拝み屋 葵 【参】 ― 西海岸編 ―
* * *
「それにしても、なんで今更」
ソフィアの呟きを、葵は追及しなかった。
「そっか、まだ聞かされてないのね」
「何のことですやろか?」 葵はとぼける。
二杯目のエスプレッソを口に運びながら、悪気はなかったのよ、と微笑むソフィアの真意は測れない。
「その時がくれば、あの人の口から聞けるわ」
伝わってくる敵意。それは害意ではないが、愛情の裏返しでもなく、何の複雑さも持たない単純明快な感情だ。
嫉妬。葵が“あの人”の一番近い場所にいることへの。
葵が知り得ぬ秘密を共有しているとほのめかすことで、自身の優位性を主張しているのだ。
葵は張り合う気など欠片もないのだが、そんな態度は相手を逆撫でするだけだということも知っている。だから葵はソフィアが苦手なのだ。
偏った愛は魔性を生み落とす。
自と他とを量る天秤が傾くのは、そこに魔性が加わってしまうからだ。自らの中に、本来ならば備わっていない能力“魔性”を見出した者は、その大きさの分だけ、その重さの分だけ、他を尊重しなければならない。そうしなければ、魔性の重みで魔性に堕ちてしまう。
世界が一目置き、自らの師匠が認めるソフィアでさえも、愛という魔性を完全に制御できはしないのだ。
「せっかくだから、手伝っていきなさい」
「へ?」
「いまこのUCLA学内では、ある麻薬が横行しているの」
急過ぎる話の展開に目を白黒させる葵を無視して、ソフィアは更に話を進める。
「それはお巡りさんのお仕事ですやんか」
「具現化した魔性の体液を使っているのよ」
本来のソフィアは、すべてを直球で話し、駆け引きなどを嫌う性格なのだ。
「飛び降りた学生二人の血液を調べたの」
ソフィアは葵の質問を先回りして答えていく。
ロサンゼルス市警から、半分犯人扱いの捜査協力を求められたのが、つい三日前のことだ。『犯人ではないのなら、それを証明してみせろ』という、脅迫紛いの物言いに憤慨したソフィアは、真犯人を見つけずに自分が犯人ではない証拠だけを提出できないものかと頭を悩ませている。
麻薬組織摘発へ協力することに対してやぶさかではないのだが、体よく利用しようという考えが気に入らないのだ。
「ほんで、ウチは何をしたらええのでしょーか?」
葵は、諦めた。
何をか? いろいろだ。
この最後となる質問の答えも分かっていたのだが、これに限っては葵の口から発しなければ、話は終わらないし、始まりもしない。
満足気に微笑むソフィアの口からは、予想通りの言葉が流れ出た。
アメリカでは、麻薬の使用は生活に密着している。どれぐらいなのかを表現するならば、日本において未成年が喫煙するような感覚で麻薬が使用されていると言っていいだろう。
ソフィアの能力を使えば、一晩でロサンゼルス中の麻薬常習者すべてを摘発することはできる。だが、それが一時的なものでしかないことは、火を見るより明らかなことだ。
カリフォルニアのサタニストたちも言っている。
『大衆に流されてはならない』
アメリカにおける麻薬の横行には、ベトナム戦争の折に使用された戦闘薬の影響がある。戦時には、過度のストレスから解放されるために使用するダウナーと、攻撃性を高めるために使用するアッパーとが使われた。日本とは横行の背景が全く違う。
「何が『囮捜査、よろしくね』やねん」
葵は「人使いが荒い」などと愚痴ることはあっても思うことはない。内側にこびりついてしまわぬように吐き出しているにすぎない。
UCLAに限らず、アメリカの大学内で麻薬常習者を見つけることはそう難しくない。なにせ、留学生相手にも気軽に「やらないかい?」と声を掛けてくる始末なのだ。とはいえ、一朝一夕に声を掛けられるものでもなく、加えて、マリオンの周りには麻薬常習者が存在していなかったのだ。
「ええことやけどな」
昼間はUCLA構内をぶらつき、夜はマリオンに連れられて大学周辺を出歩く。すでに化け猫は日本へと戻ったのだが、捜査がソフィアからの正式な依頼として受理されたため、葵は滞在を延長している。
そして、何の進展もなく三日が過ぎた。
「そろそろやと思うねやけどな」
「何をお待ちになっているんですか?」
メガネを掛けた文学少女。葵の隣に座る少女の容姿を一言で形容するに申し分ない言葉だ。彼女は式(式神)であり、名を『薄(すすき)』という。外見から予想できるように戦闘能力には乏しく、専ら連絡用や使いっ走りにされている。
誰にか?
