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無条件降伏からの歳月

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「平介兄さんはどう言ってるの?」
「兄妹だからじかに聞けばいい。僕は平介に意見は無いと思うがね」
「だって、リリーの父親でしょう」
「子供の好きなようにさせているんだよ」
「それは、お父さんがそう思ってるだけで、平介兄さんもバーバラさんも結構、教育に熱心なのじゃないかな。大学選びや専攻のサジェッションをしてるんでしょう」
「僕の耳には入らないね」
 父がウソを言うはずはないから本当に何も知らないんだろうと真理は思ったが、父が疎外されているという感じがして淋しかった。真理はそれとなく様子を窺がうように父を見る。ところが、真理の気遣いに反して、三平からは真理をねぎらう言葉が飛び出してくる。
「料亭の女将という仕事は大変やろう。跡継ぎの嫁やから仕方ないが苦労なことやね。舅や姑さんとは上手くやれとるのか」
 真理は一瞬、驚いたが、父の気持がありがたかった。幾つになっても娘は娘という感情がこういわせたのだろうと思った。自分自身の高齢化は忘れているのだ。自分のことよりも娘のことが気になっている。自分のことはあまり言わない父からその感情が伝わってくる。
「心配してくれて有難う。楽しくやってるから安心しといて。女将の仕事は張り合いがあるのよ。うちの旦那は経営の才覚があるらしくて商売は繁盛してるの。舅さんも姑さんも仕事の分担をしてくれてるので小言など出る暇は無いね。平介兄さん宅はバラバラの個人主義なら、うちは団結せな生きていけん家族主義よ」
 真理が自信たっぷりに言うと、「勤め人とあきんどの違いやな」と、三平がもっともだというように頷いた。三平自身が一生を職場に捧げたように生きてきたのだ。
「お勤めの人は定年になって職場が無くなったら宙に浮いてしまうのね。うちに来るお客さんでもそういう人がいらっしゃる。家庭内には居所がないらしいのね」と、真理が言うと、「働き口がなくなって、家にじっとしてるのはストレスがつのる。何かやらないかんと、心のなかでは悶えとるのやな」と、三平が同情したように応じた。
「男が一日中家に居ると、息が詰まるのでボランティアに行ってもらってるという奥さんもいらっした。ストレスを感じるのは女のほうが大きいのじゃないの。男は身勝手でいつまでも夢を追っているけれど、女にはそれが耐えられないときだってあるのよ」
 真理は、続けて、「お母さんが早く死んだのはそのためじゃなかったの」と言いかけて言葉を呑んだ。それを言えば気まずくなるし父がかわいそうだと咄嗟に思った。それには気付くことも無く三平は楽しそうに箸を運んでいる。
 真理は、父の姿をみながら、これから先も元気でいてもらうためには、人生の集大成のような仕事をしてもらうことだと考えた。それがなんだかは自分には解らないが父自身は知っているはずだと思い、「これから何をして暮らすつもりよ」と尋ねた。すると三平は、「平介やバーバラの生き方に興味を持っている。これからの新家族を観察したい。一緒に住んでいるので体験できる。そのためにも干渉はしないのや。彼らの純粋な生態を見るだけでいい。そこから意味を抽出するのが僕の仕事やね」と言った。真理は驚いて、「そんな目で観察されている家族は気の毒やね。うちはごめんやで」と、手で払いのけるような所作をした。だが心のなかでは、父が老け込まない秘密を知った思いだった。

                 三
 それから時がたって終戦記念日が近くなった頃、真理は父・三平から一通の手紙を受け取った。その内容は父がやはり戦時中のことを引きずっていると思わせるものだった。
 
<今の若者からは理解してもらえないだろうが、17歳半ばで赤紙召集を受けて入隊し即刻現役編入になった。終戦の年のことである。その時の軍隊といったらボロボロでまともな兵器も無い。短剣は竹製であったのには驚いた。
 この軍隊は大坂の信太山で編成されたのだが、宿舎は小学校であったと覚えている。村の道から校庭に至るまでには幅の広い長い石のなだらかな階段があった。歩哨に立ったのは階段の一番下で道の脇である。そのときに中隊長の将校がさしかかったので捧げ銃をしたのだが、将校が驚いた顔をした。後で立派だとお褒めに預かった。何しろ二度、三度召集された老古兵も居る掻き集めの兵隊である。
 この部隊はこの結集地から何処かに移動するはずであったが不衛生な状態の中で疫病が発生し足止めを食っていたようである。小学校の汲み取り便所には糞尿が山済みになっていた。そんなある日に、終戦の玉音放送を聴くために校庭に集められた。このときのラジオは自分が家に戻って持って来たものである。部隊にはラジオすらなかったのである。そのときの玉音放送は雑音が多くて明瞭には聞き取れなかったが、終戦だということは知れて隊員の緊張がほぐれたことは確かである。
 それから一時帰休(実際は軍隊の解散)するまでに半月ぐらいはあったように思う。中には憲兵を志願するものも居たがその後どうなったかは知らない。自分もあのままだったら幹部候補生になって移籍していたはずである。出願直後に終戦になったのだ。
 入隊直前の昭和20年3月13日には大阪大空襲があった。翌朝、天王寺公園では防火用手押しポンプに寄りかかるようにして防空頭巾とモンペ姿の女性が死んでいた。蒸しあげられたように膨らんでいたのを覚えている。近鉄・天王寺から歩いてきたのだが、それから更に動員先の陸軍需品廠まで歩く途中では、高圧線に宙吊りされた丸焦げの死体が万歳した格好で逆さになっていた。人間がカラケシそのものだったので茫然とした。公園でも道路でも遺体が転がっている。交通機関などはありはしない。人は黙々と歩いている。こんな災害は生まれて始めてである。空襲で焼け野原と瓦礫の山と死人の異臭が残る中で召集されたのだから終戦を救いの神と感じたのは本能的な反応だった。
 「マッカーサー万歳」という言葉がこの頃はやった。進駐軍が日本全土に配置されたが、国民が怖れていた危害は無かったのである。日本人はこのとき抵抗しなかった。だからうまく行ったのだろう。海外からの復員軍人や引揚者が街にあふれ、闇市が繁盛した。進駐軍相手のピーさん(売春婦)やオンリーさん(決まった相手に春を売る女)が現われる。生きるために食うために始めた女の稼業だろう。戦争は弱いものを直撃した。
 今のこの国の制度はアメリカによってつくられたものだ。その根幹を成したのがGHQ指令である。憲法から教育制度、地方自治、産業再編などすべての分野でアメリカ化が行なわれた。日本人の行動様式も「民主主義」で統一されることになった。戦争の回想は戦記だけではない。戦後のレジームが日本人を異化した事に注目せねばならない。
 十八歳に満たないで復員した自分が、混沌の中で生き残れたのは、皮肉にも占領政策のおかげである。日本人を並ばせてDDTを頭からぶっかけた占領軍だったが、強制労働などをさせなかった。勉強も仕事も自由に選択できたし、食い物も日用雑貨も豊富になった。それに軍隊から解放されたことが最高だったのである。
作品名:無条件降伏からの歳月 作家名:佐武寛