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無条件降伏からの歳月

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がいいのか、弥生や皐月のように親のあとを継ぐのがいいのか、是非は解らない。どちらにも理があると思う。所詮はどちらの価値観が優勢になるかということだ。バーバラが勝つか、真理が勝つかの勝負だと思えばいい。僕はそれを楽しみに生きる。自分の人生の決着を孫の代で見るのだ。>
 
 真理は奇妙な気持に襲われた。父・三平は社会と格闘している。その中心に自分たち子供の生き方が据えられているようだ。孫がどのように育つかは親である自分や兄・平介の生き様にかかっていると見抜かれている。「自分の人生の決着を孫の代に見るのだ」と言うのは、この国が敗戦によって占領されて以来の変化の決着を見る思いに等しいのだろう。占領政策によって異化された日本人の生き様を見定めようとしている父の姿が真理に迫ってくる。
 
                 五
 父・三平がその本心をもらしたような返信を受け取った真理は、父は孫の成長を見て自分たち母親を評価しようとしているのだと思った。 しかもそれは、自分の人生の決着を孫の姿によって確認しようというものだ。それこそが父にとっては自分が戦った戦争の決着でもあるというのだからおそろしい執念であると真理は思った。その父からまた新しい小品が届いた。表題は「終わりの無い世界」である。

<ラブが長い廊下を北の端から駆けて来る。ロングヘアーに黒いドレスを纏っているので、白い石柱をいくつも越えてくる姿は白と黒の流れるようなイメージを作り出す。ジャックはその眺めを南の端から楽しんでいる。彼は決してラブに駆け寄ろうとしないでラブが近寄ってくるのを待っていた。
 春風のようにやってきたラブが両手を挙げて、ゴールのテープを切るようにジャックに抱きつくと、ジャックは大きくかぶさってラブを支える。二人の頬が擦れ合っていた。ここは宮殿の外側の石造りの廊下である。その外には丹精に手入れされた花壇が緩やかに傾斜しながら遠くの池にまで伸びている。その上に広がるブルーの空は澄み切っていた。

「どうして、今日はブラックのドレスなんだ」
「だって、今日はアントレーヌの命日で墓参したの」
「そうだった。僕はすっかり忘れていた」
「ジャックは薄情なんだから」
「死んじゃったものに同情しても始まらないだろう」
「お参りしてあげるのがエチケットでしょう」
「アントレーヌにはワインで乾杯が最高のプレゼントだ」

 死者に対する礼とは、その霊を慰めることか、現世に呼び戻すことか、そのどちらともいえないだろう。死者のイメージは、生者によって作られているのだから、生者の気持次第かもしれない。ラブはアントレーヌを安らかに眠らせようとしている。生前の彼女の活躍を偲んで永遠の眠りこそが彼女に相応しいと思っているのだ。ところがジャックはそれとは正反対にアントレーヌがよみがえることを願っている。彼女が生きていればこの時代はもっと変わった姿になっていただろうと思っている。だからジャックはアントレーヌが生きていて革命の勝利を祝って乾杯することこそが彼女に捧げる最高のプレゼントだと思っていた。
 ラブとジャックは宮殿の中に入る。ラブが先に立ちジャックが後についていた。中は歴史的文物の展示場になっていて、王侯や王妃とその家族たちの肖像画が壁面を埋めている。
二人は寄り添って立ち止まり、ひそひそ話しながら、頷きあっていた。しばらくして、二人が入った部屋には、甲冑や刀剣が飾ってあり、壁面には王家の系譜と故事が掲示されている。それらを一巡して見て廻った二人は、広い廊下に出た。そこは最初に会った野外廊下とは部屋を挟んで反対側の内廊下である。そこからは市街地がはるか先に遠望された。

「あの方角よ、わたしとジャックのアパートがあるのは」
「あそこに見えるタワーが目印だ、近くに川が湾曲しているあたりだろう」
「あのあたりは低地帯だから、川が氾濫すれば水没するよね」
「それがわかっていて、転居したくないのがわれわれだ」
「この宮殿に住めればいいのにね」
「僕はあそこがいい。生活の匂いが充満しているから」
「此処は亡霊の館だと言いたいの?」
「ラブには彼らのうめき声が聞こえなかったか」
「ジャックは幻想にとらわれたの?」
「隣のベッドルームに騎士と王妃が居たね」
「王家の歴史に犯されたのじゃないの?」
「ラブと僕だったかもしれないよ」
「歴史を歪曲するの?」
「現実を直視しているんだ」

 ラブとジャックは笑いながら観覧に戻る。大気を十分に吸ったので、気分も大きくなり胸も膨らんでいた。ジャックが声を聞いたベッドルームは黒ずんだ金箔の部屋でベッドは真紅のシーツカバーに包まれている。ベッドの上部には宝石を吊るした飾り布が張り巡らされ、ベッドを囲む四隅の支柱には白いカーテンがピンクの飾り紐で束ねられ天蓋から床に伸びている。その周りをめぐりながらジャックはラブを抱くように寄り添っていた。

「此処で見た夢は征服の歓喜だっただろうか」
「襲われる恐怖におののいていたかもね」
「逆賊に妃を奪われた王は逃亡したのか」
「捕らえられて斬首されたって書いてあったでしょう」
「歴史は真実を伝えているのか不明だよ」
「真実は王妃がこのベッドで悶えたってことよ」
「相手は誰でも良いのか」
「王妃は征服者を愛したのよ」

 ラブとジャックが冗談を交わしながら食堂に入ると、目を疑うほど光沢を放った金属食器が食器棚にも食卓にも並んでいた。当時の状態を彷彿させる輝きに二人は吸い込まれる。見入っているうちにタイムスリップして華麗で豪華な食卓に自分たちが招かれているような錯覚に襲われた。

「北海から地中海に至るまでの食材が揃っていたのだろう」
「黒海の魚も揃っていたでしょうよ。イスラムも征服したのだから」
「キリスト教国を築いた大王だったね」
「親族乱婚の家系だったのでしょう」
「王妃は異邦人が好きだった」
「三人いた娘たちはどうなったのよ」
「オーストリー、プロイセン、ブリテンの王子たちの妃になったね」
「征服者たちの常套手段よ」
「閨閥で近隣の王国を隷属させたって事か」
「そうよ。妃の産んだ男子が王位継承者になったのよ」
「外戚の王には娘は宝だって事だな」

 王家の歴史を追って、さまざまに思いをめぐらしていたラブとジャックは、満足したように庭に出る。形良く刈り込まれた植樹の間を縫って下りながら二人は、遠望される自分たちの街が恋しくなっていた。先程までの興奮は歴史上の人物に操られたようなマジカルな雰囲気に包まれていたのだと思いながら二人は、日常に戻ろうとしている。
 街路は中央のサークルから放射線状に六方に延びている。東西南北の道路は広く東北と南西に伸びる道路は狭く、両脇には古ぼけたアパート群が立ち並んでいる。この表通りから脇には幾条もの小道が入り込んでいる。ラブとジャックはその一つの小道を歩いていた。夏でも夕方なので陽光は淡く日陰に入ると冷たく感じる路地裏である。

「この石畳は何百年前のものかね」
「ジャックはまだ歴史の中をさまよってるの」
「この街が作られたのはあの王の時代だろう」
「共和制になってからじゃないの」
「王は領民を牛馬のようにしか扱わなかったからね」
作品名:無条件降伏からの歳月 作家名:佐武寛