運命に導かれて
「何となく、子供みたいでしょ。あがってよ」
確かに美雪は沙織とどこか違っていた。知性や品性のようなものがある。女子大でもトップクラスだという。
たくさんの遺品があった。美術品にハンドバック。吾郎があげたものもあったが、自分以外の男があげたであろうと推測できる物もたくさんあった。沙織は恋多き女だった。富豪もいたという話を聞いたことがある。
遺品を整理しながら、沙織とこんな会話があったことを思い出した。
それは数年前のことである。
昼間はまだ残暑が厳しいが、夜になると涼やかな秋の日だった。
愛し合った後、沙織がホテルの窓を開けた。すると、秋風がなだれ込んできた。
「とても気持ちいいわ。私、毎日、セックスをしないとだめなの」と沙織は告白した。
「毎日ということは、俺の他にもまだ相手がいるということか?」
「妬いているの?」
「妬いてなんかいないさ。ただ、病気にだけはならないようにしろよ」
「大丈夫よ。みんな身が固い人ばっかりよ。子供ができないように用心もしている。でも吾郎、あなたの子供ならできてもいいと思っている。あら、いやだ。そんな真顔で見ないでよ。子供ができないようにしているから、心配しないでよ。でも、あなたは、自分のDNAが終わってもいいの?」
「考えたこともない」
「そう、もったいないわね。優秀なDNAなのに。あなたの心の中に誰がいるのかしら?」
「どういう意味だ?」
「いつもセックスの後に感じるの。あなたの中に私の知らない人がいて、あなたは仮面を被って私を抱いている」
吾郎は否定しなかった。
何年も肌を重ねれば、何か嗅覚のようなものが働くのだろうと思った。
沙織は美しかったが、その美しさはどこか安っぽかった。一流品を模した二流品。そんな安っぽさには目をつぶった。彼女を愛したのは、下品とも言っていいくらいの性欲だ。それが妙に吾郎と一致した。
「一人の男に縛られるのが嫌なの。こんな女は嫌い?」
「自由気ままに生きているということだろ? 嫌いじゃないよ。むしろ憧れさえ感じる」
「欲しい物があったら持って行って」と美雪は気前よく言った。
吾郎は「ない」と答えた。
夜になり、吾郎が帰ろうとすると、美雪が引き止めた。
「今夜、泊まってほしい」と言った。
「どうして?」
「一人でいるのがつらいの。守ってくれるという約束だった」と美雪は泣き出しそうな顔をした。
あまりの率直な言い方に吾郎は言葉を失った。
二人で食事を済ませた。
吾郎が先にシャワーを浴びた。しばらくして美雪も浴びた。バスタオルをまいた美雪が現れた。美雪は部屋の明かりを少し暗くした。バスタオルをとった。
「どう?」
「とてもきれいだ」
二十二歳になった美雪に大人の魅力に満ちた肉体があることに、今更のように気付いた。それも手を伸ばせば、もぎ取ることができる距離にあった。
「欲情はしない?」
「しない。そんな気分ではない」
「良かった。もし、したら嫌いになったかも」と美雪は笑った。
「試したのか?」
「確かめたかっただけ」と美雪は下着をつけた。
「吾郎さんがどんな人なのか知りたいの」
「普通の男さ」
「小さい頃から、お父さんに会いたかった。会って、どうして私を捨てたのか聞きたかった。吾郎さんに初めて出会ったとき、お父さんだと思った。でも、お母さんに聞いたら、『違う人だ』と言われてなぜかほっとしたの」
「今でも会いたい?」
「会いたい」
「無理だな。きっと」
「知っている。お母さんに聞いた。私の本当のお父さんはろくでなしだったって。そんな父親じゃかわいそうだから。吾郎さんの顔を浮かべて、吾郎さんがあたかも父親のように教えたと。おかげで、私の中では吾郎さんが父親にそっくりなの。もう本当の父親と会いたいとは思わない。イメージが壊れるから」
「君は沙織さんが実の母親でないことを知っているのか?」
「やはり、そうなの。ずっと前から、そんなふうにも思っていた。でも、今となってはどうでもいいことだけと」
美雪は吾郎の手を引いて、ダイニングルームに行った。
冷蔵庫からビールを出し、グラスに注いだ。
「そう、一緒にビールを飲みましょう」
「酒は好きか?」
「嫌いじゃないわよ」と笑った。
美雪がビールを注いだ。
相変わらず下着姿のままだ。吾郎は襲いかかりたい衝動に駆られたが抑えた。
「私ね。二束わらじを履こうと思うの」
「二束わらじ? 随分、昔の言葉を知っているな」
「で、何をやる?」
「ホステスをやってみようと思うの?」
「何のため?」
「一つはお金のためよ。もう一つはいろんな人を見てみたいから」
「変わっているな」
「普通の人生じゃつまらない。それにもう一つ……」
「もう一つ?」
「それは内緒よ」といたずらっぽく笑った。
「男の経験はあるのか? いくら何でも処女じゃホステスは務まらないぞ」と吾郎は笑った。
「あるわよ」と恥じらいの色を隠さなかった。
「沙織から意外と早熟だったと聞いている」
「十五歳で経験した」
「随分と早いな」
「だからと言って節操がないわけじゃないのよ。不潔な男、頭が空っぽな男、もやしみたいな男、何よりも愛のない男とは決して寝なかった。これからも」
「でも、ずいぶん経験したんだろ?」
「忘れた。きっと吾郎さんの半分くらいかしら」
「俺はそんなに多くない」
「多くないって、どのくらい?」
吾郎の顔を覗き込むように尋ねた。
「忘れた?」
「ずるい! 正直に言いなさい。男なら」
「こんな告白に男も女もあるのか? まあ、いいや、十人までは覚えている」
「私はまだ五人よ」
「思ったよりも少ないな」
「そうでしょ。医者の卵、弁護士、科学者、芸術家、音楽家……どれも私を満たしてくれなかった。私が今まで会った男達はみな月並みで何かが欠けていた。何かが……それにみんな、射精することだけ考えていた」
「相手のことがそんなに分かるのか?」
「分かるわよ。手の動きとか、腰の動きで」
吾郎は笑った。
「末が恐ろしいな。三十、四十になったら、どんな女に化けるのだろう」
「何を言っているのよ。私はいつだって少女のままよ」
「少女か……でも処女じゃないだろ?」
美雪は大笑いした。手を叩いて、まるで幼子のようにはしゃいだ。そして、ビールを飲み過ぎたのか、そのまま寝入ってしまった。彼女を抱きかかえベッドに運んだ。
彼女の匂いを嗅いだ。妙な懐かしさを覚えた。彼女の寝顔をみた。
美しい顔立ちをしていると思ったとき、狂おしいほどの愛おしさを感じた。また抱きしめたいと衝動に駆られた。しかし、自分の中にいるもう一人の自分が呟いた。『馬鹿な奴だ。相手は小娘だ。そんなのを相手にして何になる』と。確かにそうだった。吾郎は何もせずマンションを出た。
美雪は新宿の『バタフライ』という名のクラブで働くことになった。吾郎の紹介である。
吾郎がその店に訪れたのは、一か月たってから。ママに言わせると、天性のホステスと褒めた。
「会話はうまいし、何よりも訴えるような瞳で、男を見るから。どんな男でも、キーピットの矢で射ぬかれてしまう」と笑った。
「吾郎さんには感謝するわ。まさか愛人じゃないわよね?」
「愛人だったらどうする?」