風待ち
帰郷する日が決まった。
十八歳で地元を離れ、行事の時には帰郷するものの ほとんど帰ることはなかった。
大学はどうだ、とは一言も訊かれたことはないし、製菓学校のことはどう思っていたのかは口にできなかったが 預けた旧知の友への感謝に対しては「それが修行だ」と親父の無言の言葉を感じた。
にこやかな母親の顔を見ると、やっぱり里心が顔を出して子どもに戻ってしまうぼくも もう三十路を過ぎてしまった。
「じゃあ、おやじ、俺のいない間無理するなよ。でかい鍋持って腰でも悪くしたら 俺の今後の計画が狂うからな」
芳弘さんは、作業の時には絶対に口にしないような言い方で父親に告げた。
ぼくと一緒に行く為だ。
「ひとりじゃ照れくさいだろうからな」
そう言いながら 目的は親父の店の様子を見たいらしい。
「ありがとうございました。腕が上がったかどうか また食べてください」
「何を言う。親父さんは わたしと同じ師匠の元で修業したんだ。わたしの感想は親父さんとおんなじだよ。それに楽させてやろうなんて思わないことだ。あの人は、和菓子命みたいな人だからな」
今まで見せたことのないような顔で笑ってくれた。
いつもの帰郷とは違った気分だった。
それは、本来の錦でもひるがえして帰るという気持ちとは少々違っていた。
まずは、隣にくっついている芳弘さんだ。珍しくもないだろう街をきょろきょろと見まわしては 子どものようにはしゃいでいた。
毎日の作業から解き放たれた開放感なのか? それとも我が家に何かあるとでもいうのだろうか?
「ただいま」
ほかに思いつく言葉はなかった。
「おかえり」
親父も同じように思ったのかもしれない。
「こんにちは。芳弘です。ご無沙汰してます」
「え? 芳弘さん初めてじゃないんですか? 一度もそんな話聞いてない……」
「おまえが訊かなかっただけさ。ねぇ?」
「まあまあ、ふたりとも まずはおあがりなさい」
「母さん、ただいま。丈さんは奥?」
母は、親父の顔を横目で見ると、口元に笑みだけ浮かべて 黙り込んだ。
ぼくの中にとても嫌な予感がした。母の顔をもう一度確かめた。
「お茶でも淹れてこようかしらね」
「あ、これ手土産に珍しくもないものですが、誠一と作った菓子です」
きんとんと寒天を粒あん団子の上に盛った 紫陽花
薯蕷(じょうよ)に鮎の焼き型を押した饅頭 若鮎
こしあんをねりきりで包んで蔦の葉に仕上げた 緑風
どれも この季節の上生菓子だ。
「まあ綺麗」と母は言ってすぐに口に手を当てた。親父の反応の前だからそうしたのだ。