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二人の禅師

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      二人の禅師                 佐武 寛
  今、この道を歩いているのは小中学生と高校生らしい男女連れである。天真禅師はそ
 れを見とがめている。時刻は夜中なのだからとても尋常のことではないと訝ったのである。天真は高齢者の療養施設に入居しているのだが、いつものように夜半に抜け出してきたのである。認知症を発症していると病院では医師が診断しているが、天真自身は決してそう思っていない。
 天真は、叢を歩く子供たちを追い越しているが、子供たちにはその姿が見えていないの
で気をひかれた者はいない。その子供たちの姿が月明かりに照らされているのだが、足が見えないので歩くよりも浮かんでいるようである。この連中を追い抜きざまに、天真は声をかけた。                                   
「また、殺めに行くのか」                            
 その言葉から、いつも出会っているのだとわかる。子供たちは声の飛んできた方向に一斉に顔を向けた。                                
「また、会ったね。何処へ行くのか、いつもすぐ消えてしまうのは何故だ」      
この中のリーダー格らしい少女が尋ねる。その顔が天真を射抜くように光を発していた。 天真は、さも親しいものに出会ったように優しい顔つきで答え。           
「常世の国に行くためだ」                            
「何処にあるのだ。私たちにも行けるところか」                  
「この世に欲を持たなければ往ける」                       
「それは困る。私たちはまだ子供だ。この世で成長せねばならない」         
「私と施設の仲間たちは、飽きるほど生きて来た。そろそろ寿命が尽きる」      
「それは気の毒だ。この世は天国なのだから私たちは希望をもって生きている     
「それならば、何故この夜半に群がって歩いているのか」              
「天国を地獄にするやからを懲らしめるためだ」                  
「若者が虐げられているというのか」                       
「そうだ、だから私たち若者はテロするのだ」                   
  この群れの若者たちの顔が一斉に天真に向けられた。               
 「あなたたち高齢者は、私たち若年の者に天国を残さないからだ」          
「天国を貪り食ったというのか」                         
「そうだ、地獄しか残さなかった」                        
  天真は、常世の国に往くまえに、この世を天国に戻せと迫られている。       
                                         
 この日、リーダー格の少女が言ったことは、それから数か月経った今も、天真の脳裏に
刻まれている。それは圧迫感のような威力を持っていた。ただの記憶ならすでに消滅して
居るはずである。この少女に異常なこだわりが沸いていた。確か以前に出会った記憶があ
るが、この時には、寛平と照子の子であることを思い出せなかった。
 天真は施設の仲間とは超然としているので彼の世話をする施設の職員たちの悩みがその
ために倍加している。だから、老人が少女を連れて帰って来た時には唖然とした。
「天真さん、この方は誰なの、お孫さんかな」
 玄関のフロアを横切っていた女の職員が、二人を見咎めて声をかけた。天真は、いつも
とは違った宥和な顔を向けて、丁寧な口調で言った。
「知り合いの娘さんだ、しばらくこちらに居てもらうから、よろしく頼む」
「あなたのお名前は・・」
「伊野逸子」
「ご両親はここに来たこと御存じなの・・」
「家を出ている。仲間が数人いるのよ、連れて来ていいかな・・」
 施設の職員はショックだった。浮浪児というイメージが瞬間に頭をよぎったのだろう。
ほかの職員も数名出て来た。上役らしい男の職員が警戒感をあらわにしている。
「天真さん、困りますよ、こんなの連れ込んでは」
と高飛車に言った。その場の空気はすっかり変わってしまった。逸子がこの男子職員を睨
みつけている。天真が怒った。
「なんだ、その言い方は、失敬だろう。私の来客だ。こんなのとは、どういうことだ」
「家出していると言っていた。天真さんは何処で出会ったのですか。両親か親族の承諾が
ないと訪問客として受け入れられない」
「私が保証する」
「あなたは認知症の患者さんじゃないですか、あなた自身が保護される立場でしょう」
「おじさんは認知症なの、全然そうは見えないよ。この職員さんのほうがボケてるみたい」
と、逸子が抗議した。この時、どやどやと騒がしい音がして、警官が二人、職員とともに
玄関から入って来た。施設は素早く警察に連絡していたのである。
 天真と逸子は警察官の質問に答える。施設の職員はこれで決着がつき、逸子を追い払え
ると安堵したようであった。この手回しの良さはさすがにお見事だと言いたいくらいの熟
達振りであったが、入居者の言い分を聞こうともしないで予断で追っ払う態度は、施設の
入居者に対する冷たさをまざまざと見せつけていた。これで事件は終わる筈であった。ロ
ビーの応接セットに腰掛けているのは、警官二人、天真と逸子、施設の職員一人であった。
警察任せにしている施設の姿勢が判然としていた。だが、この時、天真が携帯で連絡して
いた人物が玄関に車を横づけした。車から出てきたのは伊野銀行頭取の伊野寛平だった。
 施設の女子職員が彼の顔を知っていたので、上役の男子職員に駆け寄って、伊野銀行の
頭取だと耳元に囁いた。                             
「銀行の頭取がどうしてこの深夜に来るのだ。見間違いだろう」           
と、この男は怪訝な顔を向けた。その目線の先に寛平が立っていたが、この男は一面識
も無かったのであろう。                            
                                       
「先生、ご連絡ありがとう」と、寛平は天真の前まで足早に歩んだ。         
「君が高校卒業以来会っていないから、何年になるか遠い昔のような気がする」    
「先生がこの施設に入居してらっしゃるとは知らなかった。ここはうちの取引先です」  「それは機縁だ。逸子さんが君の懐に戻るように願うよ」              
「それにしても、先生、良く逸子を覚えていてくださった」             
「妙見山の麓を徘徊しているときに、君の娘さんと会った。尤も最初は娘さんとは分から 
なかったが、出会いを重ねるうちに、幼い時の面影がよみがえって来た。それとなく探り
を入れたが彼女は答えなかった。だが、私の眷属がいち早く見破っていた」
作品名:二人の禅師 作家名:佐武寛