 奈美の中で、淡い恋心が恐怖の対象に代わり始めようとしていた。
 
 そしてある朝の通勤途中、いつもの電車は架線事故の影響でかなり混雑していた。奈美はドア横に激しく押し付けられ、その苦しさにいったん次の駅で降りようと思った。
 が、その時だった。急に圧迫感がスッとなくなるのを感じた。誰かが窓に手を押し当て必死に奈美を庇っていた。その人物の顔を見て、奈美はもう少しで声をあげそうになった。それはなんと! あの男だったからだ。
 何か言葉をかけるべきか、奈美は迷った。全く見ず知らずの人なら即座にすみません、と礼を言うところだが、もしかしたらストーカーかもしれないのだ。奈美はただうつむいて、時が過ぎるのを待った。
 そして、大きな乗換駅を過ぎると、ようやく普通の混雑程度に落ち着いた。密着した体が離れ、ゆとりができた反面、何とも言えない気まずい空気の中で、二人はただ黙って電車に揺られていた。
 やがて降車駅に着き、軽く会釈して降りようとする奈美に、男は無言で名刺を差し出し去って行った。そこには大手商社名と坂井亮太という名が記してあった。
 勤務先がちゃんとしているからといって信用できる人物とは限らない。この名刺の意味は何だろう? 急に自分の前に現れ始めた男の不自然さに、恋心と警戒心の両方を抱えたまま、奈美は翌朝いつもの電車に乗った。そして、亮太がいるのにすぐに気付いた。昨日の礼を言うべきか迷っていると、亮太の方から近づいてきた。そしていきなり、次の日曜に会ってほしいと告げられた。
 
 
 最近、奈美の会社内は落ち着かない雰囲気が漂っていた。経営が怪しいという噂は前からあったが、ここへきて見切りをつけたのか転職する者まで現れ始めた。
 奈美は積極的に次の職場を探す気にもなれず、ただ事態を静観していた。でも、いつまで今の状態を維持できるかわからない。かと言って、この東京で新たな職場を探すという情熱はもはやない。故郷に帰ることが頭をよぎるようになっていた。
 実家は兄が結婚して両親と暮らしているので、帰ると言っても近くにアパートでも探すことになるだろう。働き先はあるだろうか? たしか最近隣町にに大型商業施設ができたはずなので、そこで何とか見つかるかもしれない。何よりもう東京から離れたかった。あんなに憧れていた東京から、片田舎の故郷へ帰りたくなる日が来るなんて自分でも信じられない。
 
作品名:川はきらめく 作家名:鏡湖