Plin
ジャニスにはすまし顔の写真がほとんど無い、顔をくしゃくしゃにして笑っているか、魂を搾り出すように歌っているかのどちらかだ、そして「ニカッ」と笑った時のプリンは確かにジャニスに少し似ている。
「小学生で『本気じゃないなら出て行ってよ』なんて歌ってたんだから変だよね、中学になるとさ、ロック聴き始めるのも結構いるし、バンド作ったりも始まるわけ、でもジャニスって60年代じゃない、そんな旧いの聴いてるのはいなかったなぁ、だからバンドには入れてもらえなくてさ、母屋にピアノがあったから独学で少し覚えて弾き語りしてた、聴いてくれるのはお母さんとオジさんだけだったけどね」
「バンドをやってなかったなら、放課後は何をしてた?」
「悪さばっかりしてたよ、相変わらず勉強は嫌いでさ、サボリはしょっちゅうだったし、タバコとかお酒とかもね、だから不良グループみたいに思われてたけど、カツアゲとかやる奴は大嫌いなんだ、だからそう言うのとは付き合わなかった、お金が欲しいならバイトすれば良いんだよ、学校じゃバイト禁止だったけど農家はいくらでもあるもん、手伝えばお小遣いもらえるからさ、そのお金持ってバスで町まで出てゲーセンとかマックとか行ってた、楽しかったよ」
「学校にはバレなかったのかい?」
「バレたよ、そもそも悪いことしてないんだから怒られても屁の河童だったし」
どうやら母親のシンプルな教えはしっかり守っていた様だ。
田中は、つい自分の子供時代と比較してしまう……自分で言うのもおこがましいが、実際の所、常に申し分のない優等生だった、きちんと勉強して成績は何時もトップクラス、親や教師に手を焼かせるようなこともなかったし、それが当たり前だと思っていた。
しかし、それはあくまで自分のためだ、子供の頃から、大人になったら尊敬を集める仕事に就いて良い収入を得ることを考えていた。
それに比べると、由子のほうがより人間的な気がしてしまうし、よほど生き生きとしているとも思う。
法律も然りだ。
細かいルールで縛り上げると、逆にその網の目をかいくぐる輩が現れるし、道徳的に立派でも法律には引っかかってしまう者もいる、人間として良いのか悪いのか、と言うのは二の次だ。
弁護士の仕事は依頼人に網の目をくぐらせ、相手側には網をかぶせるようなものだ。
依頼人の利益を守ることが一番の目的とは言え、自分はそれに何の疑問も感じずに今日まで続けて来ていたのだが……。
「高校時代? うん、バンドやってたよ、新入生の時に二つ上の先輩でギターの上手い人がいてね、練習を見に行ったらあたしの知ってる曲やってたから、飛び入りで歌わせてもらったら気に入られてね、レッド・ツェッペリンって知ってる?」
「名前くらいはね……ああ、そう言えば『天国への階段』は知ってるよ」
「そう、正にその曲を練習してたの、でもさ、男性でロバート・プラントみたいな声出せる人ってまずいないじゃない?」
「ああ、確かに高い声だったな、なるほど、君ならぴったりだったわけだ」
「そうなんだ、ラッキーだったな、それからはバンド一辺倒だった、初恋もそのギターの先輩だったし」
「そうか……」
「あれ? 少し妬いてる?」
「ははは……まさか」
「そうなの? ちょっと残念だな、あたし、先生のこと好きだよ」
「はは……そりゃどうも」
「なんだかさ、東京に出てきて3年になるけど、こんなに楽しく話をしたことなかった気がするんだ、留置所の中なのにね……これまでは、喋るのは必要なことだけで、『お前は歌って、股を開いてればいいんだ』みたいな感じでさ」
「そこなんだが……」
「何? 股を開くってこと?」
「女の子がそんな言葉を使うものじゃない」
「あ……うん……そうだね」
「最初はね、『肉体関係を強要されていた、メンバーが快楽を追求するために覚醒剤を供与していたのであって、被告の意思ではなかった』と主張する戦術を考えていたんだ」
「脅されたわけじゃないから、あたしの意思も少し入ってるけどね」
「ああ、それも聞いたよ、しかし、それを法廷であからさまにするのは少し忍びないんだ」
「どういうこと?」
「つまりだな……君はまだ21歳だ、その君が日常的にバンドのメンバーに……その……抱かれていたと言うことをおおっぴらにしなくちゃならない、それは君の将来にとって良いのかどうか……」
「でも……それ、嘘じゃないよ……」
「ああ、そうらしいが、だからと言っておおっぴらにしなくちゃならないことでもない」
「別に……ロックシンガーだからさ、二十歳過ぎで処女だなんて誰も思わないよ」
「だとしてもだな……」
「先生、それを裁判で言いたくないわけ?」
「まあ……突き詰めればそう言うことになるな」
「どうして? あたし、高一の時にその先輩と寝ちゃったよ」
「それは、君が望んでそうしたことだろう? その男が好きで」
「うん……」
「強要されて……その……下卑た言い方をすれば廻されてたのとは違うだろう?」
「そうだね、それは全然違うなぁ……」
「自由奔放な君のことだ、幾つも恋をしてベッドの中でも愛し合っていたのは別に構わないんだが、強要されていたと言うのには抵抗があるんだ」
「抵抗がある?」
「あ、まあ、それを戦術とするのにね」
「そうなんだ……あたし、先生とならベッドの中でも愛し合いたいな」
「こら、人をからかうもんじゃない」
「からかってなんかいないよ、本気でそう思う……こっちへ来てから、そんな風にあたしの為を思ってくれる人は先生が初めてだもん、なんかさぁ、この3年で心に水気がなくなっちゃってた気がする、それって先生と話しててわかったんだ、このことがなかったら気がつかないうちに渇き切ってひび割れっちゃってたかもね」
「そ、そうか? 私はただ戦術としてどうかと……」
「ホント言うとね、あたしね……やっぱりイヤだったんだ、あいつらに抱かれてるとダッチワイフ代わりにされてるみたいだなと思ってたもん、おっぱいと穴さえあればいいのかよってね……それなのにね、シャブやって廻されるとすっごい感じちゃうんだ、心はイヤだって言ってるのに体は反応しちゃう、もう、心と体がバラバラになりそうだったよ」
「そうか……可哀想にな」
「あたしがあたしの目標のためにしていたことだから、可哀想なんて思わなくてもいい……」
「すまん、言い方を換えよう、私は君がそんな風に自分をすり減らすのを見たくないし、そうして来た事を人に聞かせたくもない、他でもない、私自身がいたたまれないんだよ」
「……」
「本当は弁護士として、そう言った私情を挟むのは良くないんだがね……」
「あのね……裁判では先生の思うようにやっていいよ、廻されてたことを話して刑を軽くしてくれても良いし、話すの止めて刑が重くなってもそれはそれでいいから……全部先生に任せるから……」
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田中は法廷で性的関係強要は持ち出さなかった。
その代わり、幼少期からの由子の性格、生き方、母親の事までをつぶさに語り、そんな娘が覚醒剤拡散に手を染めるはずがないと力説した、その結果、それが認められて、由子は懲役1年、執行猶予3年の判決を言い渡された。