風待ち
母が席を立ち、部屋に三人になった。
ぼくは帰宅したものの、親父の店で作業できるかの合格発表のようだった。
「さすがだな。芳弘君のお父さんは」
「は? 親父ですか?」
「そうだよ。誠一を一人前の菓子職人に鍛えてくださったんだ。代わりに芳弘君にお礼を言います。ありがとう」
「親父……」
「一度しか言わん。『頼りにしてるぞ』まだまだだがな ははは」
引き戸の向こうで聞いていたのだろう。部屋に戻ってきた母の目が少し潤んでいるように見えた。
「さ、戴きましょうか。って もう少し待ってね」
その時だった。
「にいちゃん、おかえりなさぁい」
弾んだ声とともに 部屋に入ってきたのは初めてみるような女の子だった。
その子は、芳弘さんの姿を見るとあっと目を丸くして頭をひょこっと下げ、部屋から出て行こうとした。
「ほらほら あゆちゃん 大丈夫よ。写真見たでしょ」
「おばちゃん、にいちゃんが修行に行った先の人?」
「あ、あゆ?」
あゆは、ゆっくりと部屋に正座すると、静かな物腰で挨拶をした。
「はじめまして。あゆ子です」
「あ…… あゆってあゆ子っていうのか?」
「まあ、にいちゃんったら 今頃知ったの? 失礼ねぇ」
くすくすと笑うあゆは 幼い時の面影に重なった。
「あゆちゃん、丈さんは?」
「お父さん遅いから 置いてきちゃった。もうすぐ着くと思うけど」
「あらま」
「だってぇ……」
「まさかまさかの こいつ、誠一に早く会いたかったとかかな?」
芳弘さんの言葉に あゆの頬は赤みを増したように見えた。
芳弘さんは、自分の手荷物の中から紙包みを出し、あゆに渡した。
「あゆちゃん、俺のおやじが『悪かったね』って謝っていたよ。これはあゆちゃんにと作った菓子。渡して欲しいって預かってきた」
「芳弘さん、どういうことですか?」
「あゆちゃんの好意を おまえ、あ、誠一君の修行の妨げになるかと渡せなかったんだとさ。すまん、誠一。おやじを許してやってくれ」
「わぁ、おじちゃん見て。凄くきれい。水族館みたい」
寒天の中に泳ぐ鮎の周りに あの師匠が?と疑うような星やハート形の細工の羊羹が入っていて、ねりきりや羽二重で飾られた、まるで和菓子のケーキのようなものだった。
「まあきれいね。あゆちゃんはそちらを食べる?」
「ううん、私もにいちゃんと えっと……」
「かっこいいよしひろにいちゃんでいいですよ」
「…そのかっ…おにいさんが作った和菓子を食べたいな。これはもっと正装して戴かなくっちゃね。 あ、お父さん遅い。ねえ見てみて お父さんもこういうの作ってよ」
ぼくは、あゆと丈さんの会話にほっとしていた。あゆが、和菓子を好きでいてくれた事が嬉しかった。それでなければ ぼくが和菓子職人になった理由(わけ)の八割九割がなくなってしまうからだ。