黒闇抱いて夜をゆく 前編 探偵奇談7
稽古が終わり、部員らが次々と帰っていく。鍵当番の郁は、戸締りを終えてからも、何となく弓道場を去りがたくて立ち尽くしている。帰らなくちゃ。でもこのまま帰っていいのだろうか。こんな不安を抱えたままで。周りはどんどんうまくなるのに。もう一度弓を引いてみようか。でも。
(焦るなって、先輩も言ってたよね…)
自分にそう言い聞かせ、弓道場を後にした。職員室に鍵を返し、とぼとぼと歩く。風が、ずいぶん冷たくなった。秋は急速に深まり、夏の名残を隠していく。寂しいような、なんだかそわそわと落ち着かないような季節だ。
「一之瀬」
自転車小屋に行くと瑞がいた。郁を待っていたのだろうか。数週間前に突然短く切った彼の髪型も、もう見慣れてしまった。緩い癖毛が、風に吹かれて柔らかく揺れている。穏やかな目で、彼は郁に問いかけてきた。
「早気か?」
問われ、頷く。郁の不調に、彼も気づいていたようだ。
「そうみたい…」
郁は自分の状態を、伊吹に聞かせてもらった話と併せて瑞に伝えた。
「俺も、早気なった」
「そうなの…?」
「うん。弓始めたころ。中てたくて中てたくてしょうがなくて、動作に気持ちが全く入らなくなって…でもみんなに協力してもらって、なんとかなった」
伊吹も言っていた。弓をやっていれば通る道だと。郁から見えれば熟練者の瑞も、悩んでいた時期があったという。
「大丈夫か?」
「…さすがに凹むよ。試合でも結果出せないし、調子崩すし…もうなんか、どうしよーね、あはは…」
だめだ。涙が零れてしまって、郁はうつむく。声が震えているのが自分でもわかるが、止められない。情けない!
「頑張ってたもんな」
優しい言葉がいっそう涙を誘って、郁は答えられない。
作品名:黒闇抱いて夜をゆく 前編 探偵奇談7 作家名:ひなた眞白