彼が残した風景
秋晴れが広がる日本列島はここしばらく晴天が続くと天気予報では言っていた。
私は新幹線に乗り新下関駅で降りた。ある程度、下調べはしてきたが一人でこんなとこまで来ると心細い。それから駅職員に教えてもらったバス停から関門海峡を見渡せる「唐戸市場」へ向かった。
バックの中には昔の男が送ってきた色あせた絵葉書が入っている。
土曜日の昼前だからだろうか、魚卸市場である唐戸市場は人で溢れていた。
カモンワーフと名付けられた海沿いの一角は、ウッドデッキの桟橋や水族館、大観覧車そして海峡を一望に見渡せるタワーがありテーマパークのような賑やかさだ。
私はその活気についつい一人なのに陽気になる。
生きてる人が笑いあい、食べ物を美味しそうに頬張る姿は見ていて元気になれる。
市場の中は魚屋さんの集まりだ。小さな商店が店先にいろんな魚を並べている。スーパーで見る魚とはまた違って美味しそうな魚に見えるから不思議だ。
私はサザエのつぼ焼きを食べることにした。そしてビール。朝からのビールは特別な自分へのご褒美だ。プラスチックのお皿に載せてもらったサザエを落とさないようにして、私は海のすぐそばのベンチの空きを見つけ腰を下ろした。
缶ビールのプルトップを爪先で開け、一口飲むと秋晴れの空が目に入り「なんて気持ちが良いんだろう」と思った。
海峡の流れは想像以上に早い。まるで川の流れのようだ。そこにマンションぐらいはあるであろう大型タンカーが滑るように航行している。対岸の九州はすぐそこに見え、なんて狭い海峡なんだと思った。そしてそこを大きな船が行き交う。テーマパークの中で大きなアトラクションの船が動いてるようだ。そして海がキラキラしている。私は来てよかったと思った。
海風の通り道みたいな海峡はエキサイティングであり活気がある。
私は彼が送ってくれた絵葉書を取り出した。
空から海峡を写した写真は大きな橋が中央に見える。今、私の左側に見える白い大きな橋が多分これなんだろう。ここのカモンワーフはまだ影も形も見えない。そうか、そうなんだあれから時が進んだんだ。この今という時間もやがて過去になる。そして誰知れず消えてゆく。
ハガキを送ってくれた彼は過去の男となり、私の記憶から消えていき私の今もやがて記憶に仕舞われ消えてゆく。なんだか生きてることって本当は幻のようなものかもしれないと私は思った。
それから、水族館へ行き泳ぎ回る魚を見て、お昼ごはんを食べることにした。レストランはどこもみんな海鮮料理の競い合いだ。たしかに美味しそうだが私は2本目のビールを飲むことにした。
ちょうどステージではJAZZの生演奏が催されている。空いてる椅子をひとつお借りして海をバックに演奏する4人のジャズメンを眺めながらビールを飲んだ。素敵な演奏に足先が勝手にリズムを刻む。
曲が終わるとサックスを持った奏者がマイクを持ち挨拶をしだした。50歳くらいのダンディな男だ。悪くない。いつもは対岸の門司という町の中のジャズクラブで演奏してるそうだ。
そして「Ruby My Dear」をこれから演奏すると言う。
この曲は知っている。あの絵葉書をくれた男が教えてくれた曲だ。そして付け加えるなら「別れの曲」だ。私はきれいな静かな曲に彼との昔の思い出を乗せた。そして、少しだけ泣けてきそうになった。