葵の師匠以外に誰がいようか。
「ナンパ待ちや」
葵はにっと白い歯を見せて笑った。
* * *
「ここだ、はいんな」
「おおきに」
広大なUCLAの敷地内では、常にどこかで改建築が行われており、それに伴い工事中は使用禁止となる部屋や、人足が遠退く部屋が生まれる。
『UCLA:Under Construction Like Always.』(いつも工事中)とは、それを皮肉った言葉だ。
葵が足を踏み入れたのは、使用が禁止されている取り壊し待ち建造物の一室だ。すべての窓にブラインドが下ろされているため薄暗く、換気も行っていないのか、噎せ返るような臭気が充満している。
「上物があるんやろ?」
室内では三人の男が待っていた。ここまで葵を案内した男も含めた四人全員から、性欲が放つ淫気が流れ出ていた。
葵はここに辿り着く前に気付いていたので、別段驚きはしないのだが、分かっていたとはいえ、やはり気持ちの良いものではない。
背後のドアが閉められる。出入り口はその一つだけ。部屋は二階にあるため、窓からの出入りもできない。
「好きにしていいと言われてる」
「日本人は初めてだ」
「順番決めようぜ」
男たちは卑下た笑みを浮かべながら、口々に葵を値踏みする。
「これやから、男はイヤやわ」
葵は侮蔑の視線と共に、ため息を吐く。
「余裕だなベイビー」
「怯えた方が萌えたりすんねんか?」
「強気な女が堕ちていくのがたまらねぇんだ」
「そか」
背後から羽交い絞めにしようと覆い被さった男が、息を詰まらせた声にならぬ声を発して崩れ落ちる。
葵は素早く身を屈めて身体を回転させ、男の脇腹に肘を埋め込んだのだ。
瞬時に噴き出した大量の脂汗が、内部に深い損傷を与えていることを示している。
鈍く響く破砕音は、何度聞いても耳障りであるし、その音を発生させた殴打の感触も、気分の良いものではない。葵はそう思う。だが、手心を加えることはしない。
「投身した二人のこと、洗い浚い話しぃや」
残った三人は、完全に浮き足立っている。
「違う! 俺たちじゃない!」
「じゃあ誰や?」
「それは……」
葵の視線が逸れた瞬間に三人のうちの一人が飛び出し、組み倒そうとタックルを試みるが、葵はくるくると回転してそれを避け、無防備な首元に手刀を落とす。
残る二人は、顔面から床に叩きつけられた男が気を失うのを見るのと同時に、バタフライナイフを取り出した。
だが、葵は全く動じない。
「それにしても、なんで今更」
ソフィアの呟きを、葵は追及しなかった。
「そっか、まだ聞かされてないのね」
「何のことですやろか?」 葵はとぼける。
二杯目のエスプレッソを口に運びながら、悪気はなかったのよ、と微笑むソフィアの真意は測れない。
「その時がくれば、あの人の口から聞けるわ」
伝わってくる敵意。それは害意ではないが、愛情の裏返しでもなく、何の複雑さも持たない単純明快な感情だ。
嫉妬。葵が“あの人”の一番近い場所にいることへの。
葵が知り得ぬ秘密を共有しているとほのめかすことで、自身の優位性を主張しているのだ。
葵は張り合う気など欠片もないのだが、そんな態度は相手を逆撫でするだけだということも知っている。だから葵はソフィアが苦手なのだ。
偏った愛は魔性を生み落とす。
自と他とを量る天秤が傾くのは、そこに魔性が加わってしまうからだ。自らの中に、本来ならば備わっていない能力“魔性”を見出した者は、その大きさの分だけ、その重さの分だけ、他を尊重しなければならない。そうしなければ、魔性の重みで魔性に堕ちてしまう。
世界が一目置き、自らの師匠が認めるソフィアでさえも、愛という魔性を完全に制御できはしないのだ。
「せっかくだから、手伝っていきなさい」
「へ?」
「いまこのUCLA学内では、ある麻薬が横行しているの」
急過ぎる話の展開に目を白黒させる葵を無視して、ソフィアは更に話を進める。
「それはお巡りさんのお仕事ですやんか」
「具現化した魔性の体液を使っているのよ」
本来のソフィアは、すべてを直球で話し、駆け引きなどを嫌う性格なのだ。
「飛び降りた学生二人の血液を調べたの」
ソフィアは葵の質問を先回りして答えていく。
ロサンゼルス市警から、半分犯人扱いの捜査協力を求められたのが、つい三日前のことだ。『犯人ではないのなら、それを証明してみせろ』という、脅迫紛いの物言いに憤慨したソフィアは、真犯人を見つけずに自分が犯人ではない証拠だけを提出できないものかと頭を悩ませている。
麻薬組織摘発へ協力することに対してやぶさかではないのだが、体よく利用しようという考えが気に入らないのだ。
「ほんで、ウチは何をしたらええのでしょーか?」
葵は、諦めた。
