蝉時雨~昭和19年・夏~
「お前はあたしの娘から産まれた子だよ、あたしはお産に立ち会ったんだから間違いないさ、産まれた瞬間に母さんによく似てると思ったけどね」
「それとも……生まれ変わりなのかな?……」
「……かもしれないねぇ、お前の母さんが鈴木って人と結婚するって聞いた時も巡り合わせを感じたけど……」
「え? それじゃ、曾祖母ちゃんも鈴木さくら?……」
「そうだよ、まあ、鈴木姓は珍しくないし、お前の名前は母さんにちなんであたしがつけたんだから不思議というほどじゃないけどね……」
「何かの拍子に前世の記憶を辿ったのかな……でも、だとしたらあのモンペは?」
「分からないよ……不思議だけど、あの格好のお前を見てなければ今の話もこんなに真剣に聞けなかっただろうねぇ」
「そうね……私も自分に起こったこと、夢だと思って話さなかったかも……あのね、今決めたの、私、先生になる、社会科の先生に」
「ああ、いいねぇ、おなりよ」
「和彦さんが言ってたの、人はみんな何か役割を持って産まれて来るんだって、今の時代で私が出来ること、私だから出来ること……和彦さんのような人が沢山いたから今の日本がある、日本を愛して、日本の未来を案じて戦ってくれたから……それを後世に伝えなきゃ」
「そうだねぇ、その為に生まれ変わったのかも知れないねぇ……」
「……うん……」
二人は改めて碑に手を合わせた。
蝉時雨がその二人を包む。
蝉は鳥に狙われる危険を冒してまでも声を限りに鳴き続ける。
ただ、命を未来に繋げるために……。
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あれから7年余り、さくらが中学校の社会科教師になって5年が過ぎた。
毎年、3年生への最後の授業の内容は決まっている。
「あのね、私は不思議な体験をしたことがあるの、祖母の生まれ故郷の漁村の、港を見下ろす丘の上でね……」
その頃には既に進路も決まり、プロ野球で言う消化試合のような授業なのだが、さくらの最後の授業が始まると生徒たちは聞き入ってくれる。
「……村の人たちがバンザイ、バンザイって見送ってる時、私は立ち上がることも出来なかったわ……だって帰って来れない事は知ってるんだもの……戦争は悲惨よ、ないほうが良いに決まってる、でも地球上から戦火が途絶えることが無いのが現実よね、日本は戦争を放棄してるけど、戦争は日本を放棄してはくれない、あの時代、戦わなければ日本は解体されて植民地にされてしまったかもしれない……現代では想像しにくいけど、強い国が弱い国を植民地にするのは当たり前の時代だったし、人種差別もまだ大手を振っていた時代なの。
無謀な戦争だったと言えばそうかもしれない、もっと早くに降伏していれば原爆を落とされずに済んだかも知れない、それも否定できないわ、勝ち目のない戦争なら最初から植民地化を受け入れてしまえば良かったと言う考え方だってあってもおかしくはない、でも、私はあの時戦っていなければ今の日本の繁栄はなかったと思う、誇りを持って戦う姿を見せたからこそ日本は解体されて植民地にされずに済んだと思うし、誇りを持って戦った人たちの思いを受け止めていなかったら、焼け野原からの復興だってあんなに短期間で出来たはずはないと思うのよ……。
だから戦った人たちのことを悪く言うのはいけないわ、愛する人、愛する故郷を守ろうと戦ってくれたんだから……そして焼け野原から立ち上がって今の繁栄の基礎を作ってくれたのはあなた達の曽祖父、曾祖母ちゃんたち、そして祖父ちゃん、祖母ちゃんたちなの、戦争で亡くなった兵隊さんたちの思いを胸にして頑張ってくれたの……遠い遠い昔のことじゃないのよ、あなたたちの身近にいる人たちが生きて来た時代のことなの、そのことだけは忘れないでね……」
「先生、家のおばあちゃんなんだけど、先生に会ってみたいって……」
卒業式の日、卒業生の女子から声をかけられた。
「私に?」
「うん……おばあちゃん……」
女生徒の後ろから年配の女性が進み出て来た。
「先生はさくらさんと仰るとか……」
「はい、鈴木さくらです」
「もしや、曾祖母様も鈴木さくらさんでは?」
「え?……はい、確かに」
「やはり……曾祖母様を存じているんですよ」
「本当ですか!?」
女性が知っていると言うさくらは曾祖母に間違いなかった、あの漁村の出身だと言う。
「孫から先生の授業の話を聞きましてね、私の知っているさくらさんの身の上と似ているなと思ったんですよ……本当に良い授業ですね、孫も感銘を受けてましてね、私に話してくれたんです、それで卒業アルバムを見せてもらったら……」
「ああ……曾祖母と私はよく似てるそうですから」
「ええ、本当に良く似ていらっしゃる……曾祖母様は目立つ方でしたからね」
当時、身長が160cmある女性というだけでも珍しかったのだろう。
「それだけじゃなくてとてもお奇麗な方で……私は憧れてたんですよ、それで良く憶えているんです」
「詳しくお話を聞かせていただけますか?……」
生徒が巣立ってがらんとしてしまった教室で、その女性から曾祖母の話を聴くことが出来た、祖母より五歳年上だと言うその女性は、祖母がまだ小さくて憶えていなかったことも良く憶えていてくれた。
曾祖母は今で言うシングルマザーだ、当時なら結婚もせずに子供を産むなど不道徳の極みと思われても仕方がない、しかし、戦地に赴いて帰らない和彦の子供、と言うことでそれを云々されることもなかったらしい。
「曾祖母様に惹かれてた男の人は多かったんじゃないでしょうか、何しろスラリとした美人でしたから」
良く似ていると知っているだけに少し面映いが、確かに当時の女性の中に混じればかなり垢抜けて見えただろう。
「でも浮いた話は少しもなかったですよ、男の人たちもさくらさんが帰らない人を待ち続けてる強い気持ちを知ってたんでしょうね、でも、だからこそ余計に輝いて見えたようですよ」
女性は柔らかく微笑んだ。
「実は、父が亡くなる直前に『母さんには内緒だぞ』と話してくれたんです、ただでさえ奇麗な人だったけど、帰らない人を一途に待ち続けてるのが余計に魅力的で、みんな自分の奥さんと比べて、『この人が女房だったらなぁ』って言い合ってたんですって」
「そうですか……あ、祖母をご存知で?」
「すみれちゃんね……懐かしいわ、仲良くしてたんですよ、でもずっと会ってないわ」
「今でも祖母はあの漁師町に住んでるんですよ」
「そうなんですか? もうあの村には親戚もないものですから足が遠のいてしまって……曾祖母様はよく丘の上で海を眺めていました、すみれちゃんと一緒に……私も一度ご一緒したことがあって、その時、最初のうちはすみれちゃんと遊んでいたんですけど、さくらさんは静かに座って海の向うを眺めながら思い出に浸ってる様子でした、その時のさくらさんの穏やかで幸せそうで、それでいて切なげな顔がすごく奇麗で……思わず見とれてしまった事を覚えています……そうですか、すみれちゃんもお元気ですか……近いうちに行ってみます」
「ええ、ぜひ……祖母も喜ぶと思います」
女性を校門まで見送る。
作品名:蝉時雨~昭和19年・夏~ 作家名:ST