詩集【紡ぎ詩Ⅲ】 ~恵想花~
「あの人はどうしているのか」と思い出してくれる人もきっといるのだろう
この町にはたくさんの住人がいる
長く棲んでいる人もいれば
ある日 突然居なくなる人もいる
家だけは残し 住人だけが消えることもある
かつて私が暮らした家はそのまま残っているけれど
私は今 新しい家を建てて暮らしている
皆 それぞれ一生懸命に生きているのだ
去る人
来る人
戻ってくる人
そういう人を日々 呑み込んでなお
泰然としているこの町の不思議さを思う
☆「『セイチョウザイ』は『成長剤』?」
クリスマスイブを明日に控えた土曜の午後、末っ子といつものように買い出しに出かけた。場所は、いつものスーパーだ。日用品・食料品を中心にカゴに入れ、レジで会計を済ませた。スーパーのビニール袋に品物を入れるのは、今日日、どのスーパーでも同様にセルフだ。私と娘はレジ横の広い台の上でせっせと袋に買い込んだ品物を詰めた。
その時、台の片隅にこんな張り紙があった。
―クリスマスイブに買い物に来てくれたお子様にはお菓子をプレゼントします。
末尾には「小学生以下限定」と添えられている。私は隣の娘に向かい言った。
「残念じゃなあ。どうせなら明日に来れば良かったのにな」
ところが、小六の娘は頬を膨らませて言う。
「この年になって、お菓子なんか要らんし。いちいち来るのがだるいだけじゃわあ。もう子どもじゃねえんじゃから、いつまでも子ども扱いせんで欲しいわ」
最近の決まり文句が娘の口から飛び出た。私は笑いを堪え真剣な顔で頷く。
「そうじゃな、もうすぐ中学生じゃもんな」
スーパーの後は、少し離れたドラッグストアに寄った。少し私のお腹の調子が良くないので、整腸剤を買うためである。店内を並んで歩きながら、娘が私に訊いてくる。
「ママ、セイチョウザイって、呑んだら大きくなれる薬?」
最初は意味が判らなかったのだが、どうやら「整腸剤」を「成長剤」だと思い込んでいるらしい。更に娘は大真面目に続けた。
「お兄ちゃんに呑ませて、背を大きくしてあげるん? それなら、私にも『成長剤』を呑ませてよ」
私は笑いを堪え切れず、ついに吹き出した。
「セイチョウはセイチョウでも、その成長ではなくて、整腸、つまりお腹の調子を整えてくれるお薬のことだよ」
「なーんだ」
娘の顔には露骨に落胆の表情が浮かんでいる。子ども扱いするなと言う傍ら、子どもらしい可愛い勘違いをするのは、やはり子どもだからに違いない。幼い微笑ましい思い違いだ。
小学校高学年になった頃から、末っ子はことある事に「子ども扱いするな」と言うようになった。本当の大人なら絶対に口にしない台詞で、それを言うことそのものが子どもっぽいのだと当人は自覚できていない。しかし、上の三人の子たちを育ててきた経験上、こういう時期は敢えて否定しない方が良いのも判っている。
子ども扱いされたくないと願うのは、自我の芽生えだろう。本人は真剣で、心底から望んでいるのだから、できるだけ意思を尊重しつつ、間違っていることだけ軌道修正してやれば良い。子ども扱いしないでといずれ言わなくなる日は来る。そのときこそ、本当に我が子が「子ども」を卒業したときなのだから。
☆『セピア色の本』
図書館で本を借りた
どうしても読みたくて予約までした小説だ
なかなか本が入ったという連絡がないので
予約していたことも忘れかけたていた頃
やっと図書館から電話が来た
早速 受け取りにいったところ
市内の図書館にはなかったから 倉敷市の図書館から借り受けたという
市立図書館以外から借り受けた本は返却期限厳守
通常ならできる二週間延長もできない
公共の本を利用する者としてルールを守るのは当たり前だが
二週間以内に読み切るとなるとなかなか大変だ
帰宅して早々に読み始めた
随分と年代物の本に見える
奥付で確認したら 2006年初版発行と記載されている
今から十年余り前に出たことになる
2006年といえば 末の三女が生まれた翌年だ
考えてみれば その頃は赤ちゃんの世話にかかりっきりで読書どころではなかった
改めて本を閉じて表紙を眺め
また開いてパラパラとページをめくってみる
ほとんどのページの四隅が変色して
恐らくは雨に打たれたのであろう痕跡もしっかりと残っている
一体どれだけの人がこの本を手にし
はるか昔の良き時代に心を遊ばせ
イギリスでくりひろげられた恋物語に胸をときめかせたのだろうか
私もこの本を手にした瞬間から
その数多い人たちの一人になった
年月を経て色あせ多少くたびれてはいても
本には書き込みもなければ折り込まれた箇所もない
この本を読んだ気の遠くなるような多くの人たちが
大切に読み継いできたのであろうことがしっかりと伝わってくる
時を経てなお読み継がれ
後世へと伝えられてゆく図書館の本
借りたのは どんな人たちだったのだろう
眼を閉じれば この本の中で紡がれる架空の物語以上に
本を借りていった人たちについての想像が私の中でふくれあがる
年配のご婦人もいただろうか
まだ年若い女学生もいただろう
忙しない日々の中 罪のない一刻の時めきを物語に求め
皆 この本で束の間の「恋」を楽しみ
ヒロインの過ごしたドラマティックな時間を共有したのだ
この本を大切に読み継いできた人たちのことを想う度
何か胸に切ないような それでいて暖かい感情がこみ上げる
私の次はまた誰か新しい借り手が現れるまで
本は大きな図書館の書庫の一角で
しばしの眠りにたゆたうのだろう
不思議な縁でめぐり逢った一冊の本
この本のお陰で
あいまみえたこともないたくさんの―この本を借りた人たちと
見えない細い糸で繋がっているような気がする
セピア色に染まった本を見ながら
様々な想いをめぐらせる
そんな一瞬が貴重なものに思えた
☆「幸せの形」
人はよく口にする
―自分は幸せじゃない
でも 幸せって何だろう
時々 考えてしまう
お金がたくさんあること
好きな人と両想いになれること
美人であったの美男であったりすること
人によって思い描く「幸せ」の形はそれぞれ違うのは当たり前
でも 思わずにはいられない
身体が健やかで やりたいことができる
誰にもゆずれない叶えたい夢がある
それが自分の幸せだと
想像もつかないような大富豪になったとしても
どれだけ恋人から愛されたとしても
他人が羨むほど美しい容姿をしていたとしても
健康でなければ何の意味もない
病気になっても お金があれば治療はできるけれど
お金で「健康」そのものは買えない
健やかでなければ何もできない
一生懸命打ち込めることがあるって素敵
それだけで人は幸せになれる
当たり前なのに
誰もなかなか気づかない
本当の幸せ
☆「恵想花」
今年もまた大好きな花の咲く季節が近づいた
数日前 庭に降り立ち
白木蓮を眺めた
蕾はかすかにふくらんで 開花の瞬間を刻一刻と待ちわび
そのための準備をしているようだ
美しく咲き誇るその一瞬だけのために
長く厳しい冬を耐え抜き
着々と用意を調えている
花を見ていると
美しく咲き誇ることそのものではなく
美しく咲き誇ろうと努力することが大切なのだと教えられる
私も目下
自分だけの花を咲かせようと
作品名:詩集【紡ぎ詩Ⅲ】 ~恵想花~ 作家名:東 めぐみ