トカゲを食らうホトトギス
神妙な顔をしていたせいだろうか。すぐにママは気付き、「ひょっとして、騙されたの? あの女に!」
「彼女は会社を辞めた。もう終わった話だ」
ママは嬉しそうな顔で、「よくある話よ。食うだけ食って、直ぐにさよならをする。男が気付いたときは後の祭り」
「よく、そんな悪く言えるな」とむったした顔をすると、「で、幾ら取られたの?」と聞く。
「ほんの少しお金を貸しただけだ。貸し倒れになってしまったが。前にママは言ったとおりだったよ。きれいな女は要注意だな。男は簡単に騙される。ホトトギスみたいなものだな」
「ホトトギスって、どういう意味?」とママが聞く。
「江戸時代の俳人が、『その声で、トカゲを食らうか、ホトトギス』と詠んだ。まあ、儚そうで美しい声をしたホトトギスが化け物みたいな顔をしたトカゲを食らうとは意外だということだろう。俺も、ちょうどホトトギスに食われたトカゲのような気分さ。男は性欲という醜い顔をあらわにしたトカゲだ。そんな男を餌食する女がいる」
タバコに火をつけたママが、「人生で何が一番大切だと思う?」と尋ねると、ゆっくりとタバコの煙を吐く。
「分からない」と答えると、「愛よ」とまた煙を吐く。
思わず手を叩いて笑った。
「ママは恋したいの?」
「男も女も灰になるまでしたいものよ。それが人間の業よ。あなたどうなの?」
「俺もしたいさ。なあ、ミキちゃん、今度、一緒に旅行に行こう」
「そんなの許さないわよ。まずは私を先に誘いなさい」とママが口を挟む。
「じゃ、最初はママでもいい。ママは嫌いじゃないから」と冗談半分に言うと、「その言葉に愛はあるの?」
「俺にはある。でも、ママは?」
タバコの煙を吐きながら、「もちろん、あるわよ。見えないの?」
「たばこの煙に霞んでいて、よく見えないよ」と答えると、ママとミキが手を叩いて大笑いする。
「あんたには、やっぱり女心が分からない」
「分からなくていいさ」
「どうして?」
「もう食われたくないから」
「その気持ちは分かるけど、人生は一度きりよ。恋しない人生なんて、何の意味もない。死ぬとき、振り返っても、何もないわよ。それで良いの? 恋をして、たくさん騙されたとしても、最後は良い思い出として残るわよ。あなたを食ったあの女もいい思い出になるわよ」
「そうかな?」と
「そうよ」とママは微笑むながら言う。
しばらくして、スナックを出た。
自分の部屋に戻り、携帯を見ると、ケイからメールが届いていた。いっぺんに酔いが醒めた。見ようかどうか迷った末に見た。
「もう一度会いたい。話を聞いて」と書いてあった。
他にも、「悪い男に騙されて貯金を持ち逃げされ、金に困っている」とも書いてあった。悪い男とはヒモだろうか。助けてくれと言わんばかり内容である。自分から百万をむしりとったことなどすっかり忘れているようだ。可哀そうな気もしたが、もう二度と会わないと決めた以上、無視するしかない。返信せずにメールを消した。ついでに電話番号も消した。たが、その夜、悲しいことに、ケイの夢を見てしまった。愛おしく抱いている夢である。
作品名:トカゲを食らうホトトギス 作家名:楡井英夫