道化師 Part 1
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休み明け、加納が学園に来なくなった。あんな事のあった後だけに少しは気になっていたが、シャドウでのライブがあったりして、忙しさを理由に考えないようにしていた。
それでも、ふっと気を抜くと加納の泣き顔と無邪気な笑顔が脳裏をかすめ、加納の姿をこの目で見ることができないと余計に落ち着かない。
『1週間だぞ、どこへ行ったんだ!学園側には何か連絡が入っているのか?』
担任は普段と変わりなく、加納の事に触れた話題も何も聞こえてこない。
放課後、何もしないでいられなくなり、
「同じマンションだし、覗いてみるかな」
と、言い訳のようにぼそりとつぶやきを漏らしながら自転車を走らす自分が気恥ずかしかった。
加納の部屋番の郵便受け、広告が溢れている。部屋の前まで行くと新聞受けには新聞が無理やり押し込められていた。何日も帰っていない証拠のようで、不安になる。
『どこに行ったんだ?』
どうすることも出来ず、帰るため階段を下りていく途中で見覚えのない一人のサラリーマンに軽く会釈をされたが、その時は深くは考えず、すぐに忘れていた。
加納の事を木島に相談しようかと一瞬考えたが、やめた。
龍也が木島との関係をよく思っていないと知ってから龍也の前では従業員の顔でいるようにしていた。その頃には、俺がゲイであることを隠していたことが嘘のように龍也はさりげなく認めてくれ、変わりなく親友の位置にいる事を許してくれていた。
今日も木島と服のサイズの話をしていた時、何気なく木島が俺の腰に腕を回しただけで、龍也はふきんを投げてきた。
「ヒロ、オーナーには恋人いるんだから騙されるなよ!」
「龍也、いい加減にしないか。俺はヒロにはもう手は出さないよ」
「もう…….って手を出したんですか?」
龍也が俺の腕を引き
「ヒロ、お前はどうなんだよ?」
龍也の心配が可笑しかった。嬉しかった。
「龍也、心配するなって、このオヤジは俺の嫌いなタイプだから」
龍也から見えないように木島の手は俺の背中を悪戯していたのだが。
そんな事も気づかない龍也は俺の言葉に
「そうだよな」
嬉しそうに納得する龍也が可愛くて、
「俺が好きなのは龍也だよ」
と、軽く触れるだけのキスをした。
目を丸くして固まった龍也に店中が爆笑した。和やかな時間に加納の事を忘れていた。
明日は学校が休みなため、シャドウを出たのがいつもより遅くになってしまった。
玄関の前に黒い塊、なんだ……と近寄れば人だった。よく見ればそれはいなくなっていた加納だった。
眠っているのだろうか、膝に顔を埋め身動きしない。
「おい、どうした? 加納、こんな所で寝るな。」
俺の声にかすかな声が漏れるが言葉になっていない。
「大丈夫か? 」
肩に手をやるとかなり熱い。よく見れば髪もしっとりと汗で湿っている。
「加納、熱があるじゃないか。しっかりしろ」
ドアを体で押さえながらなんとか加納を抱き上げた俺は、急いで自分のベットに寝かした。
とりあえず医者だ。だが、暴行を受けた形跡や、他に何があったか解らない以上下手に救急車は呼ばない方がいいだろう。
「木島さん、遅くにすいません。」
「どうした、さっき別れたとこだろう、面倒事か? 」
「ちょっと、今すぐ往診してくれる医者知りませんか?」
「おい、穏やかじゃないな。怪我でもさせたんじゃないだろうな」
「違います、俺にはそんな元気、今日はありませんよ。家の前でダチが熱出してるんで俺のベットに運んだんですけど、なんだか暴行されたような感じで」
「解った、すぐ行く」
木島にはあまり世話をかけたくなかった。しかし、今回は、そうも言ってられそうにない。
いったい何があったんだ、この一週間の間に。
とりあえず、タオルに氷をくるんで額に乗せてはみたものの、加納の苦しげな表情はあまり変わった様子はないが、少しは楽になっていてほしいと願うしかなかった。
ベッドの傍らでただ見守る事しかできないでいる俺に
「ヒロ、向こうに行ってろ」
いつの間に来たのか木島が一人の男性を連れて部屋にいた。
「俺もいる」
「診察が終わったら呼んでやるから、今はリビングで待ってろ」
今は、医者に任せたほうがいいのは解るが、不安な思いが傍にいたいと囁く。そんな弱い心を振り切るように掠れた声が情けない。
「わかった、木島さんすみません」
「バカ、謝るな」
木島の後ろにいた男にも軽く会釈をして俺は部屋を出た。
何も考えられずぼんやりとしていた。家族の時のように……手のひらから砂が零れ落ちるように……消えていかないでほしい。
寝室のドアがそっと開いた。出てきたのは木島一人だった。
「木島さん…..加納は」
「ヒロ、大丈夫だ。熱が高いのは傷のせいだろう。ケンカした時のようなもんだ。それより彼は何者だ」
「クラスメイトで、このマンションに住んでます。親しい程でもないけど一度寝た」
木島にしては珍しく驚いた顔をした。
「ヒロ、彼とはもう関わるな。はっきりとは言えないがヤバイ気がする。」
「俺も関わりたくないと思ってる。でも、気になって仕方ない。今にも壊れそうなのに強がってる姿が痛々しくてたまらないんだ」
「自分と重ねるなよ。体の至る所に傷がある、背中は特にひどいし、最近のものだ。たぶん鞭のようなもので撃たれたものだろうということらしいが。骨まで見える程酷いものから明らかにプロの手による傷もある。この意味わかるな」
「プロって……でも、何か…..」
俺にも何か出来るのではと、口を開きかけたが、言葉が出てこない。想像の範疇を越えていて俺になにができる?
呆然と立ちすくむ俺を木島は、優しく抱きしめてくれた。
「亮、子供をあやすのが上手くなったな」
少し嫌味のような言葉にあわてて木島の胸を押した俺を、木島はさらに俺を腕の中に抱え込み
「今頃知ったのか、俺の周りには可愛いお子様が俺を慕って集まるのさ。」
「慕ってね、長い付き合いだが初めて知ったよ。亮なんかを慕ってきてもロクな大人にならないと俺は思うけどね。まぁ、今回は許してあげるから、その手を離せ! 」
その男からはひしひしと怒りのようなものが伝わってきて、俺は腕の中でもがいていたが、その男の怒鳴り声に流石の木島も降参とばかりに両手を挙げた。
抜け出そうと必死だった俺は、唐突に外された腕に勢い余って尻餅をつく羽目に。
「ヒロ君、大丈夫? 亮は捻くれた子供だから許してあげてね。まだ、名前言ってなかったね。鷺沼 魁人、よろしくね。詳しい自己紹介は改めてということで、あっちの彼だけど、こんなに酷いとは思わなくって俺のミスだよ。ちょっと病院まで戻ってもう一度来るから安心して」
見上げる俺ににっこり笑った顔は、見惚れるほどの美しさだった。
「亮、一緒にいてあげて。タクシー捕まえるから」
「否、車出す。ヒロ一人で大丈夫だな」
俺がうなずくと二人して部屋を出て行った。
一人になると心細くなる。
「氷を変えないと。新しいタオルも必要だよな」
あえて声に出して気持ちを落ち着かせる。
氷を今度はビニールの袋と洗面器にも入れ水を少し張る。
作品名:道化師 Part 1 作家名:友紀