海のねこまんま
そんなある日のことです。
わたしは、いつも居るところからお日様のある場所への垣根を越えてしまいました。
彼が、ベランダへのサッシ戸を開けたままにしたからです。
にゃぁ。
声を出しても 彼は来ません。
わたしは、しっかり見えるようになった目で 自分の居た場所を見てみたくなりました。
ひた。ひたひた。
一足ごとに 確かめ出た外は 思ったよりも怖くありませんでした。
いつも部屋の中で飛び跳ね、登ったり下りたりしているように ベランダから飛び出しました。
ピンと立てた耳は、遥か遠い記憶のような草の音や体の横をすり抜けていった音を感じました。
『こっちだわ』
わたしは、そんな何処から出てきたのか自信が湧き出し、向かいました。
走って、走って。
部屋じゃなく、どこまで走っても壁などない世界をただひたすらに走りました。
いつも見ていた白いお日様が 赤くなっていくのを見つめながら走っていくと、見たこともない大きな水溜まりがありました。足を止めると急に不安を感じました。
彼はいない。
出かけるとも、何処に行くかも言っていない。
そこには 彼のあたたかさを感じるものは 何一つありませんでした。
『おまえ、どっからきた』
黒い大きな影が迫ってきました。
『オレの縄張って知ってのことか?』
『わ、わたしはただ… 居た場所を捜しに。おかあさんの居る場所へ行こうと……』
『なんだ、迷子か。 名前は?』
『彼は アトラって』
『なんだ、飼われてんのか? 早く帰れ! おまえみたいなやつは此処じゃ住めないよ』
『どうしてですか?』
わたしは、思いっきり怖い顔を見せて にらみました。
よく見ると 黒い大きな相手は、片目の瞼がやや閉じていました。目の横にはえぐられたような傷がありました。見れば見るほど恐い顔つきでしたが、退いてはやられてしまう。そんな気がしました。
『雌のくせに… まあいい 着いてこいや』
わたしに背を向けると 歩き出したその後をついていきました。
その背中は広くどっしりと構え、何となく彼と同じように優しく見えたのが不思議でした。