影さえ消えたら 2.復元
「迷子の電柱」で二人と落ちあうと、隼人は古い町工場の敷地内に連れていかれた。
学校の校区外にあるこの廃工場は、たしかに記憶に残っている。隼人が見つけて「秘密基地」だと言いふらしているうちに仲間が押しかけてきて、大人にばれてしまったのだ。持ち主が土地ごと放棄してしまったのか、半開きになったシャッターのむこうにまだ工作機械が残されている。電気が通っていないので動くことはないし、のこぎりの歯も錆びついているが、危険なことには変わりない。
敷地のまわりには赤いコーンが立てられているだけで、誰でも容易に入れてしまう。子供の頃はこんな風に放置された建物がいくつもあって、多くがホームレスの住み家か子供の遊び場所になっていた。
砂利の上に残っている錆びたネジやらワイヤーやらを踏みながら中に入っていくと、数名の子供たちが姿を見せた。突然現れた正体不明の大人に誰もが目を見開く。小さい隼人が「しぃーこの人は協力者や」と言うと、とたんに真面目な顔つきになって静かに話を聞いていた。
「ほんまに信頼できる人間なんやろな」
建物の奥から声を張り上げたのは、赤いマントをまとった大柄な男児だった。容姿は幼いくせに瞳をギラギラと輝かせて睨みつけてくるその尊大な態度は、桐生大輔のものに違いなかった。
「この人は大丈夫や。迷子の電柱のことも知ってた」
小さい隼人は胸を張ってそう言う。子供の信頼というものはどこにポイントがあるのだろう、と考えていると、半そで短パン姿の大輔が太い眉を吊り上げてにじり寄ってきた。
「俺らは世界を救うための活動をしてるんや。仲間に入りたいんやったら、まずはテストや」
そう言って、手に持っていた玩具の刀をふり上げた。その切っ先を追ってついていく。彼が示したのは建物の裏手だった。トタン板の壁にそって木製の階段が寝かされている。
「これを屋根にかけるんや。そしたら街中を見守れる」
小さい大輔がはしごを登るしぐさをする。隼人は階段を見てため息をつく。どう見てもこれは屋外用の階段ではなく、室内用にこしらえられたものだ。屋外用の防腐剤を塗っていないせいか、すっかりカビに覆われて朽ちてしまっている。
なぜこんなところに放置されているのかわからないが、持ち上げただけで崩れ落ちてしまうのではないかと思った。
「あのさ、これ梯子じゃなくて階段だと思うんだけど」
「そんなん見たらわかる。ごちゃごちゃ言わんとはよ屋根にかけえや」
それが大人に対するものの言い方か、と思ったが、そこは飲みこむことにした。
迷いながらも、木製の階段に手をかけてみた。蹴こみの部分が抜けているので、そこから腕をさしこんで踏み面を持ち上げる。想像していたよりずいぶん軽い。
縦向きにしようとひとり苦戦していると、腰に手をあてて立っていた大輔が、子分たちに命令を下した。土についていた部分は苔むして泥まみれだが、子供たちはおかまいなしだ。隼人のむかい側で、小さい隼人が必死に支えている。
誰かが怪我でもしたら責任を取れるのか、ということが頭をよぎったが、そもそも自分はこの時代に存在するはずのない人間なのだと気づいて、苦笑する。すると腕の力が抜けたのか、ななめになった階段がグラリと揺れた。あわてて構えなおすと、「何ニヤニヤしてんのや」と大輔が横から支えに入った。
身体が大きくてガキ大将だった大輔のことを、好いている者もいれば毛嫌いしている者もいた。ケンカで勝ち目がないことはわかっていたし、命令されて腹が立つこともあったけれど、隼人はなぜか嫌いにはなれなかった。大輔もなぜか隼人のことを連れ回しては「おまえは頭がええから」と言っていた。二人の間に上下関係はなく、一緒にいればお互いプラスになるし、諍いもあるけれど楽しいこともある、という仲だった。
現実の世界で彼は弁護士になった。子供の頃から悪をやっつけるヒーローになりたがっていた夢をかなえ、初志貫徹したのだ。偉そうなことを言って母親に無理をさせて東京に進学した自分より、よっぽど筋が通っている。
父の死後、叔父に勧められて中学受験の勉強をし、東京に住む彼と生活することを迷わず選択した。なぜ母はあっさりと承諾したのか――そのあたりの記憶に靄がかかって、うまく思い出せない。
子供たちの歓声を耳にして我に返った。まだいいとも何も言っていないのに、階段を支えていたはずの子供たちが次々とトタン屋根の上に登っていく。
「おいっこら! そんなにたくさん乗ったら屋根が抜けるぞ!」
隼人の進言もおかまいなしに、子供たちは屋根の上ではしゃいでいる。むかいにいたはずの小さい隼人の姿もない。
階段は壁によりかかっているだけで、隼人が手を離せば倒れてしまいそうだ。側面を支えている大輔は子分たちが全員乗ったのを見届けたあと、勢いよく階段をかけ上がっていった。
紅一点の綾女だけが「危ないやん。やめようよぅ」と叫んでいる。隼人も加勢したが、興奮しきった彼らに隼人の声など全く届かない。
屋根が壊れたらとか落ちたら怪我をするとか、彼らの頭をかすめもしないのだ。親に怒られることほど楽しくてたまらなくて、秘密にしているつもりがどこからか露呈する。そして結局どこの家でもこてんぱんに怒られる。
げんこつを食らいながら「なんにも悪いことしてない」と歯噛みし、翌日からまた同じことをくり返すのだ。
屋根の上で大騒ぎする隼人たちを見上げながら、そりゃあ親父たちも怒るだろう、とため息をついた。それから眉をしかめている綾女を見て、彼女には小さい頃から心配ばかりかけていたのだなと気づく。隼人たちが悪さをする現場までついてきても、参加することはあまりなかった。もしかすると、何かあった時に助けようと考えていたのかもしれないと思うと、彼女には一生頭が上がらない気がした。
「イーグルレッド!」
「タイガーイエロー!」
屋根の上から、大輔と小さい隼人の声が聞こえる。この時代には確かに桐生大輔が存在して、隼人たちと交流を持っている。元の時代の綾女が「誰それ?」と言ったのは、やはり名前を聞き違えたのだろうか。もしくは大輔と隼人のどちらかに腹を立てていて、すっとぼけたとしか思えない。電話帳に名前がなかったことも気にかかるが、自分の記憶違いかもしれない。
とにかく元の時代に戻る術が見つかったら、大輔の実家を訪ねてみようと隼人は思った。
そのとき、屋根のむこう側から甲高い声が響いた。「だいちゃーん!」と叫ぶ声も聞こえる。そばに立っていた綾女が血相を変えて走り出したので、隼人も階段がしっかり立つことを確認して、声の方までかけ出していった。
すると工場の上の方で、大輔が宙づりになっていた。どうやってよじ登ったのか知らないが、建物の裏手は二階分の高さしかなかったのに、大輔は表玄関の四階あたりにぶらさがっている。かろうじて屋根伝いにめぐらされた雨どいをつかんでいるが、メキメキと嫌な音が響いている。
隼人はあわてて周囲を見渡したが、登れそうなところはない。真下はコンクリ―トの地面だ。落ちたら骨折どころでは済まないかもしれない。
作品名:影さえ消えたら 2.復元 作家名:わたなべめぐみ