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無条件降伏からの歳月

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「それにしても、今の世の中は大変だなあ。毎日、人殺しのニュースがあるやないか。親子で殺し合うのだから考えられんことがおきている。イジメや虐待が子供を怯えさせている。僕たちの育った時代にはこんなことは無かった。たまにあっても例外中の例外やったね。今の世の中は悪に汚染してしまっている。こんな世の中を僕たちが作ってしまったのかと反省するときがあるよ。経済成長至上主義でほかの事を置き去りにした。しかも、その経済も崩壊して一〇年の苦しみをあじわったのだから、何をしてきたのか僕たちの罪は深いよ。その間に世相が変わって今日のようになったんだ。子供にも孫にもえらそうなことは言えんね。平介にも真理にも悪い世の中を残してしまったよ」
 父・三平の述懐のような言葉に真理は「そうでもないよ」といいたかったがあまりの真剣さに気後れした。
「俺たちは負け戦を引き継がされたんだぞ。戦死した仲間の顔は今も覚えている。それを背負って敗戦の中から立ち上がってきたんだ。ジャパン アズ ナンバー ワン といわれた八十年代がいまではウソのようだが、それだけのことはしたのだ。それでいいのだ。菊本のように卑下することは無いよ」
 真理は興味深くこのやり取りを聞いていたが、二人の老人が若返っている雰囲気に飲み込まれている自分に気付いた。男ってこんな風に生きているんだということをまざまざと目にした。「平介にも真理にも悪い世の中を残してしまった」と言った父・三平にも驚かされたし、それに反論して「卑下することは無いよ」と言った山田のツッパリにも感心した。男二人の純情がぶつかり合ったようなものだと、真理は微笑ましい気分だった。
 「真理さんを独りぼっちにしといてこれは済まんこっちゃ。ついこっちの話しに夢中になってしもうた。今日は親娘で仲ようお出かけでしたか。邪魔してしまいましたなあ」
 山田は恐縮した顔で真理に声をかけた。三平と思わず長話になったことを詫びているのだが、話しの最中でも時々真理を見ていたことを真理は知っている。真理に話しかけたいのだろうが遠慮していたことがわかっている。この年配の日本の男は女と話すのが苦手なんだと真理は自分の父親を見て知っている。
 「父がお声をかけたんですから、山田さんこそご迷惑じゃあ無かったですか。お邪魔をしたのはこちらなんです。父がこれほどおしゃべりするのは珍しいのです。懐かしかったのですね。」
 真理は山田にお辞儀した。「こいつ、親をからかいよって」と、三平が照れ隠しのように言ったが、まんざらでもないようだった。
 この後、真理と三平は山田と店先で別れる。雑踏に消えてゆく彼の後姿をしばらく見送ってから二人はショッピング街を反対方向に歩く。歩きながら真理は、老人とは孤独なものだ、それをカモフラージュするように元気にして見せていると感じた。この父だって、虚勢を張っている。自分のいのちが少しづつ年々少なくなることを身体で感じているのだろうと思った。山田さんのように奥さんの介護に疲れ子供も居ないとなると尚更深刻だろう同情する。
「ねえ、山田さんを時々、家に呼んであげたらいいのじゃない、お一人ではさびしいでしょうから」
「家って、僕のところか、あれは平介の家だから、嫁のバーバラの了解も取らねばならんだろう」
「一度、平介兄さんに話してみて、渋るようだったら私の家でいいよ」
「そうか、僕からより真理から平介に言ってくれたら彼も応対しやすいのじゃないか」
「そうね、お父さんからだと平介兄さんも断われないだろうから、そうしようか」
 真理は、父が平介兄さんに遠慮している様子を感じた。いや、実は、バーバラさんに気兼ねしているのだろうと思い直す。
 「博物館に行ってから夕食にしましょうか」
「それもいいなあ。話に疲れたから絵でもみるか」
「インカ文明の特別展を開催しているのよ」
「それは楽しみだ」
 真理は父が乗り気になったので案内することにした。館内は一時間程で一巡したが、三平がまた戻って見直すと言ったので、真理は付き合うことにする。古代文明の発祥から消滅までの過程を目で追うだけでも疲れるのだが、そのストーリーをゆっくり丹念に読んでいる父を見ると真理は、その熱心さに感心すると同時に、子供のような好奇心を残している父に健康な証拠だと安心した。
 夕刻、二人は料理屋「三ツ輪」で親娘水入らずの食事をたのしむ。会席料理が有名な店で年寄りの口にも合うというので真理はこの店を選んだ。座敷ではゆっくり時間が取れるのが良かった。話しは当然のように先ほど見てきた展示のことになったのだが、三平の口は重かった。「お父さんの印象はどうだった?」と、真理が誘いをかけても、三平は考え込んでいる様子だった。
 それからやおらして、「黄金とミイラ信仰が重なった奇妙な世界だったな」と、呟くように言った。真理は「そうね」と合槌を入れたが、それ以上は聞き質さなかった。説明を求めても言わないのが解っているからである。父は自分が納得するだけで満足する人だということを真理は知っている。
「此処の食事、気に入った?」
 菜旬鍋の湯葉、麩、餅をはさみ上げたり胡麻豆腐を掬い揚げたりと、ゆっくりしたテンポで鍋を楽しんでいる父に真理は、老いを感じながら、ねぎらうように尋ねる。それには三平が直ぐに応じた。
「久しぶりだよ。こういう料理を口にするのは。身体に優しいね。年寄りには日本料理がいい。気に入った」
「よかった。お父さんに満足してもらって」
 この後、向付の鮮魚サラダ、進肴の伊勢海老油焼き、強肴の無花果の胡麻掛けが出て、食事は高菜焼きむすびと佃煮、デザートは旬果フレッシュジュレだった。
「バーバラの料理はアチラ風だから、肉が多いし、油濃くって、僕の口には合わないのだが、文句は言えんよ。孫達二人もアチラ風がすきだからね」
「遠慮しないで好きなものを作ってもらえばいいのよ。平介兄さんにも言えばいいじゃないの。バーバラさんに直接は言いにくければ」
「心配せんでいい。僕が平介の家庭に馴染めばすむことよ。真理の優しさに釣られてつい愚痴ってしまったが、アチラ風のファミリーも捨てたもんじゃない」
「それならいいけど、無理しないでね」
「家庭内の異文化交流だ。生活のマナーが違っている。そう思えば新しい発見もあるよ」
 三平は淡々としているような口ぶりである。その心のなかは覗けないが、これまでの人生でいろんな変化を経験しているから案外と環境を理解しているようには見えた。何しろ一つのことにこだわっていては生き続けられない世の中を通過してきたのだ。真理はリリーやジョージとバーバラが平成の黒船だろうと想像している。幕末と違うのは日本がアメリカに全面降伏した後だということが決定的ファクターだ。
「バーバラさん、アメリカへ帰りたがってるのでしょう?」
「そうじゃない。リリーが日本人のボーイフレンドとアメリカへ行くそうだ」
「いつ?」
「大学はアメリカに決めてるようだ」
「リリーの希望なの?」
「ボーイフレンドがリリーをさそってるそうだよ」
「リリーはアチラ育ちだから英語は母国語よ。ボーイフレンドはリリーを頼りにしてるんでしょう」
「そうかも知れないが、とにかくリリーは水を得た魚になるだろう」
作品名:無条件降伏からの歳月 作家名:佐武寛