シロカネのホロケウ
ウォセの中で、眠っていたホロケウの血が弾けた。
周りの全ての景色が白く消し飛び何も見えない……。見えるのは唯、眼の前の獲物……エタラカだけ。
頭の中に思考はない……。急所は何処だ? 何処に喰らい付けばお前をひと咬みで絶命できる? 血が……教えてくれる、カラダが……応えてくれる。
「何をしておる! 避けるんじゃエタラカーーーーーーーー!!」
駆けつけたシアプカが咄嗟に叫んだ時には、ウォセの鋭く成長した牙がエタラカの横っ腹を貫いた後だった。
「ゥプ!!……ゴキュリ」
牙は内蔵まで達し吐血しかかったエタラカは、喉を鳴らして自らの血を飲み込んで見せた。だが、行き場を無くしたホロケウの浄血は牙穴から漏れ出し、灰色の体を真紅に染めていく。
なおも咬み潰そうと顎を軋ませるウォセを、今度はエタラカが低い体勢から頭を大きく振り上げ投げ飛ばした。
〈ドスン!〉
地面に叩きつけられた衝撃で、ようやく我に返るウォセ。
「お、おいウォセ! 大丈夫か!」
そこへ、死んだとばかり思っていたピリカが、慌てふためいた様子で駆け寄ってきた。
「痛てて……、あれ!? ピリカ!なんで……」
「ウォセーー! ゴメンよ! 俺、俺、まさか……こんなことになるなんて」
「良かった! 生きてた! ピリカが生きてたーーー!!」
頬をこれでもかとくっつけ、喜び合う二匹。
「でも、どうして? オイラ、てっきりエタラカに殺されちゃったもんだとばっかり……」
「ううん、違うんだよウォセ。俺、エタラカさんにウォセの最後の修行をするから協力してくれって頼まれてさぁ」
「最後の修行?」
「うん。それで、ウォセが帰ってきたら何にもしなくていいから、そこに寝っ転がってろって言われて……あれ?」
「どうしたんだよ ピリカ?」
「そう言えば、エタラカさんがいないぞ」
「しまった!! エタラカーー!! クソッ、エタラカの奴……あんな体で何処いっちゃったんだ。エタラカ、エタラカーーー!!」
動転しキョロキョロと辺りを見回すウォセ。それは、もはや親を探す子の顔そのものであった。
「……ウォセ」
「シアプカ様……」
「すまぬ……エタラカは、もうここにはおらんのじゃ。そして、恐らくもう……戻ってはこんつもりじゃろう」
「え!? いないって……戻らないってじゃあ、エタラカは何処に行ったんですか! 何でシアプカ様がオイラに謝るんですか!」
「ウォセよ……許せ。そして、今からこの語り部が話す事を、お前の純粋な心でしっかりと受け止めて欲しいんじゃ」
シアプカは語り始めた。エタラカとレラ、二匹の悲しいホロケウの物語を……。
*
ウォセ……。もうわかっているだろうが、そなたは狼じゃ。だが、山犬でもある。つまるところ同じなんじゃ、この地では狼は山犬、山犬は狼……どちらも同じホロケウと呼ばれる獣じゃ。
では、なぜ山犬とだけそなたは聞かされていたのか? それにはまず、そなたの母の話から語らねばならん……。
そなたの母であるレラは、とても美しい白銀の毛並みを持って生まれてきた。そう、今のそなたと全く同じ……シロカネの毛色じゃ。
だが、それがいけなかかった。陽の光を浴びて輝く白銀の毛並みは珍しく、強欲な人間達に……それも、あの火を吹く人間に執拗に追われることになる。
仲間を守る為に狼の群れは、レラを捨てる事を決めたんじゃ。
「何だい、まだいたのかい! とっとと何処かへいっちまっとくれよ! お前がいると、大事なこの子達まで人間に狙われちまうじゃないか!」
「痛い!……。そうだね……今までありがとう皆んな。私のせいで、本当にごめんなさい」
家族として共に過ごしてきた仲間達からも忌み嫌われ、無情にも一匹だけで生きる事になったレラ……。
だが、不幸は重なるもんじゃ……。帰る場所もなく、人間から逃げ回り続けてヘトヘトになったレラが出くわしたのは、一匹の巨大なヒグマ……そう、アムルイだったんじゃ。
巨大な腕に掴まれてもレラは抗えなかった……いや、抗わなかったというべきじゃな。生きることに絶望し、やっと楽になれる……そう思った時……。
「クソ邪魔だ! そこの熊公!!」
そこへ突然現れたのが若き日のエタラカじゃった。苦もなくアムルイの頭に飛びかかり、右目を咬み潰してしまった。
「何!? 眼、眼がぁー、グゥウォーーーーーーーー」
「バカヤロー、何してんだ! とっとと走りやがれ!!」
「え!? あ……はい!」
二匹は逃げに逃げた。そして辺りが暗くなり、キンタンの泉が見えた頃、ようやくエタラカは足を止めたんじゃ。
「ハァー、ハァー。あの、ありがとうございました。助けてもらえなかったら、私……」
「あれ? おめえ こんなとこまで付いて来ちまったのかー!? それによ、別に俺様はおめえを助けたわけじゃねえ。あのデクの坊が気に入らなかっただけだぜ」
「ううん、それでもいいの。嬉しかった……本当に……嬉しかったの」
「や、やめろよ! 助けてねえって言ってんだろうが……。にしても、何でおめえみたいなのが一匹であんな所にいたんだ?」
「それは……」
レラは今までのいきさつを全て打ち明けた。もちろん、生きる希望を失っていたこともな……。
「へッ、おめえ一匹守れねぇなんて、その群れの連中も情けねえ奴らだな。それによ、自分から群れを捨ててやった俺様からすりゃ、そんなとこ出ちまって正解だぜ」
「もしかして、あなたも……一匹だけで生きてるの?」
「あぁ? 悪りいかよ? だがさっきも言ったけどよ、俺様は自分で選んで今こうしてるんだからな。お前さんと一緒にして貰っちゃー困るぜ。それによ」
「あ……はい」
「その泉に自分の姿を映してみな?」
「え?こ、こう? ……あ……」
レラはその時生まれて初めて自分の姿を眼にしたんじゃ。群れを出る要因となった、大嫌いな……シロカネの姿をな。
「どうだい?」
「え? どうって言われても……自分の姿なんて初めて見たので……」
「綺麗じゃねぇか」
「あ……え!? き、き……」
「綺麗だ。お月さんに照らされてよ、お前さん眩しいくらいだぜ」
「あ……ありがとう……ございます。あ、あのー!」
「うん? 何だ……」
「このままあなたに、付いていっても……いい……ですか?」
「バ、バカじゃねえか!? そんなもんダメに決まってんだろ!」
「どうして?」
「どうしてって、ダメなもんは、ダメなんだよ!!」
「フフ……でも私、もう決めちゃったもの」
こうして二匹はつがいとなり、レラの優しさがエタラカの心を溶かし始めた頃……ウォセ、そなたが生まれたのじゃ。
生まれたばかりで覚えておらんのも無理はないが、この時、そなた達三匹は間違いなく幸せな時を過ごしておった。