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かざぐるま

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 一郎が畳み掛けるように聞く。
「うるさいはねえ。手紙読んだでしょう」
 美樹はイライラしている。手紙を持った手が震えているし、顔はゆがんでいた。固く結んだ口には力が篭っている。一郎はそのそばでおろおろしていた。
「お祖母ちゃんとこに行こう」
 美樹がやっと口を開き一郎を引っ張って家を出る。夕方だったがまだ陽が高い。まぶしい光が差している。美樹はその光を浴びて幾分か気分を取り戻したようだった。お祖母ちゃんの香奈のマンションまでは歩いて三十分ぐらいで着く。大通りの商店街は避けて小道を選んだ。人と出会いたくは無かったのだ。マンションに着くと出迎えてくれた香奈に黙って母の手紙を差し出した。
 部屋に入って手紙を読んだ香奈は、美樹を抱きしめた。思春期の美樹が受けた衝撃がいかに深いか香奈には想像が着いた。八重の手紙には、
「実家には戻らない、一人で生きてゆくから捜さないでほしい、子供たちは淳に渡すからそちらで育てて欲しい」と、走り書きしてあった。
 この夜、香奈は美樹と一郎をマンションに泊まるように言ったが、美樹は家に帰るといって聞かない。一郎も猫のキャッシーが心配だから帰るという。俊介は淳に連絡を取ってこっちらに来させるから帰りたければ淳と一緒に帰ればと言った。
 香奈もそれが良いと同調し淳の会社に電話を入れたが、部長さんは外出されていて本日は直接お宅に帰られる予定になっていますとの返事だった。
「帰っておいてやら無いと淳が困るだろう」と言う俊介に、香奈も、
「そうですね」と応えて、
 香奈が二人を連れて淳の家に行くことになった。美樹は深い思いに沈んだような顔をしていたが、そのとき、美樹があのときに見た父と母のベッドでの痴態を思い出していたとは、香奈には全く想像も着かないことだった。


             五
 この夜、淳は帰って来なかったし連絡も無かった。一郎は香奈のそばを離れなかったが、美樹は自分の部屋に篭ったままで出てこない。香奈は傍で寝ている一郎に毛布をかけてやりちゃぶ台に向かっていた。キャッシーがその傍で首をかしげながら一郎を見ている。
 深夜の家は時々柱の軋むような音がする。外では雨戸に風が当たっているのかがたがたと戸を鳴らしている。香奈はその音を聞きながら、自分の父がこの家を建てて呉れたのは俊介と結婚したときだったと思い出していた。あれからかれこれ四十五年が経っている。淳にこの家を譲ったのは二十年前だった。それ以来この家のリフォーミングをやっていない。淳には全くその気が無かったのだ。
 香奈はこの夜、ほとんど眠れなかった。淳が帰ってこなかったことは予想の範囲内だったから特に驚くほどではなかったが、嫁の八重の行方がつかめないのが最大の悩みである。 
 二人の子供のためには母親がいなくなることは精神的に致命傷になる。特に、美樹は思春期で唯でさえ精神的に不安定であるのに、母親の家出は相当酷いショックを与えていると香奈は心配だった。美樹の部屋をのぞいて様子を見たかったが、何度も腰を浮かしては思いとどまったのは、美樹を不用意に刺激したくなかったからである。
 翌朝のことだ。美樹がよく眠れなかったのか目を腫らせながら、キッティンに現われて、朝食の用意をしていた香奈に話しかけた。
「お祖母ちゃん、ありがとう。ゆうべはごめんね。父さんは帰ってこなかったけれど、慣れてるの、いつものことだから。母さんのことは心配しないで。私と一郎のところに必ず戻ってくるから。ゆうべ寝ていて気付いたの。母さんの生き甲斐は子供だってこと。母さんは、いつか言ったことあるの。父さんと別れても貴方達は離さないって。あの手紙に、私と一郎を父さんに渡すと書いてあったのは、本当の気持じゃない。身を落ち着けるまで一人じゃないと、仕事もさがせないからよ。それにね、お祖母ちゃんが私と一郎の世話をしてくれるって、わかっているのよ。私も、父さんはこの家から出て行ってもらいたいの。帰って来ても入れてあげない。お祖母ちゃんはこちらへ来て住んで頂戴。だって、この家はお祖母ちゃんの持ち家でしょう」
 香奈は驚いた。自分の心配していたこととは全く違うことを美樹が言ったのだ。美樹の顔をまじまじと見詰めながら、その成長振りに驚嘆する。子供だ、子供だと今の今まで思っていた孫の美樹が、大人も及びつかないほどの意見を持っていたのだ。女の子が十九歳にもなるとこんなに強くなるのかと美樹を見詰めていた。
 美樹が、その心の中で父と母の先日の痴態を思い浮かべ、父に対する嫌悪を深めていたことを香奈は知らない。美樹には母がかわいそうだったのだ。女を暴力的に征服し、愛情を篭絡する男が許せなかった。母は家出して当然だと美樹は思っている。
「お父さんが帰ってこなくても淋しくないのかね」
「この家に入れたくない。私と一郎の養育費は淳からお祖母ちゃんが貰って頂戴」
 香奈は絶句した。美樹が自分の父親を淳と呼び捨てたこと、養育費を受け取ってくれと言ったのには、息が止まるほど驚いた。この朝、一郎はションボリしていたが猫のキャッシーが相手をして元気付けていた。朝食はトーストとハムと目玉焼きに野菜サラダで、オレンジ・ジュースとミルクを飲みながら、八重のいない食卓の囲んでいる。いつもなら八重の食事を急かせる声が響いているのだが今朝は静かだった。
 淳が香奈に電話を架けてきたのは美樹を送り出した後だった。香奈は八重が置手紙して家を出たことを告げる。美樹が淳を家に入れないと言っていることも付け加えた。淳は直ぐ家に戻るからと言って電話を切った。
 この後、香奈はこれからどうしようかと思案に暮れる。美樹を説得して淳と暮らすようにせねばならない。母親が家出したのだから父親を頼りにするのが当然なのにと香奈は美樹の気持を察しかねていた。母親が家出までする気になったことに娘として同情しているにしても父親をこうまで嫌悪しなくてもいいだろうにと香奈は思っていた。
 この日、淳が戻ってきたのは夕方だった。淳は帰ってくるなり、
「美樹は居るか」
 と尋ねた。香奈は首を横に振る。淳はそのまま自分の部屋に入ったまま出て来ない。
  一郎は外で友達と遊んでいる。猫のキャッシーはベランダで夕陽を浴びていた。香奈は昼間、夫の俊介とこの家族のとこで相談したが、俊介は時が経てば解決するからそれまで孫の世話をしてやれといっただけだった。
  夫は淳と気が合わないことを香奈は知っている。淳は身勝手で妻子のことも考えないで好き放題やってるから八重にも逃げられるのだと俊介が思っていることも香奈は解っていた。その責任は、
「お前にある」
 と俊介があるとき言ったことも香奈は覚えている。
 夕食の支度を済ませて香奈が、淳を部屋まで呼びに行くと、淳は旅行カバンに肌着などを詰めていた。香奈が来たのに気付いて振り向いたがそのまま支度を続けている。香奈は立ちすくんだ。
「夕食が出来とるで、一緒に戴きながら話をしよう。これからどうするのか言ってもらわないと困るよ」
作品名:かざぐるま 作家名:佐武寛