黒闇抱いて夜をゆく 前編 探偵奇談7
「イチノセ!」
ぎょっとする。横断歩道の向こうから、瑞に呼ばれた。
「大丈夫だからな、あんま心配すんなよ!」
通行人が何事かと足を止めていることに気も止めず、瑞はそう言って手を振っていた。
「…うん!ありがと!!」
負けじと大声を張り上げる。大きな声を出したら、なんだか四肢に力が沸いてきた気がする。そんな郁に、瑞は柔らかく笑って自転車を走らせる。
(…あのひとわたしの好きなひとなんだ)
郁はいま、はっきりと自覚した。
そばにいなくても思い出せるあの甘い香水の匂い。静かで落ち着いた声。弓を引く背中。柄にもなく大きな声で背中を押してくれる、友だち思いなところ。
帰ったふりをして、いまもまだ郁の背中を見送っていてくれている、そんなところも。
(…好きだなあ。好きになれたんだ、ちゃんと)
漠然とした予感が確信に変わり、郁はほっとしている自分に気づく。こうなることが正解なんだよと、まるで未来の自分から告げられたかのような感覚だった。
その夜、郁は瑞にすすめられた曲を聴いた。
彼が聴く曲にしては、意外に泥くさくてまっすぐな、ありふれた言葉の応援歌だった。
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作品名:黒闇抱いて夜をゆく 前編 探偵奇談7 作家名:ひなた眞白