何をか? いろいろだ。
この最後となる質問の答えも分かっていたのだが、これに限っては葵の口から発しなければ、話は終わらないし、始まりもしない。
満足気に微笑むソフィアの口からは、予想通りの言葉が流れ出た。
アメリカでは、麻薬の使用は生活に密着している。どれぐらいなのかを表現するならば、日本において未成年が喫煙するような感覚で麻薬が使用されていると言っていいだろう。
ソフィアの能力を使えば、一晩でロサンゼルス中の麻薬常習者すべてを摘発することはできる。だが、それが一時的なものでしかないことは、火を見るより明らかなことだ。
カリフォルニアのサタニストたちも言っている。
『大衆に流されてはならない』
アメリカにおける麻薬の横行には、ベトナム戦争の折に使用された戦闘薬の影響がある。戦時には、過度のストレスから解放されるために使用するダウナーと、攻撃性を高めるために使用するアッパーとが使われた。日本とは横行の背景が全く違う。
「何が『囮捜査、よろしくね』やねん」
葵は「人使いが荒い」などと愚痴ることはあっても思うことはない。内側にこびりついてしまわぬように吐き出しているにすぎない。
UCLAに限らず、アメリカの大学内で麻薬常習者を見つけることはそう難しくない。なにせ、留学生相手にも気軽に「やらないかい?」と声を掛けてくる始末なのだ。とはいえ、一朝一夕に声を掛けられるものでもなく、加えて、マリオンの周りには麻薬常習者が存在していなかったのだ。
「ええことやけどな」
昼間はUCLA構内をぶらつき、夜はマリオンに連れられて大学周辺を出歩く。すでに化け猫は日本へと戻ったのだが、捜査がソフィアからの正式な依頼として受理されたため、葵は滞在を延長している。
そして、何の進展もなく三日が過ぎた。
「そろそろやと思うねやけどな」
「何をお待ちになっているんですか?」
メガネを掛けた文学少女。葵の隣に座る少女の容姿を一言で形容するに申し分ない言葉だ。彼女は式(式神)であり、名を『薄(すすき)』という。外見から予想できるように戦闘能力には乏しく、専ら連絡用や使いっ走りにされている。
誰にか?
葵の師匠以外に誰がいようか。
「ナンパ待ちや」
葵はにっと白い歯を見せて笑った。
* * *
「ここだ、はいんな」
「おおきに」
広大なUCLAの敷地内では、常にどこかで改建築が行われており、それに伴い工事中は使用禁止となる部屋や、人足が遠退く部屋が生まれる。
『UCLA:Under Construction Like Always.』(いつも工事中)とは、それを皮肉った言葉だ。
葵が足を踏み入れたのは、使用が禁止されている取り壊し待ち建造物の一室だ。すべての窓にブラインドが下ろされているため薄暗く、換気も行っていないのか、噎せ返るような臭気が充満している。
「上物があるんやろ?」
室内では三人の男が待っていた。ここまで葵を案内した男も含めた四人全員から、性欲が放つ淫気が流れ出ていた。
葵はここに辿り着く前に気付いていたので、別段驚きはしないのだが、分かっていたとはいえ、やはり気持ちの良いものではない。
背後のドアが閉められる。出入り口はその一つだけ。部屋は二階にあるため、窓からの出入りもできない。
「好きにしていいと言われてる」
「日本人は初めてだ」
「順番決めようぜ」
男たちは卑下た笑みを浮かべながら、口々に葵を値踏みする。
「これやから、男はイヤやわ」
葵は侮蔑の視線と共に、ため息を吐く。
「余裕だなベイビー」
「怯えた方が萌えたりすんねんか?」
「強気な女が堕ちていくのがたまらねぇんだ」
「そか」
背後から羽交い絞めにしようと覆い被さった男が、息を詰まらせた声にならぬ声を発して崩れ落ちる。
葵は素早く身を屈めて身体を回転させ、男の脇腹に肘を埋め込んだのだ。
瞬時に噴き出した大量の脂汗が、内部に深い損傷を与えていることを示している。
鈍く響く破砕音は、何度聞いても耳障りであるし、その音を発生させた殴打の感触も、気分の良いものではない。葵はそう思う。だが、手心を加えることはしない。
「投身した二人のこと、洗い浚い話しぃや」
残った三人は、完全に浮き足立っている。
「違う! 俺たちじゃない!」
「じゃあ誰や?」
「それは……」
葵の視線が逸れた瞬間に三人のうちの一人が飛び出し、組み倒そうとタックルを試みるが、葵はくるくると回転してそれを避け、無防備な首元に手刀を落とす。
残る二人は、顔面から床に叩きつけられた男が気を失うのを見るのと同時に、バタフライナイフを取り出した。
だが、葵は全く動じない。
作品名:拝み屋 葵 【参】 ― 西海岸編 ― 作家名:村崎右近