かざぐるま
一郎は、ゲーム機を買うと、香奈の手を引っ張って近くの店に歩き出す。その店は美樹の通っている受験学校の近くにある。そこまでは二十分ぐらい歩かねばならない。商店街の人ごみを分けるようにして目的の店に着くと、一郎は勝手を知ったように売り場に向かった。売り場のレジに来ると、
「姉ちゃんは来たか」と、女の店員に尋ねた。この店員と美樹は知り合いであることがこの会話から香奈に解った。店員は「今日はまだよ」と言う。一郎がそうかというような素振りで立ち去ろうとするとき、美樹が男友達と現われた。一郎も香奈も驚く。
「姉ちゃんやないか、学校サボったんか」
一郎は美樹と並んでいる男の子にじろっと視線を向ける。
「あほやなあ、なにも知らんで何言っとるの。休講やったんや。それより一郎こそなぜここに居るの。お祖母ちゃんにおねだりしとるんか」
美樹は一郎と離れている香奈を発見していた。
「お祖母ちゃんの好きな音楽のDVDを買いに来たんや」
一郎は美樹に向けていた姿勢をくるりと返して香奈を見る。このとき、連れの学生が美樹を促がして店の外に出る。香奈はそれを目で追っていた。一郎は香奈が自分を見ていないのに気付いて香奈と同じように外を見る。
「なんや、姉ちゃん帰ったんか。ボーイフレンド連れとったなあ」
香奈は一郎の頭を撫でた。
「お母さんに言いつけてはダメよ」
「わかった。姉ちゃんにもプライバシーがあるからね」
二人はそれから買い物を済ませて帰り道についた。一郎は美樹の秘密を知ったような気持になったのか上機嫌で香奈の手を引っ張って歩いている。いつもなら香奈にくっついて歩く一郎であるが、このときは違っていた。
家に帰り着いたとき八重はまだ戻っていなかったので、香奈が合鍵で玄関の古びた引き戸を開けて入る。香奈にとっては住み慣れた家であるから我が家に戻ったようなものである。
香奈が最近心配しているのは息子の淳と嫁の八重の仲である。淳は自分のことしか頭になくて八重の気持を察することを知らない。自分の夫が出世しなかったから息子には出世してもらいたいとそればかり思って育てたのが悪かったのだろうと香奈は反省している。
ある日、八重が憔悴した姿でちゃぶ台に伏せている姿を見た香奈が、それとなく事情を聞くと、淳が連日のように午前様だったり外泊したり、出張を繰り返していたりして、八重は孤独になっていた。孫の美樹も年頃で出歩くばかりで八重との会話も少なくなっている。
一郎も猫と遊ぶかゲームをするかテレビを見るかで一日を過ごすことが多い。八重は子供たちからも疎外されている。香奈はそれが見ていられなくて週に三日はこの家にやってきて、八重と話す機会を作っていた。この日も八重が勤めから帰ってくるまで待っていた。八重が帰ってきたのは夜八時過ぎである。
「すみません。込み入った仕事が入ったものだから遅くなって、おうちに帰っていただく時間をとっくにすぎてますわね」
八重は玄関を入るなり香奈に声をかけた。その声に応えるように、
「大丈夫よ、わたしなら。食事の支度もしておいたけど」
香奈が話しながら玄関に出てくる。
「一郎はおとなしくしてましたか」
八重は香奈を気遣っている。香奈は頷いて一郎の部屋を指差す。八重は一郎の部屋に目を向けるが声はかけない。食卓の用意が出来てから呼びますと香奈に言った。
一郎が出てくれば猫のキャッシーも一緒に来るから、そのほうが良いと、八重は猫の食餌も用意してやる。美樹はこのとき、まだ帰宅していなかった。三人で食事が始まったときだった。
「美樹ちゃんは、いつもこんなに遅いのかね。受験勉強って大変だね」
と、香奈が八重に問いかけるように言った。すると、
「姉ちゃんはボーイフレンドと遊んでいるんだろ」
一郎がませた口を利く。香奈と八重が顔を見合わせていた。この夜、香奈は八重の家に泊まることになった。
夜更けの道を年寄りが一人で歩くのは危険だから八重が送っていけばいいのだが、淳がいつ帰ってくるかわからないので八重は家を空けられない。そこで二人は話しながら淳の帰りを待つことにした。だがこの夜、淳は帰ってこなかった。
四
香奈と夫の俊介老人が話し合っている。場所は二人のマンションのリビングである。香奈が紅茶を注ぎ俊介に差し出す。俊介は黙ってすすりながら合間にクッキーを口にする。午後三時のティータイムは香奈のおしゃべりを俊介が聞き役に廻る時間であった。
「淳は家族のことをどう考えているのかね、あれでは嫁の八重がかわいそうだ。淳はお金さえ渡しておけば後は何をしてもいいと思っているらしいが、人間はそんなものではないからね。八重はバイトに出ているが、あれはおかねのためじゃなくって、自分を慰めるためだと思うよ。昔の友達のお店を手伝っているといっていたが、生活に困っているわけじゃないからね」
「淳は重役をねらってるんだろう。そのために交際も仕事も忙しいのじゃないか。家は八重が守っておればいい。美樹や一郎を育てることに専念すれば、淳への不満も解消するだろう。淳には出世してもらえばいいのだ。それが香奈の希望じゃなかったのか。僕のように下っ端で勤めを終わったんじゃあ年金も退職金も少ないからね」
俊介は静かな口調だがいやみとも取れるような言い方だった。香奈はいつもの愚痴のように受け取っているのか、別段気にする様子もなく、話を続ける。
「八重が倒れたら困るでしょう。今のうちに淳に言い聞かせてもっと家族を大切にするようにさせないと何が起きるかわからないね。このままだと離婚だって考えられますよ」
「考え過ぎじゃないか」
俊介は飲み干した紅茶のカップを両手で囲むように持ちながら香奈を見ている。香奈はクッキーをつまみ上げながらそうでもないよと言った顔付きだった。それから、香奈は美樹や一郎の様子について見て来たことを交えて俊介に話し、あのままほって置くのは心配だと言った。
「香奈が心配してもどうにもならないだろう。淳と八重が考えるべきことだし、僕や香奈が口を出すとかえってこじれるんじゃないか」
「それは責任遁れでしょう。貴方はいつもそういう調子で逃げるんですよ」
「だったら、香奈の思うようにすればいい」
会話はここで途切れてしまった。香奈は孫の美樹と一郎が可愛いという思いに突き上げられるように、この子達のためにはもっと温かい家庭であって欲しいと願っている。淳と八重の破局だけは避けてやらねばならないと気を揉んでいる。俊介が話しに乗ってこないのは男と女の違いだろうと思って苛立ちを心にしまいこんでいた。
この頃、淳の家では美樹と一郎が八重の置手紙を読みながら顔を寄せ合っていた。この手紙を発見したのは美樹だった。美樹が学校から帰ってくると、いつもだったら「お帰り」と言ってくれる母の声が無い。不思議に思った美樹が母の部屋を開けたが母はいなかった。どこかへ出掛けたのだろうかと思いながら自分の部屋に入ると机の上に封書に入った手紙があったのだ。美樹は慌ててそれを開き母が家出したことを知った。
「母さんは家出したのか」
一郎は心配な顔で美樹を見ている。美樹は黙って読み続けていた。
「どうしてなんだ」