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トカゲを食らうホトトギス

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翌週の月曜日、朝から雪が降る。街は瞬く間に白一色に染まった。
 夕方、ケイが誰にも分からないように、「また、酒に誘ってよ」と甘えた口調で囁いた。その甘い囁きに導かれるかのように飲みに行くことにした。居酒屋で食事を済ませた後、繁華街の外れにあるホテルのラウンジに誘った。
「こんな雪が降る日、独りで部屋の過ごすのは寂しくない?」とケイは聞いた。
「寂しさには、随分と前に慣れたよ」と笑った。 
「寂しさに慣れるものなの?」
「慣れるさ。歳をとれば……」
「私も四捨五入すれば四十。陰では、オバサンと言われている」とケイはグラスを傾けながら笑った。
「昔、同棲していたの。でも、折り合いが悪くて、喧嘩ばっかりしていた。身も心もボロボロになって別れた。精神的におかしくなって会社も辞めた。それからずっと歯車が狂いっぱなし。今では、正社員の新人と変わらない程度の給料よ。それでも仕事があるだけまし。派遣社員だから、いつクビになってもおかしくない。いつも強がっているように見せているのは、怯えている証拠よ。こんな愚痴を聞いてくれる?」
「僕で良ければ」と微笑んだ。
「秋川さんは素敵よね。いつも自信が溢れているように見える」
「強がっているだけだ。自信が溢れている顔は仮面だよ。仮面がいつの間にか張り付いてしまったが、本当は不器用でピエロみたいな滑稽な男さ」
「じゃ、私たちは似た者同士ね」
「そうかもしれない」と窓の外を見た。窓の外に目をやったのは、なぜかケイと視線を合わせたくなかったからだ。
「女って、結婚して、愛する人の子を産んで、初めて女になるという人がいた。その意味が最近分かるようになった。今は寄り添う人がいない。子供もいない。何か大きな罪を犯したような後ろめたさを感じる。別に何も悪いことをしていないのに」
「男も同じだよ。結婚しないで、子供もいない男なんか、男として失格さ。世間はそう見ている」
「子供を欲しいと思う?」とケイは聞いた。
「君は?」
「私はない。そんな余裕ないもの。毎日、生きていくだけで大変よ」
 何も言わなかった。さっきから、妙に外が気になっている。雪がまた降り出したのである。
「親はいるのか?」と聞いた。
「母親がいる。別々に暮らしているけど」
「いいじゃないか。僕はいない。本当に独りぼっちだ。誰かとつながることができたら、つながっていた方がいいぞ」と冷たく言った。
「そうね」とケイは軽く答えた。
「でも、前も言ったけど、女が三十を過ぎたら、途端に男は言い寄らなくなる。男は妊娠できる女を求めているから」
「動物だからしょうがない」と苦笑いをした。
とりともない話をしばらく続けた後、ケイはだいぶ酔ったのだろう、「ねえ、今度、一緒に夜を明かしてみない?」と言った。
「本気で言っているのか?」と聞き返すと、答えない。代わりに何ともいえない寂しそうな微笑みを浮かべた。しばらくして店を出て別れた。
 アパートに戻った。
別れ際、ケイが寂しそうな顔をしていたのが妙に気になった。「一緒に夜を明かしてみない?」と言ったのも引っかかったままだった。
 時計の針が午前一時を回る頃、眠くなりベッドに身を横たえた。暗闇の中で数年前に亡くなった友人のことを思い出した。末期がんで入院した彼を見舞いに行った時、「俺は死ぬよ」と寂しく言った。何も言葉もかけることもできなかった。そんな自分を、逆に寂しそうに微笑んだ。その彼の顔を思い浮かべていたら、別れ際のケイの顔が浮かんだ。同じように寂しそうな顔していた。急にケイと抱きしめてやりたい気持ちにかられた。

三日後、再び、ケイを飲みに誘った。酔った勢いで、「ホテルに行くか?」と囁いたら、「いいよ」とうなずいた。
 飲み屋を出た後、ケイが腕を組んできた。
「好きだ」と素直に言うと、ケイも「私も」と応えた。
 ホテルの前で、「いいのか?」と聞くと、ケイは笑みを浮かべうなずいた。
ホテルに入ると、ケイは部屋の明かりを暗くした。それが合図となった。ケイをベッドに押し倒し、服を脱がせ、セックスをした。
終わった後、明かりをつけたケイが、「背中を見て」と言って背を向けた。驚いたことに入れ墨があった。右肩にバラの花のような入れ墨である。
「彼氏が入れさせられたのよ」と微笑む。
「彼氏がいたのか!」と驚くと、うなずいた。
「彼氏じゃないけど、ヒモみたいな男がいるの。本当は別れたいけど、別れられないの。とてもセックスがうまくて、嫉妬深くて、たちの悪い男なの」とケイは微笑んだ。背筋の凍るような微笑である。
「ねえ、お金に困っているの」
 仕掛けられたトラップにまんまと引っかかったのに気付いた。
「幾らだ?」
「ほんの百万よ。たいしたことないでしょ?」
 一発が百万か。思えば、派遣されてきたときから、ターゲットにされていたような気がする。天使のような微笑みにたぐり寄せられて、いつしか彼女の周りを飛び回っていた。……黙っていると、「嫌と言わないでしょ」とケイが耳元を囁く。
「俺に近づいたのは、これが目的だったのか?」
 ケイは悲しそうに首を振った。
「違うわ。あなたのことが好きになったの。信じて」
 もっと何かを言おうとしていたが、遮り、「もういい。何も言うな。金はやる。ただし、今日のことは誰にも言うな」と怒気を込めて言った。
「本当に金が必要だから、借りたかったのよ……」と何とも切なそうな顔する。
嘘だろう。嘘に決まっている。……もし、ケイが男なら見境もなく殴っていただろうが、女だ。殴るわけにはいかない。やり場のない怒りを抑えて、「帰る」と言うのが、精一杯だった。
ケイは黙って服を着た。
二人は口を利かないままホテルを出た。
翌日、銀行から百万を下ろして渡した。それから、なるべくケイと視線を合わさないようにしていた。
一か月後のことである。ぱっとしない中年社員が自殺を図った。幸い、一命は取り留めたものの、後遺症が残る体となった。その数日後にケイが会社を辞めた。二つの出来事は何の関係もないように思われたが、彼の告白によって、密接な関係があると分かった。ケイの「あなたと結婚したい」という甘い囁きに五百万とられた挙句に捨てられ、やけになって自殺を図ったという。「他にも取られた奴がいないか」と会社は調査したが、自分はもちろんのこと、誰も言わなかった。だが、自分以外にも寝た男は何人もいたはずである。噂にあっただけでも、A、B、Cと……三人以上はいた。同じように金をとられただろう。だが、みな、口に蓋をしている。正直に言ったところで、金が戻ってくるわけではない。むしろ己の間抜けさをおおやけにするだけから。
その後、ケイからメールが何度か着た。ヒモと別れるためにお金が必要だったことや、自殺を図った男とは、結婚の約束した覚えはなく、また勝手に金をくれたが、別れるときに返したとか。「本当に好きなのは、あなただけ」とも書いてあったが、どうでもよかった。自分の中では、もう過去のことだったから。
「何も話すことはない」と一度だけ返信した。 

 久々にスナック『K』に入る。
客は誰もいない。ママが隣に座る。
「どうでもいいけど、あの女と関係は続いているの?」とママが聞く。
「もう終わったよ」