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蝉時雨~昭和19年・夏~

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「行っちまったねぇ……あんた、あの子に良い事をしてくれたね……あんなに晴れ晴れとした顔で……」
 村人が皆去り、さくらと二人きりになると、おばちゃんは前を向いたまま、叫びすぎて少し枯れてしまった声でポツリと呟く様に言う。
「どうして兵隊に行くのにバンザイなんて言わなきゃならないんでしょう……」
 しゃがみこみ、顔を両手で覆ったままさくらは絞り出すように言った。
「そうだよねぇ……でもあたしは違う気持ちを込めて言ってるよ、バンザイって万歳って書くだろう? 無事に帰って長生きできますようにって……ね」
 おばちゃんの気持ちは良くわかる、でも自分は知っているのだ、硫黄島の戦闘の行く末を……いくら望みを持とうと思っても無理……しゃがみ込んだままのさくらをおばちゃんが肩を抱いて起してくれた。
「あんた、本当にあの子を好いてくれてたんだね……どこまで帰るんだい?」
「丘の上……」
「丘の上?」
「あの丘で和彦さんに出会ったんです……少しあそこで風に吹かれたくて……」
「そうかい……」
 おばちゃんは汽車が行ってしまった先をまたしばらく見つめ、さくらに振り向いてしっかりと手を握ってきた。
「もし、もしだよ、行く宛がないんだったらあたしの家においでよ……旦那も息子も兵隊に行っちまってね、それで今日は和彦ちゃんだろう?……あたしも寂しくてさ……」
「ありがとうございます……どこの誰かもわからない私にそこまで……」
「旦那と息子……二人とも戦死しちゃったんだよ、旦那の時は息子がいてくれたけどさ、息子まで死んだって知った時はあたしも死んじゃおうかって思ったんだよ、ひとりぼっちになっちゃったのが辛くてねぇ、その時和彦ちゃんが一生懸命慰めてくれて……それからは和彦ちゃんを我が子の様に思ってきたんだよ……あの子が好いて、あの子を好いてくれた娘と一緒にあの子を待ちたいんだよ、無事に帰ってくるのをさ……きっとそうしておくれ……ね……待ってるからね……」
 さくらは下唇を噛みながら小さく頷いた。
 


 丘の上で風に吹かれながらさくらは和彦の事を思う……昨日のことが遠い昔のように思える……一日で恋に落ち、その人の運命を知り、自分の不明を恥じ、愛し合い……そして帰らぬ旅に出る彼を見送った……。
 平成の世に戻れるのかどうかわからない、でも戻れなければ戻れないでもいい、帰るはずのない人でも良い、ここで和彦を待ち続けたい、一緒に待ってくれる人もいる……そう思うとまた涙がこぼれた。



 泣き疲れたのだろうか、さくらはいつしか眠り込んでしまったようだ。
 
 蝉時雨で目が覚めると……・
 また景色が変わっている……平成の世に戻ったのだ。
 
「もしかして、夢?」
 そうも思ったが、もんぺにブラウス……夢ではない……見ると祖母の家はちゃんとある……元の時代に戻れたのはいいが、おばちゃんと一緒に和彦を待つことも出来なくなってしまった……それは辛いが、祖母も心配しているに違いない……。
 さくらは立ち上がり、ふらふらと丘を降り始めた……。



「ただいま……」
「さくら!? さくらかい?心配したんだよ、夕べは一体どこに……・えっ?母さん?……」
「お祖母ちゃん……私よ……」
「ああ、さくらだ……そうだよ……間違いない……そんなことあるわけが……」
「どうしたの?」
「あんまりそっくりだったからね……」
「曾祖母ちゃんと私が?」
「ああ……良く似てるとは思ってたけど、その髪型でその格好……まるで生き写しだよ……」
 
「……ねえ、曾祖母ちゃんの写真ってある?」
 茶の間に上がり、冷たい麦茶を飲むと少し落ち着いた……さくらも祖母も……。
「あんまり数はないけど……あるよ……あのね、やっぱりさくらって名前だったんだよ、その名前が大好きだっていつも言ってた……だからお前の母さんに赤ちゃんの名前つけてって言われた時にね……」
 クッキーの空き缶に大事にしまわれていた黄ばんだ写真、曾祖母は確かに自分と良く似ている……しかしそれ以上にさくらの目を奪ったのは一緒に写っている女性……お隣のおばちゃんだ……。
「この人……」
「ああ、すごくお世話になった人でね、しばらくご厄介になってたこともあるんだよ、あたしも小さかった頃よく面倒見てもらったよ」
「お祖母ちゃんはもしかして、この人のお家で生まれた?」
「そうだよ……」
「曽祖父ちゃんってどんな人だった?」
「会った事ないんだよ、あたしが生まれる前に戦争に行ってね、亡くなったんだよ……」
 祖母はクッキーの缶の底から黄ばんだ封筒を取りあげた。
「母さんが大事に大事にしてた写真だよ、これ一枚きりしかなかったから」
 祖母が封筒から取り出した一枚の写真……。
「……和彦さんだわ……」
「お前、どうして父さんの名前を?……話したことあったかい?」
「ううん……でも知ってるの……名前は田島和彦……亡くなったのは硫黄島……」
「……そうだよ……母さんはきっとどこかで生きてるって言い続けてたけどね、あたしが大人になってから調べたんだよ……昭和二十年、硫黄島にて戦死……」
「ううん……きっとどこかで生きていた……毎年桜を見て曾祖母ちゃんを思い出してくれてたと思う」
「どうしたんだい?その格好と言い……何があったんだい?」
「……ねえ……曾祖母ちゃんのお墓って……」
「子供はあたし一人だったからね、後継ぎがいないからお墓はないんだよ、町外れのお寺に合葬されてるよ」
「この人……このおばちゃんは?」
「母さんと一緒だよ」
「ねえ、今から行こう、そのお寺に……そこで何があったか話すわ」
 
 
 
「ねえ、お祖母ちゃん、曾祖母ちゃんがどうして自分の名前が好きだったか知ってる?」
 無縁仏の碑に線香と花を供えて一心に拝んだ後、さくらはポツリと話し始めた。
「知らないねぇ……お前は知ってるのかい?」
 祖母も碑に向かって手を合わせたまま顔を上げて答える。
「うん……和彦さんが……曽祖父ちゃんが褒めてくれたの、良い名前だって、桜の花は大好きだって」
「そうかい……それでね……」
「信じてもらえるかわからないけど、昨日あったこと全部話す……」
 
 祖母はじっと聞いていてくれた、時折小さく頷きながら……そしてさくらが話し終えるとポツリと呟いた。
「そう、その夜出来たのがあたしだったんだねぇ……」
「……私はこっちに戻ってきちゃったけど……もう一人の私が向うに残ったのかも……一生和彦さんを待ち続けたいって思ってたから……非科学的だけどね」
「でもね、今のお前の話……母さんから聞いてたことと全部しっくりくるんだよ……
少し大きくなってからだけどね、話してくれたんだよ、父さんと出会った時のこと、父さんが汽車に乗った時のこと、おばちゃんのこと……一晩限りだったけど心から愛し合ったこと……でもね」
「でも……何?」
「父さんと出会う前の事は何も話してくれなかった……いくら聞いてもはぐらかされるばかりでね、まるで他所の世界から迷い込んだみたいだなって思ってた……お前の話を聞いてね、不思議な話だと思ったけど謎が解けたようにも思ったよ……」
「あれ? そうすると私、お祖母ちゃんのお母さん?」
作品名:蝉時雨~昭和19年・夏~ 作家名:ST