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無条件降伏からの歳月

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「アメリカの関与政策に屈しない国や地域があるだろう」
「アメリカは国際資本と二百年来の移民で築かれてるのよ。だから世界国家なの」
「伝統も歴史も浅い新興国家だ。封建制を知らない唯一の国家なんだよ」
「そうね、自由と民主主義はそこから生まれているのね。高貴な理念ではないのよ」
「植民地からの独立という犠牲ははらっているよ」
「脱ヨーロッパということね」
「そのアメリカがいまヨーロッパにも世界にも関与している」
「皮肉なものね」
「終わりのない世界に向かっているのだ」
「そういうことね」
 二人の会話は、恋人同士が交わす会話にしては堅苦しくて愛のムードとは程遠い。それは他人から見た解釈かもしれないが、当人同士は結構意気投合しているから、硬い話題をめぐって相手を刺激しあっていた。愛の形は世間共通のものではない。それぞれに個性があって、愛の表現に違いがある。ラブとジャックは世界観を確認しあってスピリチュアルラブを高揚させていたのだ。「世界の中の自分探し」がテーマであったような会話だが、自分のことは語らずに世界情勢を分析することで自分の位置を確認しようとするかのような雰囲気があった。>

 読み終わった真理は、不思議な感情に襲われて、しばらくぼっとしていた。ラブとジャックの愛のかたちをこのように描いた父にいまさらのような思慕が沸いてくる。父は孤独ではない。少年時代に経験した理不尽な戦争体験に疑問を持ち続けながら時代の変化に対応して生きてきた。そして身近な家族の変貌に戸惑いながらそれを乗り越えようとしている。その極点にあるのが人間愛だということが真理に伝わってくる。
 父・三平がどうしてこのような小品を書いたのか、悶々とした情を感じないでもないが、案外と客観的に見ているようでもある。征服された日本が復興した過程を自分の体験に重ねながら、世界の歴史だとして納得させようとしているのではないか。時代とともに変わる人間像を見詰めて生きているのだろうと真理は思った。
 人間が一生を生きるのは並大抵のことではない。平和な時代に生まれて育った自分たちと、昭和の戦争を生き抜いてきただけではなしに、百八十度も価値観の変わった戦後を今日まで生き続けた父の世代に真理は、これからの自分たちの生き方に役立つ教訓を引き出すべきだと思っていた。
 真理には父に対する感傷があって、老年をいたわってあげたいという心境に傾きがちである。父は元気そうにしているけれども実際は寂しいのではないかと思う。しかし、真理のその思いとは裏腹に、父が送ってきた詩は心の若さを告げるようであった。

オレンジとレモンの
二人の女がいた

夕方五時三十分
出勤前だろう
コーヒーを挟んで
話している

ひとりの女が
入ってきた
別の席にいた男が
立ち上がって
帰りがけに
この女を見た

「あらっ」
女が
男に気付いた
男は
びっくりしたようだったが
知り合いだ
前の席に座った

二人の会話が
弾む
ともに二十歳後半
のようだ

女は
男の前で
アイシャードの
手入れをした
そして
話をつづけている
話しが途切れたとき
女は
口紅を直しだした
四角いケースの
鏡に映しながら

女は
腕時計を見た
ケータイを出して
写真を
男に見せた

ケータイの画面を
拭く
指の爪には
銀のマニキュア

「女の子を紹介したげよか」
女はケータイで
男を写そうとした

男は
たじろいで避けた
「やっぱり止めときます」
女は
ケータイを閉じる
カチッと音立てた

 コーヒー店に入っていた父が観察したのであろう。この詩には客の無頓着な動きが眺める者の目から描写されている。老人にとってはまさに他人事であるがそれに関心を寄せる心が残っている。これも一つの老春であろう。真理は微笑ましいと思った。父は元気に生きているのだと真理は安心する。
 老境の人の心の底を覗くことは難しい。その人の人生があれこれとおもちゃ箱のように乱雑に詰まっている。それが時々何の脈絡もなしに飛び出して来る。本人自身が驚くことがあるという。何かのきっかけがそれを誘発しているのであるが、思い出がよみがえるときの状況とは全くかけ離れた過去のことが飛び出してくることがある。この現象は老人に限ったことではないが、老人には過去に立ち返る心が強く作用している。
「面白い現象だが」と父・三平が真理に話したことがある。夜寝ているときに突然、今日は空襲がなかったと、目を覚まし安心したことがあるという。六十三年も前のことがよみがえって、その当時の生活の風景がまざまざと目に映った。当時の人々がそのままの状態で生きている。時間が止まった感じだったと言った。また、小学一年生だったときに襲ってきた室戸台風で校舎が倒れ、家まで田圃を駆け抜けて帰ったときの恐怖感もいまだに残っているという。
 人生の記録がこのように断続的によみがえってくる中で、年齢の重さを感じるのが老人であるが、それに照らして若者を眺め、この者のこの歳のときは自分は何をしていたかを思い出す。時代の違いをその比較から発見し、孫や子供を含めて、それぞれ思うように生きるがいいと思う老人もいれば、自分の経験を若者に押し付けようとする老人もいる。父は前者のタイプだと真理は思った。傍観者だから父はこのような詩も書くのだろうし、兄・平介夫婦にもそのように接しているのだと理解している。あるとき父・三平が言った。
「世の中に絶対の真理はない。自然にはそれがある。この間をさまよっているのが人間だ。正しく生きたければ自然に即することだよ。これとは逆に、人間の万能を信じて自然を征服する思想の持ち主がいる。科学はそれによって進歩したのだろうが、科学は自然の真理を認知に変えることは出来ても真理にとってかわることはできないのだよ。自然の真理は人間を超越して存在している。そう思わないかね」
 真理に納得を迫ったときの三平の顔は真剣だった。老境に至って到達した心境だろうと真理は思った。若い頃は兎がピョンピョン飛び跳ねるように生きてきた卯年の父であったが、八十歳を超えるとさすがに静かな人生を過ごそうとしているように見える。自分と周囲を引き離しそれを楽しんでいる。現役を退いてからは、「却って周囲のことがよく見えるようになった」と言ったこともある。山登りをしているときは山は見えないが登り終えて頂から見ると登ってきた道も周囲の山々もよく見えるのと同じなのであろう。真理にはその心境がわかるようであった。
 最近の父がニヒリスティックだと怨んだこともある真理だが、若者を眺めて軽妙な詩をものする父に、若さの名残を見る思いであるし、このように諦観に近い人生観を身につけた父に驚嘆もしている。人はその一生を不思議に過ごすものだと思った。この思いを父・三平にぶちつけたとき、父から手紙が来た。
作品名:無条件降伏からの歳月 作家名:佐武寛