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二人の禅師

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と、天真は腰をひねって見せた。竹筒がぶら下がっているだけだったので寛平はきょとん
としている。
「今どき古風な水筒ですが、先生にはよく似合っている」
 寛平は今どき古風な人柄の天真先生が好みの水筒だと竹筒の艶に感心していた。それを
目にした逸子が「フフっ」と笑った。彼女には、可愛いつがいの狐が筒の中に隠れている
のが解っていた。天真が妖狐を使う修験者であることを逸子は知っていたのである。これ
までの天真との出会いの中で逸子たちは何度も誑かせられている。天真の誘いに乗って今
日ここに来たのも実母に合わせてあげるといった天真の言葉を信じたからであるが、実母
はいない。騙されたのだと逸子は穏やかでなかった。帰ろうと思った時、狐が竹筒から顔を出した。天真が指図したのだと逸子は解った。ほかの誰にも見えない。筒に化けている。これを見破ったのは逸子の霊能力だった。この時天真の声が飛んできた。
「伊野君、照子さんは私の家に居るのだよ。私の妻を訪ねてこられた。それ以来、意気
統合して、一緒に暮らしていらっしゃる。私がこの施設に入居したので、妻も話し相手
ができたと言って喜んでいたね。君に知らせることは遠慮した。照子さんの意思を尊重
させてもらった」
 寛平の驚きは尋常ではない。娘も妻も天真の手に落ちていると思った。逸子を連れて
帰ろうと先ほどまで思っていた熱い気持が急に冷却した。何か恐ろしいものを感じたの
である。

 摩耶は、仲間の人たちと茶会や生け花の会に参加するときには、照子を同伴した。照
子を一人にさせてはいけないという思いから、彼女に普通に振舞うように勧めていた。
「人間がふさぎ込めばろくな事はない。人と交わってこそ人間だ、一人の人では人間じ
ゃない」
と、夫の天真が言っていた言葉を摩耶は固く守っている。照子にもそれを実践する機会
を作っていたのである。
「寛平はいい人だけれど、それだから、玄人さんに取り込まれている。世間にはわからな
いようにしているようだけれど、私は夫婦だから、ピンと来ます。それを打ち明けてくれ
ないから、私は怒っているのです。夫婦の信頼関係を破るなんて許せないのですよ。逸子
が家を出たのも、私たち夫婦の間に不信感が高まって、不穏な空気になったからでしょう。年頃の女の子は敏感ですから、多分、不潔だと思ったのでしょう。何食わぬ顔をして偽善
めいた夫婦生活をしている両親に不信感を募らせたのでしょう」
と、照子は自分の思いを摩耶に打ち明けたことがある。
「人間の争いはすべて心のわだかまりから生まれる。自我が発動するからだ。他人をおもんぱかる心を失うと一方的に他人を攻め立てる。わだかまりの暴発が諍いの引き金になる。わだかまりをほぐすことが、人と人との間に橋を架けることになる」
と、夫の天真が言っていた言葉を摩耶は、この度の,伊野夫婦の事件で改めて思い出していた。
「照子さん、明日、逸子さんとお会いしますから、そのおつもりでいてください」
と、摩耶が、決断を伝えた。 

逸子は伊野夫婦の子ではない。震災で死亡した姉夫婦の子である。まだ幼かった逸子を照子が引き取って育てたのである。姉夫婦の墓は山手の無動寺にある。その寺の住職・天空が家出して来た逸子をかくまったのである。
  天真が出会った逸子の仲間たちは、無動寺にねぐらのある震災孤児で、住職の天空が育てている。天真と天空は同門の禅師である。逸子が照子似であるという天真の思いは、実は照子と姉が一卵性双生児だったからで、思い違いでも何でもない。
「逸子はいるだろうか」
  天真は不安であった。逸子が素直に照子と再会するか、遠慮して隠れるか、その辺の判断がつかなかったのである。逸子は実母の彩芽と会いたがっているのに天真は養母の照子とあわせようとしていた。実はそのことが天真の不安の原因であった。
 「約束してあるのでしょう。今日、会いに来るってこと」
と、摩耶は、天真のあやふやな態度に疑問を感じたのか、大きな声で尋ねた。
「あなたの記憶、確かなの」
 摩耶は、夫の天真が認知症に罹っていることを改めて思い出していた。
 「山手だとおっしゃってましたが、これはもう山奥ですよ。」
  照子は、なんだか不安なようであった。照子は誰も予期しないことを、告白するように、口走った.
 「逸子が姉の子だってことは隠していたのですがね」
  この発言には、摩耶が、今この時に何故と驚いた。天真は、逸子の霊波が届く範囲内
入ったと直感した。
  そのうちに、雨が降り出した。雨具の用意をしてこなかったので、急場をしのぐのに
難渋していると、バラバラと、数人の子供が藪から飛び出してきた。一人一人が、合羽
を手に持っている。
「姉貴のお客さんだろう。姉貴が待っているから案内するよ。これからまだ随分と歩く
のだから覚悟してもらうよね。道は狭いから一列で上る。おいらたちが一人ずつお客さ
んの、背中を押してあげる。姉貴が望遠鏡で眺めているよ」            
と、言いながら合羽を三人に差し出した。                    
 この雨もこの山道も現実ではない、以前、逸子と出会った叢林に引き込まれている、
この子供たちには化身の眷属が憑依していると、天真は疑った。          
 「この道は、何処へ行くのですか。私たちは老齢だからからすでに体力を使い果たして
 います。夢幻の世界から解放してください。あるがままの晴天と平坦の道に戻してくだ
さい。あなたは、逸子に扮したこの山の主でありましょう」            
天真は大声で叫ぶと、経文を念誦した。不思議なことに、先ほどまでの雨が止み、子
供たちの姿も消えていた。天真は何度も訪れた経験から、この山の天候の変化を熟知し
ていたのであろうか。常識ではそうとしか答えようのない現象であった。       
 「私たちは朝から何をしていたのですか。あれこれ電車を乗り継いで、妙見山駅で下車
し、土産物屋などの前を通って、参道に入り、お社の庭の前の茶店で腹拵えをしました
よね。それまでは、はっきり覚えていますが、それからが思い出せないのです」
 摩耶が怪訝な顔で振り返っていた。
「狐につままれたのでしょうか。今どき、そんなことはないと思いますが、そうとしか
言えないですね」
 照子は恐ろしさにおびえているようであった。二人とも、苔生した岩の上に腰を下ろ
して居る。そのこと自体尋常ではない。物の怪につかれたように目が虚ろである。
 「逸子に会えるのでしょうか」                        
 照子は、不安で仕方ないと言った表情だった。                
「逸子さんから私たちを呼んだのですから、きっと会えるでしょう」       
 摩耶は、呼ばれたことにこだわっていた。                  
「きっと、ここにやってきます。私たちを探しに来るでしょう」         
 天真は、自信のある口ぶりであった。先程までの不安気な顔が元気ないつもの顔に
戻ていた。これ以上不安が広がるのを阻止する意思が明らかに顔に浮かんでいた。 
作品名:二人の禅師 作家名:佐武寛